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日記について

note投稿を始めてから、今日で119投稿目になりました。

始めは、ほんの独り言を投稿出来たらいい、ぐらいでしたが、スキしてくれる方やコメントを下さる方もおられて日々感謝しかありません。
とても励みになっています。

いつも読んでくださり本当にありがとうございます!

私自身は、三日坊主であまり何も続かなかったのですが、この投稿を通じて、思っていることを文字にして、可視化するということの大切さを日々感じていました。

深いところで、思いは伝わっているとわかっていますし、いつかはテレパシーだけでやり取りができる日が来るのかもしれませんが、

頭の中で考えているだけではなく、その思いを見える形で発信したり、伝えたいと思うことは重要なのだと気が付きました。

拙い文章ではありますが、もしよければ今後もどうぞよろしくお願いします。

今日は日記について考えてみたいと思います。

前述のとおり、私は日記も三日坊主で続きませんで、始めたその日で終わるということが何度も繰り返されました。
結果、日記は向いていないのだなと思いやめました。

実はスケジュール帳も持っていないので、頭で記憶できている分は良いのですが、当日慌てることもよくあります。

で、なぜ日記とスケジュール帳ができないのかというと、

日記は過去の記録で
スケジュール帳は未来の予定、だからです。

日記はともかく、スケジュール帳に関しては、予定を忘れないようにということでもあるので、どちらかと言えば実用的なものだと思うのですが、

『今ここにいきたい!』という突発的な動きが好きなので、予定の日に行きたくなくなっているかもしれなくて、スケジュールを立てることをしたことがなく、今日一日どうするか、ぐらいしか考えていないんですね。

そんな中、ある日ふと
『過去から未来に時間が移動しているように思っていたけど、実は違うんじゃないか』
と思ったことがありました。

時間の流れの説明があるとき、
過去→現在→未来
となっていると思います。

現在がうまくいっていないときに、過去の記憶を掘り起こして何とかしなきゃという心理カウンセリングもあると思いますし、

過去が現在に影響がある、という理由づけになるのは、この矢印の図式があるからでしょう。

そして、未来に願望を設定して、そこに向かってスケジュールを考えたり、何かをするというのもやはり同じで、矢印の影響力は大きいと思います。

信じて疑わなかったけれど、もしこの矢印が間違っていたらどうでしょう?

例えば、
過去←現在←未来、の逆とか
過去=現在=未来、で同列とか
過去←現在→未来、という現在が波及する形とか

いろいろ考えられますよね。

時計があるからそのように思い込んでいるだけで、針が進むように矢印が同じ一方とは限りませんし、もしかしたらそもそも矢印ではないかもしれません。

実は、私が日記とスケジュール帳をかけないのには理由があって、
過去や未来を描くものはあるのに、『今現在』を記すものがないなと思っていたからです。

結局、今のことを書けないなら、日記もスケジュール帳も必要ないなと思ってしまったんですね。

幸い投稿が続いているのは、
これを書いている『今』は、今この瞬間思ったことを書き残せていることで、いつも事前準備もせずに、その時感じたことや思ったことを無心でかけているからでしょうね。

だから文章がハチャメチャなこともありますが(笑)

もしかしたら、私のなかでは、過去、現在、未来ではなくて、
いつも今、今、今なのかもしれないのですが、

社会はそうもいかないので、

『未来はどうなるのか』
『昔はこうだった』

という矢印の時間軸になってしまいます。

そうなると、今ここには生きていないんですよね。

では、今この瞬間を生きるってどうしたらいいのでしょうか。

一つには、今この瞬間の事しか考えない。
次に、過去、現在、未来を時間の流れを考えずに、すべて今と捉える。

まず一つ目ですが、過去の経験とか記憶、未来に対する希望や不安を遮断して取り除くこと、です。

とにかく、今自分がどう思っているか、何を感じているかを静かに見るようにします。

今を生きれていないとき、思考の大半が、過去や未来に向いていて、それに押しつぶされそうになっていることもあるんですよね。

過去と未来を遮断して、今この瞬間だけに集中しているときは、思考の中はその騒がしさがなくて、とても静かで無心の状態になります。

よくゾーンに入っているとか言いますが、そのような状態かなと思います。

場合によっては、記憶と感情が複雑に絡みついていることがあるので、過去や未来と決別するには難しいと思われるかもしれません。

考えないようにするだけでは完全に決別するには難しいので、過去や未来という思考があるのを知ったうえで、『今』を考えるように選択するしかないでしょうが、意識してそうするのはなかなか大変です。

次に、過去、現在、未来のすべてが『今』と考えるということですが、

過去であればすでに終わったことだとか、未来であればこれから訪れると思いがちですが、

それがすべて同一線上にあると考えるとどうですか。

苦しいことがあれば、時間が過ぎて癒されることを望むでしょうし、未来に希望があれば、それを期待して待つでしょう。

それが今起きているとしたら、苦しみと癒し、期待と結果も時間差ではなく同時に起きていると言えます。

原因と結果、問題と答え、失敗と成功、それらも時間差で起きているのではなく、一枚の紙の裏表だったらどうですか。

ここまで、いかがでしたか。

時間軸について、自分がそう思っていたけど、実は違うかもなんて考えることないですよね。

ちょっと内容が複雑で長くなってきたので、結論は次回に続きます。

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