「普通」になることを、諦める。

土曜日の午後、読書のために入ったカフェで。

このとき私は、ひとつ大きな決断を下した。

「普通」になることを、諦める

子どもの頃から「お前はおかしい、普通じゃない」そう言われて育ってきた。空気が読めず、周りと同じように行動できなかったので先生や親にはしょっちゅう怒られるし、いじめにもあった。上履き隠されたり、ランドセルにヒルつけられたり。クラス替え前の寄せ書きに「早く死ね」って書いてきた人もいたっけ。困ったことが起きたり怖い目にあってパニックを起こしても、「大丈夫だから」となだめたり庇ったりしてくれる人はいなかった。

そんなこともあって周りの人と同じようにすること、相手の望みに応えることが「普通」であり、そうならなければ家族や友人に受け入れてもらえない、さらには「殺される、死んでしまう」と思い込んでいた時期もあった。一方で「そもそも普通って何?」と深く悩んだ。

大人になって、世の中には様々な価値観があること、時代によってその基準も変わることを知った。そして、永遠に変わらない神様がいることも知った。人生のものさしを相対的な価値観から絶対的な価値観に替えたことで、愛とは必ずしも相手の要求に応えることではないと知った。

でも古い自分もしつこく粘る。相手に合わせられない自分、好意や期待に応えられない自分に無価値感や罪悪感を覚えることはある。
だけど違和感があること、無理だと思うことは「もういいや!」と潔く諦めることにした。

今までの私も、これからの私も多くの人からは理解されないかもしれない。
でも今までの出会いや出来事を振り返るとまさに神様が備えてくださったとしか、思えない。人から拒まれていた私が人を愛せるように変えられてきたその道は、ほかの誰とも違うと思う。でもそうでなければ、いけなかった。

この先にもっと、自分の想像を超える素晴らしい未来があると確信するなら、多少の中傷なんて「かすり傷」と思うことにする!

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