見出し画像

鎌倉 男ひとり  ⑥古き良き奈可川

 路地裏のしげじに対して、もう一店の奈可川は小町通りに面したかれこれ開店から半世紀になろうという老舗。女将の話を聴くのが楽しい店だ。
 もともと私がこの店に興味を持ったのは、新潮社の伝説的編集者斎藤十一氏が贔屓にしたときいてのこと。斎藤氏についてはしげじでも話にでることがあったが、ここ奈可川はいわゆる鎌倉文士との縁が深く、それは懐かしそうに女将が小林秀雄氏や永井龍男氏の思い出を語ってくれるのだった。
 店は家族経営で、私が通い始めた頃包丁を握っていたご主人は今は亡く、板場に立つのはご子息である。客の対応は娘さんで、女将はたいていカウンターの端に腰かけて店内に目配りをしている。
 その女将と、どういうきっかけで言葉を交わすようになったかの記憶は定かではない。
 ここには社の文芸関係の編集に関わった友人と一緒に来たこともあるから、あるいは私たちの会話から出版関係の人間と推測した女将の方から声をかけてくれたのかもしれない。


講談社版永井龍男全集第10巻の月報


 いずれにしても、中学時代(!)から「オール読物」を愛読していたという女将の、その編集長でもあった永井氏への思いは格別のもののようで、初めて接客した時あがってしまった話から、永井邸でのお花見の様子まで、いずれもとっておきの話である。(なにせこの女将永井龍男全集の月報に思い出を寄せているくらいなのだ)
 テレビから小林秀雄特集の取材を受けて間もないという時にいきあわせたこともあった。
 若い取材記者の不勉強でもあったのか、「今の人は小林秀雄って何? だものね」といささか不満そうな口ぶりだった。
 その時ばかりではない。ふとした流れで作家や酒にまつわる話になると、最近はこういう話をしても分かってくれる人がいなくなっちゃってねえ、という言葉をしばしばきくことがあった。
 それはそうだろう。「鎌倉文士」などという言葉はいまや文学史上の「専門用語」のようなものだろうし、そもそも最近の作家はあまり酒を飲まないともきく。「文壇バー」なんてものももはや存在しないとか。作家ばかりか編集者すらあまり飲み歩かないですよ、と嘆いていた社の後輩もいた。コロナ禍のせいももちろんあるのだろうが、そこにはそれも含めて大きな時代の流れのようなものがあるのだろう。
 思えば私などはそんな時代から取り残された遺物のようなもので、女将からすれば過去からさまよいこんだ珍しい客、ということなのかもしれない。うちにも昔は編集者がよく来たけどね、と言われたこともある。
 とはいえ名店である。昼も営業していて弁当もあり、お土産の玉子焼きも有名だから観光客の来店もあるのだろうが、夜に関しては私が知る限りほとんどが常連客。本寸法の料理と美味しい酒を愛する人たちで店内はいつも賑わっている。

 この春の滞在時にも、娘さん(というよりは若女将というべきか)の誕生祝にとお馴染みさんが持ち込んだシャンパンを店内で開け私も一杯ご相伴にあずかるという幸運に恵まれた。
 壁にはその日の食材に応じて出来る料理がびっしりと手書きで掲出されていて、これを書いているのがその若女将。実に味のある独特のいい字で、私はひそかなファンでもある。彼女は文字ばかりではなく、時折「作品展」も開くアーチストなのだ。
 奈可川でもう一つうれしいのは、燗酒を頼むとチロリでつけてくれることである。
 チロリなどというと、それこそ若い人からは「何?」といわれそうだが、燗をつけるにはまことに具合がよく、その持ち重りのする感覚もなんともいえない。奈可川では最初の一杯は女将が注いでくれるのだが。
 明日は鎌倉を去るという日、夕方5時の開店を待って奈可川を訪れた。生ビールを小さなグラスに一杯だけもらい、立山をぬる燗で二本。しめ鯖、筍とふきの煮物、太刀魚の塩焼き、ぬた。いずれも結構な味だった。
 帰る時、両女将が店の外まで出て見送ってくれた。二代にわたって認められた(?)と私は素直にうれしかった。
 大女将は八十代も半ばを過ぎ、今でも必ず仕事を終えるとハイボールを一杯飲んで家路につくそうである。
 
 
 

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?