大学時代の話

私の大学時代は浪人時代を含めて始まる。

朝から晩までバスケに打ち込んだ生活から解放された私は、いわゆる燃え尽き症候群にもならず、目的ない日常を何をどうしていいかわからないことにもならず、とにかく何もない日々を心の底から楽しんだ。結果、志望大学に落ちた。

翌年浪人1年生、高校時代にみんなが足繁く通った予備校で英語の夏期講習を受け、挫折し、独学の道へ。センター試験目前にして急にラストスパートをかけて及第点の大学に合格。勉強なんてこんなもんかと思ったのと同時に自分の地頭の悪さと効率の悪さを思い知る。

塾代、遊ぶお金、大学入試費用を捻出するために働いていたバイトがいわゆる人生の転機になった。大人の階段の隙間を這うように覗き見して、人生やら人間を見たような気がする。妙にサイケデリックで、でも日常で、とにかくワクワクした。

大学入学後はアンバランスの絶頂期で、大学に行けば大学生らしい生活、バイトに行けば真逆の生活、色が全く違ったので自分のバランスがよく崩れることがあって、そのためもちろん友達は少なかった。というか大学で友達ってできるもの?ゼミに入らなければ本当に繋がりを無くしてたと思う。
それでも1人の生活も楽しんだし、誰かといる生活も楽しんだ。大学3年で仲良くなった友達がカナダへ行くことになり、私はめっきり大学に行かなくなり、彼女は留学、私は留年という惨事を招くところだった。ギリギリ免れたはいいが、その代わり大学4年で皆就活をスタートさせるところ、私は単位取得に向けて奔走することになった。

その大学3年がいっちばん1人を楽しんだ時間ではあったと思う。バイトが始まる夕方まで、大学に行けば本を読んだり映画を観たり(当時は大学の地下に視聴覚室があり、レーザーディスクで映画を楽しんだ。これが本当に"大学生”を生身で体感している時間だった。あの時に観たユージュアルサスペクツは今でも忘れられない。)、バイトが終われば酒を飲み、自転車で片道40分かけて帰る。
今思えばかなり健全だったかもしれない。あの時極寒で自転車を漕いでた夜は忘れないし、道中で食べたラーメンも忘れない。
授業が終わって急いで行ったディズニーシーで走って怒られたことも忘れないし、将来の不安で卒業前に居酒屋で泣いた夜も忘れない。

そして時折思い出す、大学の屋上。ハードケースにアコギを入れて運んだ屋上。汗だくで、一緒にギターを弾いた瞬間を思い出す。少し色あせて来たけど、まぎれもなく「青春」の切り抜き、テンプレート。それ以外にも、ぼーっとしたかったり、日光浴したかったり、ゼミで立ち寄ったり、時折訪れた屋上。私の過ごした校舎は古くて、新設された他の校舎にマウント取られていたけど、気怠くタバコを吸う学生を横目にしていたあの時間と建物の古さは妙にマッチしていて、嫌いじゃなかった。

そんなアンバランスな日々が全て美しかった。もちろん戻って来ない日常でもあるけれども、忘れられずにいて、たまに思い出すのがちょうどいい。そして思い出せる環境が手の届く距離にあって、ちょうどいい。

ただここまで記憶整理して思うのは、今も大して変わらない生活をしているということ。そしてそんな日々を楽しめている自分に気づくこと。カメレオンみたいに擬態を変えて、アイデンティティだかなんだかに頼らない、むしろそんな私が私でしょう、って割り切れるくらいに歳を取って、いい感じ。

今日も今日とてzipファイルをギガファイル便で転送する生活。
週末はシャカリキに歌を歌って酒を飲む生活。
それもまた一興。これも人生。Viva La Vida!

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