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アウトプットの重要性

アウトプットの重要性を、以前強く感じたことがありました。
今回はその時の話です。

友人と、ある地方の歴史資料館に行った時のことです。

幸い、見学しているのが私と友人だけだったので、職員さんが案内をしてくれて、地域の歴史を丁寧に説明してくださったのです。

私は、初めて聞く内容や歴史に、聞くたびに、ほおー!とかへえー!と感嘆の声を上げ、一人で深く感心していました。

大変良い話を教えてもらったと、満足してその場を後にしたのですが、
いざ友人と二人になって、聞いた話を思い返していたところ、さっき聞いたばかりの内容なのに、

『さっきのあれ、えーとえーと、あれ?何だっけ』みたいになりました。

友人から、
『あんなに感心して聞いていたのに?』
と言われるぐらいに、自分でもしっかり聞いていたにもかかわらず、それをうまくアウトプットすることが出来なかったのです。

その時に、人はインプットすることは割とできるけど、アウトプットすることは結構難しいのだなと思った記憶があります。

へぇーっと感心するぐらい、面白い歴史の話だったのですが、思った以上に人の話を聞いていないのかもしれません。

もしくは、ただ単に脳の機能が、聞いたことに追い付いていなかったか(笑)

聞いた内容を理解し、同じように説明したり、今出された情報を瞬時に整理して、議論する。

そうやって即座にアウトプットしていくのは、結構技術が必要なのではないかと思います。

脳の回転が速く、理解力に優れていて、それを周りにわかりやすく説明できる人もいるでしょうが、これもある程度は訓練が必要なのかもしれません。

知識や技術、日々の出来事など、私たちは毎日たくさんのことをインプットをしています。
それに比べて、アウトプットの機会はさほど多くはないかもしれません。。

毎日、今日の出来事を家族や友人にすべて話すとか、思想や知識を伝える習慣があればいいのですが、そうではなければ、割合としてはインプットの方が多くなっていくでしょう。

私も実体験での、これが良かったとか、こうして上手くいったとか、そういう話を周囲にあまりしてきませんでした。

自分に対しても、思いを書き出すことはしますが、日記を書く習慣はありません。

もちろん、貴重な知識であれば、周囲に伝えたい気持ちはありますが、他の人が同じように興味がある内容なのかなとか、どこか躊躇してしまうことが多く、発信はせずに心の中で暖めることは多かったと思います。

発信に、自信がなかったのでしょうね。

あとは、仕事であまり自分の色を出すということをしないようにしていたということもありました。

ですから、noteを始めるにあたっても、かなり勇気がいった記憶があります。

投稿できない日もありましたが、1年続けることが出来ました。

その結果、私の生活は1年前と大きく変わりました。
今では、始めたころには全く想像もできないほどに整理整頓され、毎日きれいに掃除された部屋にいます。

そして、心機一転、その部屋もまもなく引っ越す予定です。

何年も変わらない日々を送ることはよくありますから、一年前の私も、きっと一年後は何も変わっていないだろうと思っていました。

意図して変わったというよりかは、アウトプットしていくうちに、そういう渦みたいなものに自然と流されてこうなった、というのが近いと思います。

個人的には、投稿以外に大きなアクションは起こしていません。

アウトプットをするということは、心のガードをなくすことだと思います。

自分が考えたことを発信した時に、共感してくれる人ばかりならいいですが、反対意見が出たり、場合によっては厳しく批判されることもあるでしょう。

それがわかっていれば、どこか消極的になって、
『私の意見は正しいのだろうか』
『こんなこと言ってもいいのだろうか』
と思うこともあります。

『こんなこと書いて嫌われないか』とか、発信するときに無意識に考えていることもあります。

その結果傷つくかもしれないなら、むしろ言わない方がいい。
そう思うと、次第に自分の本心や意見を素直に言えなくなってしまいます。

ですから、アウトプットは、いろんな意味で自分にも周りにも素直になることかもしれません。

これは私が、もともと素直な性格ではないから、余計そう思うのかもですが。

ただ、周囲の人は、あなたのアウトプットをもっと聞きたいとか、もっと知りたい思っているかもしれません。

目の前の人が何を考え、どんな人生を歩み、何を大切に生きているのか、私はとても興味があります。

聞いたとしても、分かり合えるところばかりではないでしょう。
それでも、聞きたいなと思います。

ですから、アウトプットを自分自身と周囲の人にすることで、自己認知を高める訓練にもなるのではないでしょうか。

また、周囲の人に自分の内面をわかってもらう努力も必要だと思います。

何も見せないし、何も言わないけれど、どうか私のことをわかって、共感してください、というのは、結構難しいからです。

心の壁を取り払って、自分の心をどんどん見せていくこと。
アウトプットはそういうものではないか、と私は思っています。

いかがでしょうか。

今日もお読みいただきありがとうございます!







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