映画感想:プリキュア+岡田麿里新作 それと、『君たちはどう生きるか』

どちらも公開初日に観てきた。以下、ネタバレ含むので未見の方は注意。



①『プリキュア オールスターズF』
 変身シーンを大画面で観れるだけでも眼福なのに、壮大なストーリーで年甲斐もなく興奮してしまった。心の中のミラクルライトで応援したのは言うまでもない。
 ところでタイトルのFとは何か。パンフを見る限り、テーマ曲の歌詞にあるFellows、Friends、Fantasticの頭文字である。だがFamilyをも含んでいるはずだ。だとするならこの映画は近年の東浩紀哲学の展開であろう。映画の終盤、プリムがプリキュア達の複数性を羨んでいるのは、アレントが政治の条件として人間の複数性を考えたのと呼応する。
 てかプリキュア78人もいたのか(キュアゴリラは除く)…。さすがに全員に見せ場をつくることは叶わなかったが、誰一人欠けてはならないという展開にはなっていた。
 映画観終わってから隣のゲーセンのクレーンゲームでキュアマジェスティ取ろうとしたがダメだった…。

②『アリスとテレスのまぼろし工場』
 岡田麿里作品を映画館で観るのは初(TVシリーズも、『True Tears』全部と『あの花』3話までしか観ていないが…)。
 まずは冒頭、睦実のパンチラが2回も見れるだけでも十分元は取れると言えよう(同様に『君の名は。』もパンチラだけで十分元は取れていた)。冗談はさておき、この作品の肝(の一つ)はいわゆるエレクトラ・コンプレックスなのか? 正宗・睦実・五実の関係は、途中から分かるように親子関係の三角形であるが故にねじれていたのであった。娘の父への欲望、娘の母への嫉妬、母が禁じられた欲望を抱く娘に抱く怒り、など。
 ラストシーン、五実=咲はまぼろしの世界での自身の失恋に言及する。彼女はまぼろしの世界の記憶を保持したまま現実世界に戻ったのだろうか。そして年齢を経ることでまぼろしの過去を自身の中で終わらせたのだろうか。確かに自分の両親の学生時代の濃厚なキスは見たくはない…。男の方に恋していたのならなおさら。
 映像は美しい。膜(?)ひとつ隔てて隣り合う、まぼろしの世界の終わらない冬と現実世界の夏を映していく中盤~終盤が特に。

おまけ:『君たちはどう生きるか』
 実は公開初日に観てた。既に膨大な考察があるようだが、一応当時の雑感を挙げておく。
 まずは冒頭から背景の圧倒的精密さ、キャラクターの動きの滑らかさに打たれた。いつものジブリだ(と言っても映画館でジブリ映画を観るのは、リバイバル上映を除けば『コクリコ坂から』以来なのだが…)。
 主人公と同年代の女性が主要キャラに出てこないのも面白い(ヒミはそれに当たるかもしれないが、彼女の役割や口調も含めるとどうも違う気がする)。つまりショタ映画なのである。
 現実とは違う世界に入って戻って来るという筋書きでは『千と千尋の神隠し』に似る。ただ、仕事を通して成長した千尋と、今回の主人公眞人の変化の仕方は異なる。彼の動機はもっと私的なものだ(千尋は両親を救うため)。
 後、輪廻転生のある世界なのかとも思った。映画内ではっきりした描写はないものの、ワラワラの存在やヒミが死を恐れてないところからそう予想した。
 これはSNSで見かけたのだが、今回の作品は新海誠『星を追う子ども』への宮崎駿流の回答であると。確かに新海作品も地下世界に死者の復活を求めて遡行する話であり、そこでは死者の船が空を飛んでいた(宮崎作品では巨大な岩が)。明らかにジブリの影響が濃厚なこの新海作品に、今度はジブリが応答しているとしたら、実に面白い。
 80を過ぎた監督の作品とは思えぬ若々しい、荒々しい作品だった。次回作も期待してしまうではないか。

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