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ホームスクール キャンプと奥山温泉・奈良田温泉

山梨県の南部町にキャンプに行った。

キャンプ場から歩いて「奥山温泉」に行けるので、テントを張った後に入浴しに行った。泉質はアルカリ性でツルツル。客も私達以外にほぼいなくて、広い浴槽や露天風呂が貸し切り状態だった。新しく奇麗な温泉なので秘湯感は少ないが、客が少なく落ち着けるので私の評価大だ。

奥山温泉

キャンプ場は川沿いにあって山中渓谷の風情がある。

渓谷

川の音が大きいとうるさくて寝れないというキャンパーもいるが、川音が小さな物音や他人の話し声も掻き消してくれるという利点があるので、私は川沿いのテント場が好きだ。

むしろ静か過ぎて人や動物の足音の一挙手一投足までもが丸聞こえの静寂なるテント場は、かなり怖い。ゾンビ映画が大好きなのにお化け怖いの我が家は、テント内で就寝中に聞こえてくる、あの「近寄って来る足音」が怖くて仕方ないのだ。実際に小動物(タヌキやハクビシンなど)はよく近寄ってくるし、その足音の正体が「熊」だったこともあるのだから。

寛ぐ息子

翌日は急遽予定を変更して、車で富士川を北上し、下部温泉近くから進路を西北へ向け、山奥のどん詰まり一本道を北上し、着いた場所は「奈良田温泉」。

奈良田温泉の看板

本命の「西山温泉 湯島の湯」と秘湯「奈良田温泉 白根館」は、あいにく休館日に当たってしまい入浴できなかったが、白根館のすぐ隣の「奈良田の里温泉 女帝の湯」に入浴することができた。


「女帝」とはなんぞや?


時は奈良時代、病がちな女性天皇の「孝謙天皇」は、帝位を辞した後わざわざ奈良からここまでやってきて、この温泉地を「奈良の棚田のようだ」と気に入り(なので地名が奈良田になった)、ここで8年も療養したそうだ。

この後の孝謙天皇は淳仁天皇から皇位を取り上げ重祚して「称徳天皇」となり、僧「道鏡」を寵愛したり、宇佐八幡宮信託事件の「和気清麻呂(わけのきよまろ)」を「別部穢麻呂(わけべのきたなまろ)」と改名したり、政治抗争に明け暮れるので、ここで8年ものんびり温泉に入っていられるのか? と長期滞在におおいに矛盾を感じるのだが、とにかく温泉1つ入るだけで、息子の歴史の勉強に大いに役立ってくれるだろう。

関連話として、藤原氏の子孫で民間人初の皇后である「光明皇后」が施薬院や悲田院を作る話だったり、遣唐使で秀才であった吉備真備や、藤原仲麻呂の乱(恵美押勝の乱)の話だったり、道鏡から話がそれて中国の始皇帝の母とロウアイの話だったり、色々な歴史の話を息子とおしゃべりすることができました。しかしまぁ奈良時代って滅茶苦茶ですね。そりぁ、京都(平安京)に遷都するのもわかりますよ。

そんな「女帝の湯」だが、泉質はアルカリ性でヌルヌル。ただし浴槽や洗い場が狭く、白根館が休館だったからか登山客で満員で、落ち着いて入浴できなかったのが残念だが、次回は休館だった白根館と湯島の湯にも行ってみたいと思う。