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【海外編】アジアからヨーロッパへ - ノルウェー

以下の記事の続きである。インドでの挫折は、海外留学に対する夢を打ち砕くことはなかった。

というのは、それまでの海外生活が自分の唯一の長所を見出す手助けとなったからだ。それは、国境を越え人種を越え人間関係を構築できるスキルであった。
インドで出会った留学生は主に東南アジア、中東、アフリカ出身であることから、交流の上で異文化への理解と適応は免れなかった。私は、人間の営みの違いを面白いと捉え楽しんでいたが、これは全ての人間に当てはまるわけではない。慣れ親しんだ環境へ依存し、異文化との交流を避けるか、もしくは拒絶する人間を私はたくさん目にしてきた。いや、これはむしろ普通なのかもしれない。そちらの方が簡単なのだから。
自分にとっては当たり前だと思っていたスキルが、武器になるかもしれないということに気がついた以上、これを無駄にするわけにはいかない。このスキルを磨くためにも、活用するためにも、やはり海外を的に絞ることに決めたのであった。

しかし一方で、現実とも向き合わなければならない。西洋諸国の大学に留学するにあたって懸念材料となるのは、やはり学費だった。特に英語圏の大学は学費が高い印象が強かった為、日本語と英語以外の言語を知らない自分にとっては絶望的かと思われた。そんな最中、とある記事を見つけた。

留学するなら北欧?いまだに留学生でも大学の学費が無料な国。

ノルウェー。英語圏以外の国で、英語で授業が受けられるなど、夢にも思っていなかった。そして学費はほぼ無料に等しい。片っ端からノルウェーの大学をしらみつぶしに調べると、応募資格を満たしている大学が複数見つかり、全てに直ちに願書を提出した。しかし、その後多くの大学からお詫びと共に「出願者不足の為、今年度は開講できない」という旨の連絡があった。不安が募る中、年が明けた。

2017年3月末、待ちに待った合格通知がようやく届いた。北ノルウェーの北極圏内に位置する大学。可能な限りその土地の情報収集を試みたが、日本語での情報はもちろん全く見つからない。英語で書かれた観光客向けのウェブサイトによると、どうもあのマンガロールよりも辺鄙で、一年のほとんどが雪に覆われているようだった。華やかなヨーロッパのイメージとは無縁の、北極のとある小さな街という印象だった。

娯楽が目的ではない以上、勉強に専念できる環境として最適、というのは至極当然である。しかし、インドでの経験から、あまりに辺鄙な土地は避けたかったのが本音だった。

そして日本には、これら二つの相反することわざが存在する。『二度ある事は三度ある』『三度目の正直』。大学への挑戦はこれが三度目となる。どちらと向き合うべきか。

そして、2017年はちょうど私の"厄年"であった...

いやここでグズグズ気後れしていても男らしくない。『二度あることは三度ある』と言うが、二度目(インド)は明らかに自分に落ち度はなかったではないか。あんな散々な目に遭って、厄年なんぞ去年とうに済ませたのだ。そもそも厄年なら、合格通知すら届いたわけがない。

というくだらない精神論に加えて、合格者向けのウェブサイトを確認したところ、生活環境は十分整っており、大学側の事細かな対応も良かったことから手続きを進め、とんとん拍子で8月中旬に渡航。これが人生初のヨーロッパ上陸となる。

北極圏に到着したのは昼過ぎであった。直後に愛用していたスマホ(インド製)が壊れてしまった。予備の携帯を持っていたためパニックには陥らなかったが、今考えるとこれは縁が切れたサインだったのかもしれない。

空港を一歩出ると、8月とは考えられない冷たい風が薄手のシャツをかすめた。空港から学生寮までは、地図で見る限り遠くはなく、歩いて行くつもりだったのだが、こんな気温では計画を変更せざるを得ない。敢えなくタクシーに甘えてしまった。
辿り着いた学生寮の自室は、コテージの一室のような内観で、木板が暖かく感じられた(電気も水もない何処ぞのゲストハウスとは大違いだ)。この部屋でこの先3年を過ごすのだ。時差ボケや睡眠不足でとことん疲れ切っており、すぐにでも横になりたいところだが、日本で連絡を待つ家族や友人へ連絡する為には携帯のデータを移行しなければならない。
日時を合わせようとした矢先、翌日が日曜日であることに気がついた。ヨーロッパでは日本と異なり、日曜日には総じて店は閉まることは聞いていた。今最低限の食料を確保しなければ明日すら生き延びれないことを悟った私は、重い腰を上げて近隣のスーパーへ足を運ばなければならなかった。

目が覚めるほどキツい原色、規格外の商品サイズ、そして壁の様にそびえ立つ陳列棚...!こんなスーパーはホームアローンでしか見たことがなかった。楽しんでいるのも束の間、目に入るすべての文字がノルウェー語で読めない。フライパンで冷凍食品を温めようという作戦だったが、ここまで疲労困憊していると、目の前の全ての商品が得体の知れない食べ物に見えた。ここでババは引きたくない...(今考えれば、ピザを買えばよかっただけの話である。)

ふと辺りを見回すと、近くで陳列棚を整理している一人の女性がいる。ノルウェー生活初日、思いついたことはなんでもやってみるに越したことはない。ノルウェー初となるグルメは、この見知らぬ女性のオススメに託されたというわけである。

脂ぎった寝癖だらけの髪と大きなクマをぶら下げた私に、彼女は実に明るい笑顔を振る舞った。彼女が手に取ったのは、ぶつ切りのイモと肉と玉ねぎのミックスという調理方法が全くわからない代物だったが、美人だったので気にしない。会話は食べ物だけで終わらず、私の口からはなぜ私がここにいるのか、そして彼女の口からはここがどのような街なのかが語られた。
私がヨーロッパで、ノルウェーで、初めて話したこの女性とは、のちに交際に至る。気が向けば、いずれこの経緯も記事にまとめるかもしれない。

彼女とおしゃべりができてすっかり気分が良くなった私は、店内をくまなく歩き回ることにした。生活に必要なのは食べ物だけではない。しばらく日用品を眺めていると、今度は私が声をかけられた。振り向くと、そこには店員のブロンドのお兄さんが立っていた。疲労とあまりの物価の高さに呆然としていた外国人を気遣い、わざわざ声をかけてくれたものだと思いきや、私が日本人であるということを知ると、途端に彼の言語が流暢な関西弁に変わった。彼は実はスウェーデン人で、過去に関西で一年間日本語を勉強していたとのことだった。互いにこの奇妙な縁を祝福しつつすっかり意気投合し、早速その晩に一杯ひっかけようということになった。

彼のシフトが終わるまで、私は死んだ様に眠った。目を覚ました時には、外は既に明るかった。しまった、すっかり寝過ごした...!

いや、外は"まだ"明るかったのだ。決して寝過ごしてはいない。北極圏ではまだ白夜の尾を引いており、陽の光が一晩中届いていた。

冬用に持ってきたはずのコートを羽織って、待ち合わせ場所へ急いだ。バーは既に賑わっていた。しばらくは互いの背景について語り合っていたが、夜が更けるうちに知らぬ者同士でも杯を交わし、気がつけば三人四人五人... とテーブルを囲む人間が増えていった。その中には同じ大学へ通う者もおり、皆が異なる背景を語り合いながらあっという間に夜は明けた。長旅の疲労なんてとうに忘れていた。いい風が吹き始めていた。

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