大竹永介

1949年生。落語とジャズクラリネットが好きな元編集者。著書に「出版文化と編集者の仕事…

大竹永介

1949年生。落語とジャズクラリネットが好きな元編集者。著書に「出版文化と編集者の仕事」(社会評論社)「落語会を自腹で五十回続けた七十二歳の私が考える落語の魅力」(筑摩書房)など。メールマガジン「林檎の木の下で」をご希望の方はerakugo@jcom.home.ne.jpまで。

最近の記事

鎌倉 男ひとり  ④パンとコロッケ

 大町の寺巡りをしていてよかったのは、なんといってもその静かなことだった。  境内に誰もいないことなど珍しくもなかったし、他に人がいてもせいぜい2~3人。とにかく観光客が少ないのだ。 寺に限ったことではない。要するに町なかに人が少ないのである。バス通りの交通量は決して少ないほうではないと思うのだが、行きかう人の数は多くない。つまりは店の数が少ない、ということだ。飲食店や土産物屋が軒を並べる小町通りとは比べるまでもないのだけれど。  見方を変えれば、町にとってこれは必ずしもいい

    • 鎌倉 男ひとり  ③光明寺

       こんなふうに私は大町の四つ角から逗子に向かう一帯をくりかえしだらだらと歩き回った。手元の地図に載っていた寺もほとんど「制覇」。「ぼたもち寺」なるユニークな名前の寺にも出会えた。刑場に引かれていく日蓮に最後のご供養にと尼がぼたもちを供えたことに由来するという小さな寺である。  そんな中で、やはり思いがけないものに出くわした経験をもう一つだけ書いておこう。  鎌倉滞在もあと数日となった頃、私はそれまでなんとなく行きそびれていた実相寺という寺を訪ねた。路地の奥、実相寺は御所神社を

      • 鎌倉 男ひとり ②ぶらり大町寺巡り

         私の借りたマンションは大町二丁目。「大町の四つ角」の近くである。滑川を渡れば駅前の若宮大路はすぐそこだが、時あたかも例年よりかなり早い桜の季節。観光客でごった返しているところへ、観光はしないと誓った身がのこのこ出向くわけにはいかない、というのは冗談にしても、自然私のぶらぶら散歩は大町の「奥」を目指すこととなった。  部屋には「鎌倉案内図」という手書きの地図をコピーしたものがある。入居した際、ゴミの出し方など注意事項を書いた書類と一緒に置かれていたものだ。「鎌倉警察署」と記さ

        • 「林檎の木の下で」配信中

          個人的なメールマガジン「林檎の木の下で」の6号を今日配信しました。 月に2回を目標に配信しています。「落語いろはがるた」(絵と4コマは内田春菊さん)を連載中。 ご希望の方はerakugo@jcom.home.ne.jp までメールアドレスをお知らせください。

        鎌倉 男ひとり  ④パンとコロッケ

          鎌倉 男 ひとり ①鎌倉に住む

           昨年(2023年)春、三月の半ばから一か月余りを鎌倉で過ごした。駅からさほど遠くない大町の一隅に部屋を借り一人暮らしをしたのである。  なぜそんなことを、といわれれば、鎌倉が好きだから、としかいいようがない。好きな町で暮らしてみたいと、いたって単純な理由なのである。  東京育ちのご多分にもれず最初の鎌倉体験は小学校の遠足である。古いアルバムを開いてみると1960(昭和35)年の5月、江の島まで足を延ばしている。  鎌倉を歩き回るようになったのは大学に入ってからだった。たいて

          鎌倉 男 ひとり ①鎌倉に住む

          林檎の木の下で

          「林檎の木の下で」という歌が好きだ。もともとは 1905 年に発表された古いア メリカの曲(Harry Williams & Egbert Van Alstyne)で日本ではディック・ミネが 1937 年に柏木みのるの日本語詞で録音したのが最初という。 私は父親がディ ック・ミネのファンだったせいで、子どものころから聴き、親しんでいた。 大人になってあらためてこの歌と出合ったのは 1980 年だったか。友人に勧め られて観た芝居「上海バンスキング」の中で、吉田日出子

          林檎の木の下で