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クラシック音楽と日本語の不調和〜日本人が演奏で気をつけるべきこと

日本語を母国語とする私たちは、生まれて間もない頃から日本語の耳に育ってきた。欧米人の耳と比べると、聞き取って認識している音が違う。外国語を正しく発音できないのは、舌や唇の筋肉の使い方の訓練もさることながら、そもそも耳で聞き分けられていなことが根底にある。音楽も同じ。欧米人と日本人とでは、聞き分けている音楽のニュアンスが異なる。だから演奏も異なってくる。プロではそれが個性になり得ても、アマチュアの場合、音楽への悪影響になりかねない。

これは私が英語もつたない頃に仕事でアメリカに一人で渡り、そこでアマチュアオーケストラ活動に参加した実体験に基づく分析である。

やたらと周りの人の発音がはっきりしていた。管楽器も弦楽器もだ。その中で演奏していると、それが当たり前として感じれるようになった。フレーズの作り方も、指揮者の音楽の組み立て方も全く異なった。おそらく出来上がったものをレコードで聞くとあまり気づかないだろうが、合奏の中に入り、間近で他の奏者を聞いていると、驚くべき違いがあった。

このノートは、その当時を思い起こし、後に言語学や国際文化比較などを学んだことと結びつけた私なりの仮説として書いている。科学的に研究してみるのも面白いかもしれない。

日本人の楽器奏者が気をつけなければならないことは次の3点、音の立ち上がり、フレーズの重心、そして曲の重心の場所だ。日本の中だけで育ち、特に欧米で研鑽を積んだプロの指導を受けたことのないアマチュア奏者は、基本的に大きな間違いに染まっていると言っても過言ではない。そのくらい私たちの演奏の感覚は、日本語の影響を帯びていると思ってもらいたい。英語がネイティブ発音で流暢に話せために要する訓練と同様、「ヨーロッパ語族に属するクラシック音楽言語」という感覚で、全く異なるものという感覚で取り組むべきなのだ。

音の立ち上がり

音の立ち上がりは、演奏技術の問題だけではない。それ以前に、私たちの耳を訓練し直さなければならない。

私たち日本人の耳は、母音を聞き分けるのに長けていて、子音を区別するのが苦手だ。それは日本語そのものに起因する。日本語というのは、子音がはっきりしていなくても会話ができる。我々は母音の並びで言葉を理解する耳を持っているからである。極端な話、録音から子音をすべて消し去っても、聞き取り理解することができる。

しかし英語やフランス語などのヨーロッパ言語族ではこれは不可能。逆に彼らは、子音だけを並べた方が聞き取れる。それだけヨーロッパ言語族は音の立ち上がりを聞きとる耳になっているのだ[1]。

言葉を聞いて認識するための子音と母音の比重は、英語では0.73と0.50と子音の比重が高いのだが、日本語では0.47と0.77と逆転する[2]。この違いは、およそ生後14ヶ月にはすでに固まっているという、フランス人と日本人の乳幼児を使った調査結果もある[3]。

英語やドイツ語、イタリア語は、間近で会話していると、唾が飛ぶくらいに子音が強烈だ。一方、当時の自分の英語では、子音の発音が弱いから伝わりにくいのだということを身を以て経験した。

ヨーロッパ生まれのクラシック音楽も同様。子音つまり音の立ち上がりのキャラクターが重要となる。管楽器でいうと、タンギングはTの発音一つではない。DであったりKであったり、また時にはPであったりすべきなのだ。アメリカのアマチュアオーケストラに入って、側で聞いていると、奏者皆が音の立ち上がりのパターンを様々に変化できている。音の立ち上がりにはかなりの意識が払われていると感じた。

私はここに言語と音楽表現の共通点を見る。

つまり、演奏の技術や癖よりも、耳が何をどの程度聞き取れているかによるものと推察する。よって日本人の楽器奏者は、本来聞き取れているものを聞き取れていないと考え、かなり意識的に音の立ち上がりを鋭くして丁度良いのだ。

フレーズの重心

日本語を母国語とする私たちが、音楽で気をつけなければならない第二点は、フレージングである。これも日本語の特徴ゆえに、気づかないうちにクラシック音楽演奏に悪影響を及ぼす。

日本語は文を最後まで聞いて初めて意味が分かる。「〜しようと思っている」のか「〜した」のか「〜しない」のか「〜できなかった」のかなどの違いだ。一方、ヨーロッパ語族に共通するのは、これら助動詞は文の最初に出てくる。英語で言えばそれぞれ、「plan to ~」「did」「will not」「couldn’t」である。

つまり、日本語は大事なことは文の最後で言うのに対し、西洋では大事なことは文の最初で言う。この差は文化にも価値観にも違いとなって表れる。音楽表現においても、私たち日本人は特に気をつけて、フレーズの最初に重心を置くことを心がけるべきなのだ。

フレーズの中で大切な音は、最初の音。特に弱拍からはじまるフレーズでは気をつけなければならない。誤解の可能性を承知で言うが、「弱拍でも最初の音には実はアクセントがついている」くらいのつもりで、そこに重心をかけて演奏して丁度良い。また、フレーズに<>と書かれていると真ん中に重心を置くのだが、それに加えて「フレーズの出だしにも重心がある」と思うくらいで丁度良い。

例えば、West Side Storyの中のTonightの歌詞を思い起こしてほしい。”To-night”は弱拍から次の小節の1拍目にかかっている。今夜であって明日ではないという強調の”To”に重みがあるべきなのだ。日本の演奏では、”night”に重みが置かれがちである。

曲の重心

では、曲の組み立て、重要なテーマやクライマックスの扱い方はどうであろうか。私たちの話の組み立て方を考えてみよう。3分くらいの話をすることを想像してほしい。例えばお祝いのスピーチを考えてみよう。よくありがちなのが、話のクライマックスを最後に持ってくる話し方である。いわゆる「起承転結」だ。話がだんだんと展開していって最後に印象に残る話になるから、日本では大いに称賛される。

しかし欧米でこのような話し方をすると、途中で誰も聞いていないことになりかねない。彼らにとって、日本人の話は「何を言いたいのか、いつまでたってもわからない」話なのだ。

ヨーロッパ語圏では「まず何々について話します」と始め、それからその内容を話す方が聞いてくれる。もっと言えば、自分が最も伝えたい「結論」を真っ先に言ってしまうのだ。そしてその結論に肉付けするように、説明するのが好まれる話し方だ。

これと全く同じことが音楽の組み立て方にも言える。例えば主題(テーマ)の扱い方だ。ソナタ形式で言えば、第一主題と第二主題だ。主題にその楽章全体の重心を置く心がけが必要だ。主題よりもそれらをつなぐ部分が複雑で盛り上がったり、展開部がさらに盛り上がったり、終わりのコーダの部分が最も盛り上がることも普通である。確かに楽譜にもそれらの部分がfやffになっている場合が多い。それにもかかわらず、最も重要なのは、テーマが最初に出てくる部分なのだ。この点を誤解したままでいると、全くおかしな音楽になってしまう。

まとめ

繰り返すが、音の立ち上がりを鋭く、フレーズの頭に重心を置き、最初の主題に重心を置くというのが、私が英語を習得しながらアメリカのオーケストラで学んだことだ。同時に、ヨーロッパ語的なコミュニケーション感覚を磨くことも音楽表現の助けになる。言いたいことは文章の最初で。文の中でも大事なことから言い、後から修飾するのだ。クラシック音楽に限らず、およそ西洋音楽はこの作りになっていると言っても間違いではない。よって演奏する側にもその感覚を磨く必要が求められる。

ページトップの絵:中村大三郎「ピアノ」1926年, 京都市京セラ美術館所蔵

Reference
[1] Fujimura, O., Macchi, M. J., & Streeter, L. A. (1978). Perception of Stop Consonants with Conflicting Transitional Cues: A Cross-Linguistic Study. Language and Speech, 21(4), 337–346. DOI:10.1177/002383097802100408
[2] Oh, Y. M., M. O., Pellegrino, F., Coupé, C & Marsico, E. (2013). Cross-language Comparison of Functional Load for Vowels, Consonants, and Tones. Interspeech 2013, 3032-3036. INTERSPEECH 2013 Abstract: Oh et al.
[3] Mazuka, R., Cao, Y., Dupoux, E. & Christophe, A. (2010). The development of a phonological illusion: a cross‐linguistic study with Japanese and French infants. Developmental Science, 14 (4), 693-699. DOI:10.1111/j.1467-7687.2010.01015.x

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