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今を感じるひとつの音

ギブアップ

3歳からはじめて14歳のときに辞めたピアノ。
コンクールに出たりオーケストラと共演したり、本当に様々な経験をさせてもらった。

小さいときは無邪気にただ音を出すことが好きだったはずなのに、いつからか勝ち負けがつく場所に身をおき、心から音楽を愛する人たちと自分を比べてもう無理だと逃げ出した。1音も弾きたくない。そんな気持ちだった。
ピアノは私にとって挫折の象徴であり、もう二度と戻らない場所だった。
1日8時間以上弾いていたけど、辞めたとたんに本当に触らなくなり、
就職して一人暮らしをし、久しぶりに実家に行ったらグランドピアノは売りに出され、部屋は本来の大きさを取り戻していた。

ポジウィルで気づいたピアノが好きだった気持ち

ポジウィル認定講座のロープレで「過去に夢中になって頑張ったことは?」とよく聞かれる。私はピアノの経験を話すことが多かった。
何度も話す中で、辞めたときこそ嫌いになっていたが、今の自分をつくるのに大きな影響があったことに気づいた。やり遂げる力、積み上げる力、本番にむけて調整していく力、度胸…そう思うとピアノのことを愛おしく思えるようになった。そしてあぁ、好きだったんだなと思い出すことができた。

ピアノを習い始めた娘

娘がピアノをどうしてもやってみたいと何度も言うので、色々と探した。
とにかく好きな気持ちを持ち続けられる場所という軸で探した。
巡り合った先生は不思議でチャーミングで音がなくても踊るように呼吸しているような方。爆笑しながらレッスンを受けている娘を見てうらやましく感じるようになっていた。娘を見ながら膝の上で私も鍵盤を弾いていた。

妄想

もし娘といっしょにピアノを習ったらどうだろうと妄想することが増えた。
いっしょの舞台に立って連弾をしたり、娘に弾いてほしいと思っていた曲を自分で弾いたり…めちゃくちゃワクワクした。あれ?私もう一度ピアノを弾きたいんだと気づいた。

モーツァルトは寂しがりや

娘の先生に、実は私もまたピアノをやってみたいと思っているんですと相談してみた。
ぜひ一度体験レッスンにいらしてくださいと言っていただき、24年ぶり(!?)にピアノの前に座った。小学校3年生のときに弾いたモーツァルトのきらきら星変奏曲を持っていった。まったく指が動かないし、ピアノの音の大きさにびっくりしたけど、とても気持ちよかった。
先生は「モーツァルトってとっても寂しがりやで、いく場所行く場所で僕の音楽どうだった?よかった?って聞きまくってたらしいです。それが例えばこの小節とこの小節にこんなふうに表現されているんですよ」
「星ってね、響きあっているんですよ。瞬きあってるんです。だからそれをイメージしてこの小節を弾いてみてね」
今まで受けたことがない種類のレッスンで、なんだ音楽ってこんなふうに楽しめるんだと、なんだかほっとして、少し泣きそうになった。
やっとピアノと和解できた気がした。

今しかない

ピアノを弾いているとその瞬間しかないと気づく。
出した音は消えてしまう。でもその音のために心を注ぐ。
禅を学んだわけではないけれど、なんとなくピアノの時間は私にとって禅と近いものがある気がする。
24年弾いていなかったので、いまだに小3の自分に遠く及ばない。常に全力を出して弾いてもあと何年かかるんだろうという気持ちになってそれが楽しくて笑えてくる。なぜか弾いていて、あれ、私今力を出し切ってないなと思うことがある。心のブレーキを踏むくせがついてしまっているんだなと感じた。

クリスマスコンサートが目標☆彡

クリスマスにある発表会に娘と出ること。下手くそだけど楽しむことを知った私が出せる音はどんなものになるんだろう。
とってもワクワクしている。

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