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【721回】評判だよ(伊坂幸太郎「逆ソクラテス」その4)

伊坂幸太郎「逆ソクラテス」
気に入った言葉を紹介する。
その4は、「非オプティマス」から。

◯「非オプティマス」で気に入った言葉①

「一番重要なのは」先生が指を立てる。「評判だよ」

伊坂幸太郎「逆ソクラテス」非オプティマス(p178)

本を置いて、上を向く。頭の中に、いくつかの景色が浮かぶ。
それは、ある日の職員会議。
それは、教員の民間研修。
それは、子どもの頃の教室会議。

どれも、自分以外の相手がいる中で、言葉が飛び交う景色だ。
職員会議では、A先生とB先生が、同じような発言をした。なのに、A先生ならみんな納得しない。B先生なら、なるほどとうなずく。「B先生が言うなら、一理あるよな」
教員の民間研修。「あ、個性的な学級経営で知られるC先生のお話か!これは聞きたい。本人と直接話がしたいな」
子どもの頃の教室で、リーダー格のDさんが話し続ける。いかに自分の意見が学級にメリットがあるか。Dさんのまわりで、Eさんが「Dさんの言うのわかるな」Fくんが「学級委員だからね」、他の子どもも、一定の同意を示していく。


「なんで、僕の意見は、受け入れてもらえないのだろう」
話をしても、壁に跳ね返っていくボールのように、僕の意見は届かない。
そうやって、唇を噛む。そのような頃があった。
逆に、何も言わない。あきらめる頃もあった。

正論を押し通そうとする。発言内容は正しいかもしれない。
だが、相手にとっては正しくないかもしれない。
また、仮に意見が納得がいくものだとしても、「あなた」の意見は受け止めにくい。

そういう流れがある。これを、僕は教師になってから知った。
同僚、つまり相手が僕をどう思っているのか。そして、僕が同僚をどう思っているのか。それぞれがもつ、相手への思いを「評判」と定義する。その「評判」は、本人が相手にあえて差し出したものかもしれないし、相手が受け止めて作り上げたものかもしれない。いずれにせよ、今、立っている居場所で、自分の立ち位置に影響する材料、それが「評判」だと思う。

まわりの「評判」があるから、自分がやってみたいと思っていた教育相談の仕事に抜擢された。
逆に、まわりの「評判」のせいで、教育相談の仕事から外される可能性も生まれるわけだ。

思い通りにいかないから、まわりのせいにしていては、「評判」が味方になってはくれないだろう。余程、プロパガンダのように、意図的に情報を流す立場にでもならない限りは。

仕事を続ける上で、自分がどう生きやすいか、自分にどうメリットがあるかを頭に浮かべる。
そのとき、同僚や生徒のために、僕が役に立つにはどういう役割を果たせばいいかと考えた。
担任と保護者、担任と生徒の間に入る仕事、地域の先生方の相談を受ける仕事。つまり相手と相手をつなげる位置、相手の考えを引き出す位置。これが、職場のニーズにも適した、結果的に僕がたどり着けた場所であった。ここにいたるには、同僚の評判が関わっていると思うのだ。

それにしても、「評判」はときに、人を締め付ける。【718回】の記事にも、「やり直すための転校」について書いた。新しい土地からやってきた人については、ときに、その人がどういう人だったのかを探り出そうとする。「評判」が作り出されていく。それが、やり直そうとする人を苦しめる。

どうしても、人が集まると、「この人は、すぐ嫌味を言う人だったのか」などと、性質を決めるような言葉で「評判」を作り上げてしまう。
でも、こんな評判があってもいいのではないか。
「この人は、言葉は悪い。けれど、仕事は手を抜かず集中して取り組む」
「この人は、言葉は悪い。けれど、実は困っている人を見かけたらすぐに助けてくれる」

気になる点とは、デメリットの部分だけではない。メリットの部分がどの人にもあって、それが相手に見えるか見えないか。これも重要なのではないか。

「評判」とは、味方につけたいものだ。でも、僕はあまり得意ではない。
「この人はこういう人ね」という思考に、惑わされるのが嫌だから。
相手のありのままを、淡々と観察するように、見ていければいい。

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