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話す

日々の不平不満、誰かに対する批判や悪口。

言っても良いことはないとわかっていても、つい口を滑らせてしまうことはよくあります。

人から言われることには敏感でも、自分の発言には鈍感だったり、行いを棚に上げてしまうこともあるでしょう。

私もその一人で、言いたくない気持ちはあっても、無意識のうちに言ってしまっていたり、会話の流れで言ってしまうことがあります。

それが、ポジティブな発言だったらいいのですが、そうではない内容であることもよくありますし、言ってはいけないことに自覚がなく、内容に本人が気が付いていないこともあります。

例えば、何気ない会話の糸口や、コミュニケーションをどうとっていいかわからない時、または誰かの話に共感しているうちに、一緒に言い始めてしまうような場合です。

悪口とまではいかなくても、うわさ話やゴシップなどはその最たるものだと言えるでしょう。

悪意はなくても言葉の刃は、言われた方も言った本人にも見えないところに深い傷をつけ、何年も残ることもありますし、聞かされた方も良い気持ちにはなりません。

ですから、普段から気を付けなければいけないのです。

貝原益軒の『養生訓』では、「禍は口よりいで、病は口より入る」と書かれています。

飽食の時代で食べ物が簡単に手に入る現代で、食べ方に注意するのは難しいです。

また昔と違って、大きな声を上げてどんどんアピールすることや、SNSなど目立つことで利益につながることも多いですから、いわゆる炎上系など、内容よりも発信していくことに重点を置くこともあるでしょう。

口は出るものも、食べることも、その両方をコントロールするのは本当に大変なのです。

ただ、最近感じるのは言葉の氾濫というか、あまりに多くの言葉を言いすぎて、逆に本当に伝えたいことや、言わなければいけないことが埋もれているような気もしています。

私たちは言葉に頼りすぎているのかもしれません。

一人でいる時には当然しゃべりません。
(独り言は別として…)

ということは、しゃべるときは、必ず聞いてくれる相手がいる状態です。

相手がいないとできないことなのであれば、話をするときに、口はもう一人の相手に何かを『伝えるための道具』であると言えます。

伝えるための道具であるならば、話す内容は相手に伝えたいことや、届けたい思いで、矢印は相手に向かって伸びていくでしょう。

しかし最近は、話を聞いてもらって、気持ちを共感してもらうためだったり、存在を理解してもらうために使われることが多く、矢印が相手ではなく自分に向いている場合も多いような気がします。

言葉によるエネルギーはとても強いのです。

余計なことを言わないとか、言葉をコントロールできる人というのは、もしかしたら強靭な精神力を持っている人なのかもしれません。

私はというと、黙っていることの方が多いですが、あまりに何も言わないのも相手に失礼なのかもと、頑張ってしゃべろうとすることがあります。

その時に盛り上げようとしてしまったりして、結局余計なことを言っていることがあります。

また、悪口かどうか微妙な言葉も、頻繁に言っていると思います。

例えば、暑いとか寒いとか、天気に不満を言っているような言葉だったり、自虐的なこととか、思い返せば結構言っています。

毎日、今日こそは余計なことを言わないぞと誓っても、残念ながらまだ一日たりとも達成できてはいません。

ですから、最近はとにかく口をしっかりと閉じて、黙って相手の言葉を聞くようにしています。

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いかがでしょうか。

今日もお読みいただきありがとうございます!

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