えぴのみす

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最近の記事

『近代の超克』雑感

※廣松のではなく、オリジナルの方。 論文 ・吉満、下村の2論文だけが異質。ギリギリの抵抗が感じられる(同時期、田中美知太郎は後に『ロゴスとイデア』に収められる諸論文を書いていた)。 ・西谷論文も冒頭の問題設定は優れているが、後半あちゃ~、となる。 ・林房雄の論文は亀井勝一郎のそれに比しても痛々しい。が、それは今から見たらそうなのであって、当時の知識青年達のある一面を的確に記述しているのでないか。 座談会 ・1日目冒頭の、吉満・下村・西谷の三つ巴の議論が面白い。参加者の中で

    • 近藤和敬『人類史の哲学』の雑な感想①

       この書物の目的を一言で言えば、「今とは別の仕方で思考するために」とでもなろうか。別の仕方で、とはわれわれが生きる近代資本制社会の価値とは別の価値を見出す、ということだ。  著者の前著は『ドゥルーズとガタリ(以下D&G)の『哲学とは何か』を精読する』であった。D&Gは同書において、古代ギリシア、近代資本制社会という哲学にとっての2つの歴史的契機に続く第3の来るべき契機に呼応する、哲学の「未来形式」を創出する必要性を説いていた。近藤の今回の本はその必要に応えたものと言える。つま

      • 映画『窓ぎわのトットちゃん』感想

         原作は未読のため、今回の映画のみの感想となる。  まずはキャラクターデザイン。最初子どもも唇にはっきり色がついていて違和感があったのだが、観ているうちに気にならなくなった。また笑い顔・泣き顔が崩れて不細工なのは、よりリアルではある(製作にPRODUCTION I.Gが入っていることで思い出したが、押井守『イノセンス』の終盤出てくるプラント船の少女の叫ぶ顔もそんな感じだった)。これらの顔についても、昔『おもひでぽろぽろ』を観た時に違和感を覚えた、顔の口が上がった時の皺と同様の

        • 死後の生 永遠、残るもの

           「死後の生」という言葉は多義的だ。それはある人間が死んだ後、その当人がどうなるのか(=来世)と、残された人々にとってその人の残したものがどうなるのか(=現世)を同時に意味しうるのだから。  アーレント『人間の条件』の「永遠と不死」の章は、この辺りのことを立ち入って説明しているように思える。

        『近代の超克』雑感

          松山高吉についてのメモ①

           松山高吉は明治日本へのキリスト教導入において重要な人物である。彼についての詳細な情報は、岡田勇督「松山高吉―その生涯と資料調査の現状」を参照されたい。  で、私が松山の業績を調べる上で重要だと思うことを簡単に述べる。 ① 聖書の日本語訳での貢献  これについては例えば、岩波文庫の『文語訳新訳聖書』の解説に述べられている。松山は翻訳において指針を示し、それは訳に反映された(769~70頁)。  ちなみに私が好きな文語訳聖書の文句は、例えば「われ童子の時は~」で始まる『コリン

          松山高吉についてのメモ①

          遠藤周作『沈黙』雑感③ 東洋と西洋、母性と父性

           『沈黙』は文学作品であるから、大きなテーマだけではなくディティールにも関心を払った方がいいのだが(例えば切支丹の唄とか方言とか長崎の様子とか)、私はどうしても抽象的なテーマに興味が向かってしまう。今回もまたそんな話。  『沈黙』には大きな対立線が走っている。それがタイトルに挙げた東洋と西洋、母性と父性である。この作品に出てくる東洋人と西洋人には対立と、そして奇妙な和合が見られる。  ちょっと整理し切れてないので、とりあえず簡単に示す。井上奉行と通辞などの日本の権力側とフェ

          遠藤周作『沈黙』雑感③ 東洋と西洋、母性と父性

          遠藤周作『沈黙』雑感② 単行本あとがき問題

           これも先週末の読書会で話題になったのだが、『沈黙』文庫版には単行本版のあとがきが収録されていない(私が単行本版を持っていて、他の参加者は文庫版を参照していたので気が付いた)。通常(どこまで妥当なのかは不明だが)、文庫版には単行本版あとがきを収録し、さらに文庫版あとがきを追加するものではなかろうか。それで言えば文庫版のあとがきもない。代わりに佐伯彰一による解説が付されている。  では単行本版のあとがきにはどんなことが書いてあるのか。あとがきはわずか2ページで、書いてあることは

          遠藤周作『沈黙』雑感② 単行本あとがき問題

          遠藤周作『沈黙』雑感①

           昨日、遠藤周作の『沈黙』を読む読書会で報告した。そこで気付いたのだが、私は「神が地上で何が起ころうが沈黙している」というこの作品の重大テーマについて、大した興味を持っていない。つまり私は、神の沈黙を疑問の余地のない当然のこととして受け入れている。これは重大な読み損ないではないのか。  私が神の沈黙を受け入れる理由の一つは、少しキリスト教をかじったことによる。地上に介入する神とはユダヤ教の神であり(『旧約聖書』にはそういう記述が散見される…ようだ)、キリスト教の神はそうではな

          遠藤周作『沈黙』雑感①

          映画感想:プリキュア+岡田麿里新作 それと、『君たちはどう生きるか』

          どちらも公開初日に観てきた。以下、ネタバレ含むので未見の方は注意。 ①『プリキュア オールスターズF』  変身シーンを大画面で観れるだけでも眼福なのに、壮大なストーリーで年甲斐もなく興奮してしまった。心の中のミラクルライトで応援したのは言うまでもない。  ところでタイトルのFとは何か。パンフを見る限り、テーマ曲の歌詞にあるFellows、Friends、Fantasticの頭文字である。だがFamilyをも含んでいるはずだ。だとするならこの映画は近年の東浩紀哲学の展開であろ

          映画感想:プリキュア+岡田麿里新作 それと、『君たちはどう生きるか』

          映画『銀河鉄道の父』感想

           お盆中に観たので。原作は未読。  父政次郎と若い賢治の対話。「質屋は農民を搾取している」と学校で(あるいは図書室で)学んだ知識でまくしたてる賢治と、それに対して地に足の着いた返答をする政次郎。同じような光景は日本のそこここで、時代を越えてなされてきたのだろう(同時代では、中野重治「村の家」が思い浮かぶ)。このシーンは、その後の賢治の行く末を暗示していると見るべきか。商売に向かぬ息子を最後には受け入れる政次郎(劇中後半、農民たちにチェロを嬉しそうに弾いて聴かせる賢治を、政次

          映画『銀河鉄道の父』感想

          華奢な身体の(性的)魅力について

          …おもにエロ漫画から考察したいと思っている。思い浮かぶ作品としては、 宮居史伎のLO掲載作品 三巷文「スペアキー」(『こんなこと』所収) シイナ『ノラネコ少女との暮らしかた』 あたりか。

          華奢な身体の(性的)魅力について

          極私的映画について① 私の映像体験遍歴(~学生時代)

           私はドゥルーズ『シネマ』の読書会に顔を出してはいるのだが、いかんせん『シネマ』は難物だ(福尾さんや築地さんの『シネマ』入門書ですらそう感じられる)。という訳で、現実逃避として私の映画体験を振り返ってみようと思う。  恐らく私が初めて観た映画は、父がレンタルビデオ屋で借りてきたドラえもんの大長編とかの子供向けアニメだったのだろう。はっきりとは思い出せない。  映画に限定せず映像体験として強烈に覚えているのは、小学生の時に観た『ヒトラーと6人の側近たち』というNHKのドキュメ

          極私的映画について① 私の映像体験遍歴(~学生時代)

          『アンチ・オイディプス』の雑な感想② レンツ

           『アンチ・オイディプス』冒頭で引用されるビュヒナー「レンツ」を読んでみた(岩波文庫の岩淵達治訳)。自然描写が多く、主人公レンツの目に映るそれらが印象的だ。物語ではレンツの狂気が深まっていく様が描かれていくのだが、そもそもレンツ独りが狂気を孕んでいるというより、作品世界全体が何か神懸かり的である。例えばレンツの世話をするオーベルリーン牧師や、レンツがオーベルリーンを見送った後で迷い込んだ小屋にいた少女(映画『エクソシスト』に出てきそう)など。私が読む限りでは、登場人物中にいわ

          『アンチ・オイディプス』の雑な感想② レンツ

          カフカの絵葉書 ラファエル・キルヒナー

           『ポケットマスターピース01 カフカ』をめくっていたら、魅力的な絵葉書が載っている。  で、この本が底本にしている批判版全集の『書簡集』を手に取る。  写真をよく見ると、「RAPHAEL KIRCHNER」の文字が絵葉書の左上にある。ネットで検索すると、同じ絵葉書が出てきた。どうやらラファエル・キルヒナーの「Greek Virgins」シリーズの一つのようだ。  ところでなぜカフカはこの絵葉書を使ったのか? 宛先人はパウル・キッシュ、カフカのギムナジウム時代の同級生であ

          カフカの絵葉書 ラファエル・キルヒナー

          信州 木村素衛の石碑を訪ねて

             GW中、長野県に5箇所ある木村素衛の石碑を見て回った(ただし内3箇所は小学校敷地内のため、学校の外を歩くに止めた。事前に連絡しておけば見られたかもしれないが、その余裕がなかった)。  木村素衛(1895~1946)は加賀出身で、西田幾多郎の弟子の教育哲学者。信州の教師達に請われ何度も当地を訪ね、亡くなったのも信州だった(体調の優れぬ状態で講演に行き、そこで悪化させてしまった)。今も長野県の教師には尊敬されているようだ(小諸出身で教師をしている私の友人も、木村の名前は知

          信州 木村素衛の石碑を訪ねて

          ブルバキの妹、のためのメモ①

           ブルバキとシモーヌ・ヴェイユの思想には何か関りがあるのだろうか。  試しに“Bourbaki Simone Weil”でGoogle Scholarで検索をかけると500件弱ヒットする。もしかしたらこの中に上記について論じたものがあるかもしれない。  私の知る限りでは、アクゼル『ブルバキとグロタンディーク』には少し記述があった。ブルバキのメンバー達が、シモーヌを彼らのマスコットのように扱っていたとか(記憶違いかもしれない)。またマシャル『ブルバキ』には、シモーヌとブルバキの

          ブルバキの妹、のためのメモ①