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食べ物への欲求

欲の中でも、人間が持つ欲求のうち、食欲は特に制御にしくいのかもしれません。

昨今の情報番組やバラエティ番組、SNSでは、食に関するトピックが多く、それだけ人の関心が食に向いており、美食を追求する人も多いでしょう。

それは、食べるということが生きることに繋がると考えられているからかもしれません。
ですから、元気に生きるためにはもりもりとしっかり三食食べましょう、というのが生きる上で大前提だと思います。

ただ、私は幼いころから食べることが苦手でした。
同級生が学校給食の献立を楽しみに登校する中、私はその時間がなぜか苦痛でしかありませんでした。

もちろん、無理矢理食べさせられるとか、食べないといつまでたってもゆるされない、というような学校ではなかったのですが、いつも給食が辛かった記憶しかありません。

献立表など一度もみたことがありませんでした。

また自宅でも母の手料理を食べてはいましたが、その時も『これが食べたい』とか『この食べ物が好き』という感覚はなかったと思います。

ですから、食事をするという行為に特に疑問は持ちませんでした。

出されたものを食べる。
食事とは生きるとはそういうものだ、と思い込んでいたからです。

ただ、大人になって、自由な食生活を送れるようになってからは、
『食べることは生きること』ではなく、
『人と人とのコミュニケーションをとる機会』
のようにしか考えておらず、欲求から食べるというよりは、どこか習慣に近いものがありました。

そのため、人と会うとき以外の食事はいい加減なものになっていきます。

インストラクターになって食の追求、様々な食生活や、食による身体への影響を学ぶうち、自分の身体を人体実験のようにして試すようになりました。

それは生きる上で、食の影響が大きいことは私自身もわかっていたからです。

ただ、いろんな食生活を試しながら、いつも頭のどこかで、
『今日何を食べるか、考えないといけない生活を死ぬまで続けるのか』と考えた瞬間、ぞっとしたことがあります。

その時に『実は私は、食べることがあまり好きではない』ということに気が付いたのです。

食べることが好きな人なら、大食や美食も、または食の研究も、生きる上での楽しみになったり、仕事を頑張れるモチベーションにもなるでしょう。

しかし、私はそうではないと気が付いた時、そのような生き方が周りの人とずいぶん合わないということや、理解を得難いこともわかってきました。

伝えることを躊躇して、周りに合わせて生きることで、何とか辻褄を合わせていたけれど、それは自分に合っていない洋服を着続けるよう感じることが多くなっていったのです。

世界にはさまざまな食生活の人がいます。
地域によっては、動物の肉しか取れないため、完全肉食のところもあれば、その逆で芋や野菜だけしか食べない場所もあります。

また果物や飲み物だけしか摂らない人とか、中には食べない生き方もあると知りました。
それを知った時『食べなくてもいいんだ!』と心の底からホッとした覚えがあります。

コーヒーや紅茶を飲むときに、ほとんどの人がそれを水分補給という目的で飲むのではなく、あくまで嗜好品として飲んでいることが多いように、私も食べることは嗜好品であって生きるためにしている行為ではないとはっきりわかりました。

ただ、それを家族や友人に公表せずにいます。
幸い、さほど一緒に食事をする機会がないというのもありましたので。
また、万人に趣味嗜好があるように、私の感覚もその一つに過ぎないと思ったからです。

コマーシャルなど、お風呂上りにビールでぷはーっと嬉しそうな姿を見ると、そうしたいと思う欲求がないので、うらやましくもあります。

これは私の考えにはなるのですが、実は食べることは生きることと繋がっていないのではないかと思うのです。

生きるエネルギーはもっと別のところからきているような気がしています。

ですから、もしかしたら本当はそんなに食べなくてもいいのかもしれないし、いろんな種類の物を3食も口に入れなくても生きられるかもしれません。

ただ、その欲を掻き立てるものが毎日情報発信されていたり、どんどん食べ物を口にすることで、それが健康に繋がるという考えが強い環境であれば、食べる量が少ない人や、偏った食生活を理解するのは難しいでしょう。

動物の食べ物が違うように、人間もそれぞれ違うのかもしれません。
ですから、何を食べても良いと思いますし、食べても食べなくても良いと思います。

ただ、誰かがこう言っているからとか、情報がこうだから、という理由で食べるのではなく、私の身体はこれを欲しているからとか、身体に正直に生きた結果この食生活になった、という方を選ぶのがいいのかなと思います。

最終的に私は、毎日少量の果物と、カフェオレに落ち着きました。
正直食べても食べなくてもどっちでもいいなと思っていますが。

お茶などの水分も取るのですが、あまり身体に入ってこない感じがして。
そのまま出ていくというか、果物の水分は身体に染み渡る気がするんですよね。

カフェオレはあくまで嗜好品で、それが無かったら本当に退屈だからです。
多くを食べない人ならわかると思いますが、食べないと時間がたくさんあるのですよね。

起きている間の食事って、買い物したり、調理して、食べて、片付けてってかなり時間を費やしているだなと。

私はみんなが同じじゃなくても良いと思うのです。
特別な人はいないし、それぞれが違うと思えば、違いを理解が出来ます。

たまたま私は、食の方向にエネルギーを注がなくてもいいのかもしれないだけで、エネルギーを注ぐ方向もみんな違っていいと思います。

ただ、映像の影響は大きいなと思うので、本当の食欲ではなく、脳の刺激によるものから生まれる欲求になっていたり、感情による食欲(emotional eating)になっているのであれば、外側からの影響ではなくて、本当に食べたいものを真剣に考えて食べたほうがいいかもしれませんね。

いかがでしょうか。

今日もお読みいただきありがとうございます!




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