見出し画像

鎌倉 男ひとり  ④パンとコロッケ

 大町の寺巡りをしていてよかったのは、なんといってもその静かなことだった。
 境内に誰もいないことなど珍しくもなかったし、他に人がいてもせいぜい2~3人。とにかく観光客が少ないのだ。
寺に限ったことではない。要するに町なかに人が少ないのである。バス通りの交通量は決して少ないほうではないと思うのだが、行きかう人の数は多くない。つまりは店の数が少ない、ということだ。飲食店や土産物屋が軒を並べる小町通りとは比べるまでもないのだけれど。
 見方を変えれば、町にとってこれは必ずしもいいことではないのかもしれない。大町に長く住んでいるまだ若いKさんが、こんなことを言っていた。
「(大町は)終わっちゃった町、って感じかな。新しいお店もできてきてはいるけど、まだまだだし」
 この言葉の当否を判断する力は私にはない。が、ああなるほど、と思わせるような経験はいくつかあった。飲食店の話である。
 事前に下見に来た時、バス通りから私のマンションに曲がる角の手前に古い中華料理店を見つけた。「一日一麺」の私は昼を食べに行くのにちょうどいい、とあたりをつけておいたのだが、入居日に前を通ると休業中。まもなく店を閉じてしまった。なんでも主人が怪我をして営業できず、店をたたむことにしたのだという。
 もう一軒は日本そば屋。中華料理店よりはもう少し奥になる。早速入居翌日の昼食をとりに行ったが「本日休業」。翌日も翌々日もやはり休業の札が下がっている。結局滞在中は「本日」ならぬ「ずーっと」お休みなのだった。(この店幸い現在はまた従来通り営業をしているようだ。あの期間の謎は解明されていないけれど)
 こればかりではない。下りたままのシャッターにかすかに「おでん」の文字が読めたり、と似たような事情が推察される店は他にもあった。「終わった町」といってよいかどうかはともかくとしても、少なくともそうした古くからの店が少しずつ姿を消しつつあるということには間違いはないようだ。
 もっとも、ということはまだ「生き残っている」店も当然あるということで、それらに出合った時の懐かしさはまた一入でもある。
 例えば北村牛肉店。駅から大町の四つ角に向かってバス通りを行くと左手に見える。私が借りた部屋はその反対側の角を入っていったところなので、道順を覚えるいい目印でもあった。住居兼用なのだろう、古い木造の2階家で朝もかなり早くから開けている。
 肉以外にもコロッケ、メンチカツなどをその場で揚げて売っている。評判とみえて正午(ひる)ごろに行くとほとんどなくなっていたりするのだが、少し待てばすぐまた次を揚げてくれる。
 実際、コロッケもメンチカツもとてもいい味だった。
 こういう店は昔はよくあった。私が子ども時代を過ごした大崎広小路(五反田周辺)の交差点の角にも肉屋があり、いつ通りかかっても白い大きなエプロンをつけた男性が黙々と揚げ物を作っていた。まるでそこだけ時間が止まってしまったような、なんとも不思議な思いにとらわれたことをよく覚えている。
 北村牛肉店の少し先の右側にあるのがパンの日進堂である。ここも古い。後でわかったことだが1949年の創業ということだから、私と同い年だ。
 ガラス戸が閉め切ってあったこともあって、本当にやっているのかね、といわば「半信半疑」というのが初めて店を訪れた時の私の正直な気持ちだった。
 

もちろん、いらぬ心配である。間口の広い店の中にはずらりと想像以上に多くの種類のパンが並び、手書きの商品名といい、客が手に取っていった形跡の残る雑然とした並び方といい、ある種間違いのない「活気」のようなものを感じさせた。取材で来たものなのかタレント(?)の色紙も並んでいる。
 なによりパンが美味しかった。食パン、ぶどうパン、アンパン、といろいろ買ってみたがどれもどこか懐かしい味がした。時間によっては奥からパンを焼くいい匂いが流れてきたりもする。菓子パン一つだけでも嫌な顔もせず売ってくれた。(これは北村牛肉店も同じ。コロッケ一つというのはなかなか買いにくいものだけれども)なお、この日進堂には「材木座店」なる「支店」もある。こちらはそれこそごく普通の民家である。
 日進堂の少し先、大町の四つ角の文字通り角にあるのが和菓子の大久(おおく)に。ゆったりとした店構えで、いかにも老舗、という感じである。牡丹餅も大福も上品な甘さで美味かったが、味もさることながらこういう店で菓子を買うということ自体が、なんだかとても懐かしい気がしたものである。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?