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Essay|「ひな祭り展のチケットがあるよ」

誰もが覚悟する修羅場みたいな場面だった。

まだ2021年2月が終わったばかりだけれど、今年ナンバーワンの邦画なんじゃないかと思うほど『あのこは貴族』は、これまで描かれてきた女性たちの全ての描写をアップデートした。


主人公の華子と、その婚約者と付かず離れずの美紀が青木幸一郎をきっかけに出会うシーンだ。華子の実家は開業医をする東京・松濤に住むお嬢様で、婚約者の女友だちである初対面の美紀に封筒を差し出すという、時を戻したくなるような時間。これから何が起きるのかと、2人のやりとりを見つめる劇場では息を呑む緊迫感があった。確かに何故かこれまで、女の敵は女だった。思えば妙な戦いである。


本作はそんな古い価値観を持ったみんなが「きっとこうなるだろう」と想像するそれを、ユーモアで返す。きっと劇場にいるみんなが「え?」と不意を突かれた展開だった。間の取り方や華子の仕草も含めて、思わず「ぷぷぷ」と笑ってしまう。岨手監督はいとも簡単に女たちの呪いを解く。

わたしが小さい頃、住んでいた家にはピアノが置いてあって2月も下旬になるとそれを台にしてお内裏様とお雛様を母は静かに飾ってくれていた。「そんな所に雛人形を置いたらピアノが弾けないじゃないか」と思うけれど、その頃にはもうたいして練習もせずにピアノすら飾りになってしまっていたのだな。面目ない。


狭い6畳ぐらいのフローリングの部屋に、金屏風と和装姿。わたしの家にあったそれは一段だけの雛人形で、高校生頃からは娘の健やかな成長というよりは「将来幸せな結婚ができますように」の念が込められすぎていて、なんだか妙に居心地が悪かった。大人になったら結婚をせねばならぬのか問題。


たぶんきっとその念は勘違いではなかっただろうけれど、もしかしたらわたしはわたしに「こうあるべきだ、と思われているのではないだろうか」の呪い(ややこしいな)をかけていたのかもしれない。



「あのこは貴族」の凄いところは、男でも女でも誰しもがいつのまにか育ってきた環境の中で自分が自分にかけてしまった呪いから、解き放ってくれるところだ。

3月3日。この映画を観てからの私は”女の子が健やかに成長しますように”と祈りを込められたこの慣しをずっとずっと愛おしく思うようになった。これから先、ひな祭りの日にこの作品をそっと取り出して繰り返し観たくなるほど、女性たちがずっと言いたかったことを、品よくしかも食べやすい大きさで、絶品に味付けをして提示してくれたことに、大いなる拍手を。

あかりをつけましょ、ぼんぼりに。


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