幸福度
人は幸福を求めてやまない存在なのかもしれません。
私も幸福度について考えることが多く、人はどのような時に幸福を感じるのか、何を持って幸福と捉えるのかをいろいろ試していました。
多くの場合で、例えば、ないものねだり、
『○○であれば、○○があったら幸せになれるのに』
みたいな感覚を持った経験がある人もいるでしょう。
ないものを手に入れたら、幸福になれると考えていたが、実際に手にしても、その瞬間は幸福でも、その後は、手にしたが故の別の悩みが出て来たり、新たに手にしたいものが他にも出て来たりすることはよくあります。
ですから、幸福度とは、
『いかに幸福だと思う状態を継続し続けるか』
なのかもしれません。
これは私の例ですが、
スタイルを気にしていた時は、痩せれば幸福というか、自分を好きになったり、着たい服を着て、充実した毎日を送れるような気がしていました。
しかし、実際に痩せてしまうと、今度はもっと痩せたいとか、太らないようにしなければ、などと考えるようになり、どんどんゴールポストが移動されているような感じがしました。
ちなみに体重がもとに戻っても、特に不幸感はなく、結構どっちでも良かったのかもしれません。
幸福を感じられないことを、体型のせいにしていただけだったような気がします。
純粋に『与えられた!』という瞬間の幸福感は、0.1割と瞬発的なもので、あとの9.9割ぐらいはそれを持つことによって発生する、別の苦悩や苦労なのかもしれません。
宝くじが当たって欲しいと考えてはいるけれど、実際に当たったらその瞬間は幸福だけど、次の瞬間には、もう不安や恐怖、大金を一気に手にしたことによる心配も出てくるでしょう。
その感覚は、ドーパミン依存症にも似ているなと思います。
いわゆる幸せホルモンですが、快楽や幸福感をもたらしてくれる神経伝達物質です。
ギャンブルの大当たりとか、一瞬の達成感で、多量のドーパミンが放出
されるようです。
もちろん、それらがやる気のもととなって、行動のモチベーションをあげてくれると、ますます努力したり、向上するきっかけにはなりますが、
極端な使い方によっては、深刻な弊害、その一瞬の達成感のために、繰り返し何かに依存してしまうことはよくあります。
ですから、今あるものに感謝して、幸福度を継続させるためには、常に初心を忘れず、欲しいものを手に入れた瞬間の幸福感をずっと感じ続ける必要があります。
ただ、これは持ち物や立場が変わってくると難しいでしょう。
すでに得た状態であれば、持っていない時と持っている時の気持ちも大きく変わります。
ですから、それもまた瞬間的に初心を思い出すことは出来ても、継続していくことは大変です。
では、どうしたらいいのでしょうか。
幸福感を持続させるためには、先に不幸感を取り除く必要があります。
部屋を整理するのに、物を入れる棚や家具を買うのではなく、先に不要な物を手放すのと同じです。
そして、不幸感を取り除くために、私はしたことは、不平不満、愚痴などをやめました。
ただ、これは愚痴なのか、ただ事実を言っているだけなのか、みたいな微妙な言葉、
『暑いですね』
『身体の具合が悪い』
というのも、天気や身体に対する不満か?
みたいな感じで、考えすぎかもしれませんが、
そういう言葉も注意するようになりました。
そのあたりの微妙な言葉を避けようと思えば、だんだんと言葉の良し悪しもわからなくなってきたので、最終的に、本当に必要な言葉以外は
『沈黙を貫く』
という、口を固く閉じた状態で、黙って相手の話を聞くようになったのです。
もともとあまり話す方ではありませんが、会話はキャッチボールなので、相槌や共感、それに対して反応して言葉を返さなければいけないと思い込んでいました。
ただ、意外にも沈黙した状態で、相手の話を黙って頷くだけでも、特に会話に支障はないことに気が付きました。
次第に外で、他者に対する不満、交通ルールを守ってないとか、あれは良くないんじゃないか、みたいな出来事を見かけても、
言葉にしないことで、心の中の不満にも口を閉じるようになり、自分の正義を押し付けたり、相手を変えようとか罰する思いがなくなりました。
そうなると、不満を書かれているSNSやゴシップ、ニュース、それを話す人から自然と遠ざかったり、何とか聞かないようにしたり、話を逸らせたり、いつの間にかいなくなってみたり(笑)
無意識に、そこから離れることをし始めていることに気が付きました。
ただ、職場や家族、離れることが出来ない間柄もあると思います。
その時には、
私がぐっと口を閉じて、不平不満を言わないように、私の成長のために、あえてその嫌な役割を担ってくれていると考えて、感謝をしています。
そういう日々を過ごすうちに、私は何にもない日常に幸福感をかんじるようになってきたのです。
その時に、幸福感とは、
幸福になれるだろうことを探したり足すのではなく、日常の不幸感を取り除いたら、実は幸福しか残らない、ということにも気が付きました。
言葉のつながりは大きいので、今不平不満を言い合う間柄でしたら、言うのをやめると離れていく人はいるかもしれません。
ただ、その代わりに同じように不平不満を言わない人が来てくれるかもしれませんし、心からの深いつながりがあれば、一緒に言い合っていた人も不満を言わなくなるでしょう。
言葉を少なくすると、純粋に行動のみ視線が向くので、耳障りの良い言葉を話す人より、静かに行動している人を目標にしたり、人の見方も変わってきました。
時には反論したくなったり、正当化したくなったり、不満が心に浮かぶこともありますが、これも習慣によるものなのか、次第に不満も浮かばなくなりました。
口をぴったり閉じて、必要以上の言葉を漏らさない。
相乗効果としては、おかげで口呼吸もしなくなったことでしょうか(笑)
深い呼吸ができることも、幸福度に繋がるかも…。
いかがでしょうか。
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