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【111回】生徒に会いたい。そう思う目的は何?(190405)

生徒に会いたいと思う。

目的は何だろう。
ただ、会いたいのか。
顔をみて安心したいのか。
声をかけてもらいたいのか。
あいさつを返してもらいたいのか。

生徒に居場所を求めてはいないか。

これは、単に、生徒に依存しているだけではないのか。

例えば、僕から生徒に声をかけたとしよう。
そのとき、声を返すか、無視するか、反抗的にしてくるかなど。
生徒の行動を決めるのは生徒である。

僕が決めるのではない。

「生徒を反抗的にさせたのは、自分のせいだ」
「反抗的だから、自分が声をかけないほうがいい」

変な自責の念と、言い訳をしてしまう癖。
どちらも、自分の行動の責任から逃れている。
生徒のせいにしてしまっている。

それでもあきらめず生徒と関わり続けてきたから、信頼を得ることができた経験をしてきた。
信頼を得るのは教育の目的ではない、ここからスタートなのである。

自分を責める必要はない。
相手のせいにしてはいけない。

僕は何でもしないといけない。そのような万能感は捨てる。

生徒にちやほやされたいと思ってはいけない。
生徒に依存してはいけない。
僕と生徒は、人として対等だ。
しかし、僕と生徒は、役割が異なる。
僕は教師なのだから、教えることに躊躇してはいけない。

来週から生徒が登校してくる。
生徒の顔を見たい。
目的は、生徒の姿からパワーを貰うこと、かな。
やっぱ主語は、自分になる。行動の目的を決めているのは自分だから、そりゃそうだ。

生徒の顔を見る。
生徒の声を聞く。
すると、ワクワクするんだ。
だから、生徒の登校が楽しみなのだ。

新学期、カモン!