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ホームスクール 子育てについて 哲学と清貧 

※画像はラファエロ作、アテネの学堂

ここ最近の記事では、英検の話や小中学校のホームスクールの事務手続き的な話ばかり書いていたので、今日はホームスクールにおいての子育てについて私の思いと言うか信念というか、哲学と清貧について、そんな話をしようと思います。まとまりのない話です。

私と妻は、息子が産まれる10年前からバックパッカーでずっと旅をしていました。主に東南アジア、インド・ネパール・バングラ、トルコなどを旅してましたが、特に好きな国はイスラム教の国々でした。安定した社会と人々の親切心が際立っていたからです。

私の性格は、物事を外部から影響を受けて行動するのではなく、まず初めに私の信念があって、それを実際の体験と結び付ける為、信念を証明する為に行動します。

例えば「豊かさ」とは金銭や物質の多寡ではない事を知ってる上でインドを旅します。ほら、やっぱりね、と。なのでインドに行って「人生が変わった!」みたいな影響を受けることはないです。

ホームスクールも、実行する前から明確に思い描いてきたし、その通りに経過していると思います。

信念の背景は大学生の時からずっと勉強してきた「哲学」です。

哲学と言うと胡散臭い宗教の様に思われがちですが、まるで逆です。宗教とは「教祖(元は哲学者)の教えを守ること」ですが、哲学とは「教えや常識を破壊し自分で考えること」です。ニーチェの「神は死んだ」や、仏教の禅で「仏に逢うては仏を殺せ」という様な意味です。ほとんどの哲学者が宗教とは無縁なことからもわかります(※)。

※西洋哲学者などの実際はほぼキリスト教がバックボーンにあるという話とは別にしておきます。広義の意味で哲学者(哲人)は無宗教だと言う話です。

私の哲学の勉強も、初期イオニア学派から・ギリシャ哲学・デカルト・カント・ヘーゲル・ニーチェ・実存主義という王道を学んできました。その中でも好きな哲学は、ソクラテス・老壮・ストア哲学なのですが、とりわけプラトンが好きで好きでたまりません。

プラトン著の「饗宴」や「ゴルギアス」は、何度読んでも涙が出ます。2400年も前の書籍なのにです。

私は学者ではないので、実際の「哲学・各論」については詳しくないのですが、人間として生まれてきたからには2つの命題、「私はなぜ生まれてきたのか? 」「私はいかに生きるべきか? 」について、これは一生をかけて考え、実行すべき事柄だと思っています。前者は「自然科学」であり、後者は「社会科学」「人文科学」でもあります。

では実際に日本社会を生きる一人の日本人として、哲学が人生にどう関わってくるのか?

落ちぶれたとはいえ、日本は圧倒的な「物質大国」です。しかし「精神」が貧しい、哲学がない。他国はキリスト教、イスラム教、仏教などの宗教で人々の暮らしや精神や哲学を補っていますが、日本にはそれがない。

仏教も儒教も神道もない。日本は東南アジアの仏教国とも似つかない、中国の儒教とも違う、アジア・アフリカにある自然崇拝(アニミズム)もない、欧米のキリスト教合理主義とはまるで違う。武士道は完全に無くなった(三島由紀夫が切腹するわけです)。近いのは「物質主義」「拝金主義」で、中国人やユダヤ人に近い。似ている。世界を旅してると分かります。

日本人には宗教も哲学もない。歴代の日本の統治者もそれを痛いほど分かっていた。だから飛鳥時代に仏教を取り入れ、江戸時代に儒教(朱子学)を取り入れ、明治時代には天皇制を持って来た。しかし第二次大戦後には元の木阿弥。どれも定着しなかった。戦後にアメリカ物質主義を持ち込んだが、それも廃れるであろう、空白の時代。

こういった空白の時代には、確固とした自分を持って生きるべき(信念)だと思います。その信念もすぐに止揚されるような、流動であり不動である信念。それを私は「哲学」だと呼んでいます。それをホームスクールで育てている息子に少しずつ伝えていきたい。

日本社会は「ガラパゴス」と揶揄されますが、正にその通りです。哲学なく、島国らしい独特な方向へ進化(退化)していってます。日本社会というその小さな殻を若くして破る為に、息子を連れて海外を旅して、あらゆる世界を見せて行きます。

少しお金の話をします。

私は子供の頃はそこそこ裕福な家庭で育ったのですが、大学生の時に一人暮らしを始めた時から「清貧」な生活をあえて選びました。奇しくも私の好きな哲学者は全員「清貧」でもありました。

持続可能な暮らしを見る為に、自給自足している原住民族の家にホームステイ体験などもしました。ちなみに現代で言うところの「SDGs」や「環境保護」「人権」などは大嫌いです。太陽光発電大嫌いです。そういった偽善や政治的意図ではなくて、もっと実存的な哲学的な「持続可能性」と「清貧」な暮らし。

海外を旅する時の予算は、月に6万円ぐらいです。宿泊費も食費も交通費も航空券も全部いれてです。3人家族なので月に1人2万円。半年行って30万円ちょっと。安いと思います。高い航空券代を相殺する為に、旅は必然的に長めになります。

向こうではよくアパートを借ります。民泊もします。現地の市場にいって現地の物価で買い物して自炊したりします。そしてよく歩きます。ひたすら歩きます。観光地はほとんど行きません。暮らしているのです。そうやって行く先々の国で、地元民の目線でその国を見てまわります。

そうすると、実は「英語」がいらなくなります。必要なのは現地語、それも10単語も覚えればなんとかなります。英語を学んでいる息子ですが、本心は英語よりも10単語で旅できるような実用的な経験値をこれから少しずつ増やしていって欲しいです。

日本でも清貧な暮らしをしていると思います。

日本の子育てはお金がかかると言われますが、我が家に限って言えばお金はほとんどかかっていません。

結婚式なし、出産費用なし(出産育児一時金ぴったり)、託児代なし、保育園代なし、塾代なし、習い事なし、こういったものの必要性を夫婦2人ともに全く感じませんでした。12歳までにかかった費用は食費と衣類代が少々、参考書代が12年で5万円、書籍代が5万円、英検代が3万円ぐらいです。

経済的な理由で出産を躊躇する若者達には、「子育ては、お金が有れば有るだけかかるけど、無ければ無いでなんとかなるよ」と言いたいです。

塾行くなら親が教えます。10歳ぐらいから息子は自分で完全独学してます。習い事行くなら、例えばスイミングスクール代1年分で、タイに3ヶ月行って海やプールで毎日泳ぎます。

「貧乏」とは言わず「清貧」と名乗るのは、貧しさを感じていないからです。むしろ「優雅」だと思っています。海外を旅し、国内はキャンプ、読書、映画、楽器演奏での日々の暮らしなんて、優雅だと思いませんか? 私達が日々の生活で意識するのは「芸術」です。音楽・絵画・映画・文学です。本当に人生を豊かにしてくれます。芸術にもお金は全然かかっていません。ミケランジェロの画集なんて1日眺めていても飽きません。だから「清貧」と名乗ります。

ちなみに妻は料理が好きで、妻が作る手料理は本当に美味で「毎日、外食みたいだね」と息子と頬張っています。パンでも何でも、自分で作っています。

古い一軒家をリフォームしています。何でも自分で直せるようになってくると、経済的な安心感に繋がります。芸術も料理も建築も「創造」です。日々、創造に溢れる暮らしは、経済的で豊穣です。

こういった生活とホームスクールでの生活は、相性抜群なのです。

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ホームスクール (livedoor.blog)
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