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48歳 物を減らしたい衝動に駆られる

私は現在48歳です。この”note”にいろいろと書き綴ることで、自分の今までのことを振り返ったり、自分と向き合ったりしています。

ずっと以前に、畳生活について書いたことがあります。
ふと入った喫茶店的な場所で、日本古来の畳に座ってスッキリした生活を送るイメージが湧いてきて書いた記事でした。

この記事を書いたころは、単純に、日本らしいスッキリとした住まい方に魅力を感じただけでした。むしろ、そうすることがカッコイイという、古くて新しいものを迎え入れるような感覚での記事でした。

最近になって、物がゴチャゴチャと目に入ることがストレスに感じられるようになってきました。物欲が削ぎ落とされていくような感覚。いや、むしろ、自分の中の物欲ですら荷物に感じられると言った方が良いかもしれません。物理的にも精神的にも、何かを所有することから自由になりたい、何ものにも縛られたくないという感覚が日に日に強くなっていきます。

私の親世代は、物を作り所有することが幸せとされる時代を生きてきました。だから私も、物を長く所有することや最後まで使い切ることを良しとする価値観を受け継いでいます。「もったいない」精神は誰よりも強いタイプだし、物を捨てるときに罪悪感を感じてなかなか整理できないタイプです。
けれども、大切にしてきたその「モノ」たちとの付き合いも、長いもので半世紀近くなりました。まだ健在だけれど、もう十分に役目を終えたのではないかと思えるものも増えました。小さい時の思い出の品も、懐かしい気持ちは変わらないけれども「これを全部持ってこれからの人生を生きていくわけにもいかないものね…」と思えるようになってきました。

人生は、うまくできているなと思います。若いころはエネルギーも体力もあって「あれもほしい!」「これもやりたい!」と幅を広げていく。自分の人生はどこまでもその調子で続いていくのだという感覚で生きていました。
48歳になった今の私は、まだ挑戦したいことはあれこれありますし、決して諦めているとかエネルギーが全くないというわけではありませんが、手を広げすぎると自分の両手に余ってしまうということがわかっているのかもしれません。そしてそれは、余計なことに煩わされ、自分が本来やりたいことに力を注げない不自由さにつながるのだということも…。

私は若いころより少し賢くなりました。若いエネルギーには圧倒されるし、眩しく羨ましくも感じるけれど、今の私は年を重ねてきた分だけ頭を使えるようになってきたし、人生の道のりを一歩一歩踏みしめて歩くことができるようになってきた気がします。

「自分史上最高に知恵と忍耐力を蓄えた私」
物を減らしたいな…と部屋を眺めながら、成長した自分を誇らしく思う今日この頃です。



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