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鎌倉 男ひとり  ⑤路地裏のしげじ

 そろそろ酒場の話をしよう。先に書いた「外食は週2回」の決め事も気に入った二軒の酒亭に通うことを前提にした話。そもそも鎌倉で暮らしたいと思った最大の理由は好きな店に気軽に飲みに行きたいから、というのが本音なのだ。
 まずは小町通リの裏道にあるしげじ。今はない鎌倉の古い料理屋の小町通り支店を任されていた板さんが独立して始めた店。店名はその大将の名前に由来する。
 私が初めて飲みに入ったのはまだその「支店」時代のことで、確か瑞泉寺に行った帰り道、「どこか魚の美味しい店はないかな」と、タクシーの運転手さんに尋ねて連れて行ってもらったのだった。

 ビールに日本酒。刺身も焼き魚も美味かった。騒がしくもなく寂しくもなく、一人カウンターで飲むには実に気持ちのいい店の雰囲気だった。以来鎌倉に来ると必ず立ち寄るようになった。
 ある日、久しぶりに店を訪れると、入口が固く閉ざされたまま。あれ休みだったか、とやむなく引き下がったが、以後何度訪ねても建物自体は変わらず残したまま「店」は忽然と消え失せてしまったのである。
 要するに老舗料理屋が営業をやめてしまったために支店も店を閉じた、というだけのことだったのだが、数か月に一度程度の客にすぎない私にとっては何の情報もなく、ただただお気に入りの店がなくなってしまって途方に暮れた。ブランクは何年くらいつづいたのだったか。
 ある時、鎌倉市役所に勤める女性と話す機会があり、飲み屋の話になった。ふと、私が忽然と消えた酒亭の話をすると、彼女はなんとこともなげにこう言ったのである。
──しげちゃんだったら前の所の近くで自分のお店をやっているわよ。
 「情報」は思いもかけないところからもたらされたのである。
「しげじ」は以前の店からさらに路地の奥まったところにあった。7~8席のカウンターと5、6人が座れそうなテーブル席だけの小ぢんまりとした店である。間違いない、あの大将が包丁を握り、奥さんらしき女性が客をさばいている。
 探したよ~、と思わず大きな声で言いそうになりながらも、私は黙ってカウンターに座った。まだそんな口をきく間柄ではなかったし、もとよりこれを機に恩着せがましいようなことをいいたくもなかった。大将もまた何もいわなかった。
「しげちゃん」が初めて口をきいてくれたのはそれからさらにかなりの時間がたってからだ。久しぶりだね、と、ぼそっと声をかけてくれて、前から分かっていたよ、というような意味のことをいった。ようやく受け容れてもらえたことを私は素直に喜んだ。
 しげじは魚と焼き鳥の店である。毎日小さなホワイトボードにその日の魚が書き出され、焼き鳥やそれ以外のサイドメニューは木札に書かれて壁に掲出されている。
 何を頼んでも味は間違いないが、季節限定で提供される煮込みが絶品。私はひそかに“日本一”と思っている。
 日本各地の地酒を並べているような店ではないが、酒についても特筆しておきたいことがある。お燗の加減である。
 私はどこで飲むときも酒はたいていぬる燗を頼むのだが、経験からいってちょうどいい具合についてくることはきわめて稀である。熱すぎるかぬるすぎるか、酒の旨味も何もなくなってしまうのだが、ここではそんなことはない。絶妙なのだ。
 お燗をつけるのは奥方。大将しげちゃんの包丁の腕が確かなら、奥方のほうの「腕」も見事というべきだろう。ついでにいえば、生ビールも注ぎ方の差なのだろう、よそとは文字通り一味違うのである。


 私が通い始めた頃は昼もやっていて、焼き鳥弁当が評判、ランチタイムには行列ができたという。夜は5時の開店だが、ほんの少し遅れただけで満席、入れなかった経験が私にも何回かある。
 その後大将が厄介な病を得て長い休業を余儀なくされ、ようやく再開したところでコロナ禍。今は夜だけの営業で、「完全会員制」をうたっている。もちろん観光客が来るような店ではない。
 地元の顔見知りが大抵は一人でやってきて静かに自分のペースで飲んでいる。時折交わされるのは共通の知り合いの近況やら噂話。そんなゆったりとした空気に包まれているだけで、私は肩の力が抜け、あらゆるものから解放されるのだった。
 この春もしげじは健在だった。「鎌倉に住んで小説でも書こうっていうの?」とひやかされながら、私は美味しい酒を飲んだ。

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