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かんたんな感想文の書きかた

ここのところ、会う人ごとに「note読んでます」みたいに言われることがある。もちろん嬉しいのだけど、わたしがnoteでやっていることは全然作品作りのようなものではなく、単にブログと同じこと。きわめてパーソナルな覚え書きであり、それっていうのはわたし自身の記憶そのものでもあるから、改めて言われると気恥ずかしさもあります。

いわゆる「ブログ記事」のような、見聞きしたことや体験したことをインターネットに書き散らかすという行為を、だいたい2003年から16年間くらい続けています。これまで書いたものは誰にでも全部読める状態になっていて、ほとんどは個人サイト「EPX studio blog」と、そのなかの「旧ブログ過去ログ」というところにまとまっています。

別段それが得意と思っているわけでも、ましてや上手な文章が書けるということもない。だけど、書くことをやめようと思ったことはありません。こういう形の表現は自分にとって日常の一部になっていて、ある程度書きたいネタが溜まるとアウトプットせずにはおれないという感じです。
なのでまあ、表現の上手い下手は置いておいて、慣れてはいます。

この記事では、わたしが普段ブログあるいはnote記事を書くときに考えていること、心がけていることを大きく4点だけまとめておこうと思います。

これはなんというか、他の誰かの教えを参考にしたわけではなくて、長く続けるなかで自分なりのメソッドのようなものとして、なんとなくぼんやりと浮かび上がってきたものです。参考になるかは分かりません。でも、少なくともこういったスタイルの感想文を書くのはそんなに難しいことじゃないですよというのと、あとはその、いつも通り自分の頭のなかの整理のために。

◆ ◆ ◆

1. 「書きたい」が「面倒くさい」を上回ったときだけ書く

ぶっちゃけ、文章書くのってめんどくさいんですよ。物書き体質ってわけでもないし、まして自分の頭の中にだけある考えを文章化するのってすごくエネルギーを要することだから、疲れてしまう。長い記事を書くことに夢中になると2時間3時間は平気で過ぎてしまうし、そういったまとまった執筆時間を予め用意しようとなると尚更しんどい。

なので、何よりも第一に、無理して書かない。別に学校の宿題でも仕事の書類作りでもないのだから、書いても書かなくてもいいのです。その人の性格によっては習慣化してしまったほうがコンスタントに書けるのかもしれませんが、わたしはとにかく意志が弱く飽きっぽいので、書きたい気分になるまでは書かないというのを徹底するようにしています。「書かなきゃ…」みたいなテンションがそもそもこういった類の文章を書くのに適してない。

じゃあ、永遠に書かないんじゃないのってなるんだけど、そうでもなくて、それでも書いておきたい、伝えたいことってあるんですね。特にわたしは記憶力に自信があるほうではないから、もし自分が書かないまま、どこにもアウトプットできずに忘れてしまうとしたら、こんな面白いものに出会った、こんな経験をしたということ自体が永遠に消えてしまうような気がする。

喩えが不穏だけど、いわゆるダイイングメッセージって、今まさに死のうとしているのになんでか力を振り絞って書くじゃないですか。あれこそ「書きたい」が「面倒くさい」の閾値を上回る瞬間だと思うんですよね。なので、実際そこまで鬼気迫ったシチュエーションでなくとも、イメージとしてはああいう感じです。

ていうか逆に言うと、その閾値を超えてこないトピックって、別にあえて書き残しておかなくてもいいような些末なことなのかもしれない。そう思うようにして、たとえ書こうと思ってて書けなくても特に落ち込まないし反省もしないようにしています。なんにせよ、義務感が先に来るようだと続かないので、マイペースでねというのがひとつ。

2. 久しぶりに会う少し親しい友達に話すように書く

これもけっこう前から実践しているメソッドで、先日Twitterにも同じようなことをツイートしました。

ここでいう「久しぶりに会う/少し親しい友達に/話すように書く」にはいくつか複合的な意味合いがあります。順に説明しますね。

まず「久しぶりに会う」は、直近のコンテクストを共有していない読み手を想定する、という意味。しょっちゅう会っている友達に話すときと違って、今から話したいことがそもそも何なのかを、省略や飛躍を使わずに、オーバービューから説明する必要が出てくる。そうすると、自然と何からどの順に説明したら伝わりやすいか、という点に意識が向くようになる。

少し親しい友達に」は、読み手との距離感のイメージです。ここでいう友達は具体的に誰っていうのではなくて全然いいし、わたしは特に決めていません。イマジナリーフレンドというのかもしれない。親友ってわけでもなく、初対面ってわけでもなく、すごい年上でも年下でもなく、そういう距離感の他人と対しているときのイメージが、自分のなかではフレンドリーとフォーマルのバランスがとれる文体として表れてくる(と思っている)。

そして「話すように書く」というのは、ぶっちゃけ口語体で書いちゃっていいんじゃない? ということ。報告書や論文じゃないのだから、格式ばった文章を書こうと思うとそれだけでしんどいし、繰り返しになるけどそういうテンションが感想文書くのに向いてない。オタクなら、推しや好きなコンテンツのことなら無限に話せるでしょう。わたしもそうなので、肩の力を抜いて、頭に思い浮かんだことを話すようにありのまま打ち込むようにしています。もちろん、書きっぱなしだと支離滅裂なので、書いたあとは何度も行ったり来たりして校正はするけれど。
話すのが達者な人なら、それこそ音声入力とかでもいいのかもしれない。

以上が、「久しぶりに会う少し親しい友達に話すように書く」の要旨です。これって何ていうか、脳内シミュレーションの一種かもしれません。そういうシチュエーションを想定することで、書きやすい方向へ持っていく手段。

3. 型に当てはめて書く

とはいえ、実際にいざ書こうとなると何から書いたものやら、みたいなことも往々にしてある。一番筆が重いのって書き出しなんですよね…。
そういうときは、定番のに当てはめて考えるのがすごく楽です。

その型とは、これ。

1. 動機・きっかけ
2. 概要(それが何なのかの説明)
3. 事前に思っていたこと
4. 実際どうだったか
5. 良くないところ
6. 結果どうだったか、これからどうしたいか(まとめ)

チョー普通だ。たぶん、一般的な小論文の書きかたとほとんど同じなんじゃないかと思います。

でもこれ、イメージしてみてほしいんですけど、前項の「久しぶりに会う友人」に向けて話すときの話の運びかたそのものじゃないですか? 「そういえばこの間さあ!」から始まって、「それがどういうもので」「最初はこう思ったけど実際はこうで」「でもこんな面もあって」「結局どうだったか」っていうのって、一連の話のまとまりとしてワンセットに収まるものです。

だからここでいう型に当てはめて書くというのは、つまりはこの、ごくありふれた小論文の型を、「好きなことの話を好きなだけ友達に話す」というオタク的フレームワークに転用することで、劇的に感想文が書きやすくなる…かもしれない…ということ。

また同時に、このことによってインフォメーション(情報)とエモーション(情動)をほどよいバランスで織り交ぜて書く、ということがしやすくなるとも思います。言わずもがな、小論文の場合は後者を混ぜちゃいけないんですけど、まさにこの感情に任せて書くというのが、感想文特有のドライブ感を生むのではないかと思います。

【余談】エモーションの表現に関連したことでいうと、ほかに個人的に肝に銘じていることがあって、それは、ネガティブな強い言葉は絶対使わない、ポジティブな強い言葉はいくら使ってもいい、ということ。これは、細かい解説はここでは省きますが、要は前者は表現にめちゃくちゃ職人的技巧を必要とするから手を出さないほうがいい、後者は損得でいう「得」が無限に増大するので積極的に使ったほうがいい、という仮説に依るものです。

4. 自分のために書く

最後のポイントは「自分のために書く」です。これは1で触れた通り、わたしが書いておきたい記事というのは、結局のところ自分のための備忘録であり、いつかは消えてしまうそのときそのときのパーソナルな体験や感情を新鮮なうちに記録しておくための保管庫であり、めんどくささと引き換えに書き残した血文字であり… どこまで行っても自分のためのものです。

これは言い換えると、反応を期待しないということでもあります。いいねもRTもコメントもリアクションも、ましてやアドバイスも期待しない。期待するとしんどくなるどころか、反応が得られなくなった途端に完全に書く理由を失ってしまうので、書き続ける、残し続けるためにはまず、自分のために書くことだけを考えるのがいいんじゃないかと思います。

そもそもこう、読み手の視点に立てば、インターネット上の感想文に期待されることって、属人的な情報であればあるほど価値がある。「みんなこう思ってる」「こう評価されている」みたいな情報は全然いらなくて、「あなたがどう思ったか」が知りたいわけです。たとえ文章が巧くなくても、語彙がなくても、いいねされなくても、RTされなくても。その感想は(未来のあなたを含めた)世界のどこかの誰かにはめちゃくちゃ重要なものかもしれなくて、それはなぜかというと、他の誰でもないあなたしか表現できないことだからなのだ。逆説的なようだけれども、だからこそ、自分のために書く。

◆ ◆ ◆

(おまけ)

基本わたしが書いているnote記事はどれも上記の4点に沿ったものですが、そのなかからいくつか典型例をご紹介したいと思います。

間もなく会期終了となるアートイベントの感想文。9月1日まで。

好きな楽器の魅力と聴きどころについて素人なりに書く。

今から小説『ニンジャスレイヤー』を読むならどこからどう読むか。

ほとんどの方がご存じないと思われるテクノ概念の説明。

このピアニストが好き、という話。

いま地上波で再放送してて配信も始まったアニメの感想文。

横浜のベトフェス、今年ももうすぐ9月7日~8日の開催。

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