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【小説】いちごシロップ

 盆の前とはいえ学生子どもは既に夏休みに入っているのかどこに行ってもウザったく、楽しそうにしていた。有給の月曜日、手元の腕時計では現在十六時半。家の空気感にも堪えられないと久しぶりに海にでも回っていこうと考えたのが大きな失敗だった。役所から直帰すればこんな胡散臭い男には絡まれなかった筈だ。
「ね、ね、絶対損はサセないからサ!」
 エメラルドを基調にした派手なアロハシャツに薄いベージュの膝丈パンツ。サングラスの掛けられた明るい金髪とは対極と言えるほど焼かれた肌。この男は日サロにでも住んでいるのだろうか。とはいえ体格も良く背も高い。やんわりと断るようにしていたのではいつまでも振り切れないだろう。しょうがない。
「じゃあ、一杯だけ頂きます」
「ワオ! じゃアさっそくよういするネ~ン!」
「お願いします」
 用意と言っても何をするのか全く予想がつかない。そもそも改めて見ても何だこの氷旗のようなものは。ビーチで<水>など掲げて誰が魅力に感じる。しかも見間違いじゃなければ中央の店以外全部そんなことが書いてあった気がする。右端のこの店を起点に、水、水、水、水、氷、水、水、水、水。今の海の家は水が主流なのか。二十六にして早くも俺はトレンドに遅れることになってしまった。
「おまたセぇ~ン! おかネはいらないからゆ~っくりあじわっていってネ」
「ああ、はい、ありがとうございます。いただきます」
 見間違いじゃなければこの男普通に蛇口を捻っていたような。レモン水とかそういうのでもないのか。……飲みたくねぇ、けど飲まない訳にもいかない。
「ドウ?」
「……ん、あのー、おいしい水ですね」
 正直全くおいしくない。マズくも無いが、美味くも無い。強いて言うなら口馴染みのある味っぽいとは言える。ガキの頃に公園でよく飲んだカルキ臭い味。でもあの時は遊んだ後だからめちゃくちゃうまいって思って飲んでたんだよな。今で言う麦茶みたいなもんか。いきかえる~って言ってた。
「ソウでしょウ! デモね、わたシはちにんきょうだいでイチバンすえっコなの。オニイチャンたちはもっとオイシクつくレるから、となり、いってみテ!」
「はあ、そうなんですね。ありがとうございます。行ってみます。それじゃあ、ありがとうございました」
「はァ~い!」
 美味しくってなんだ水道水だぞ。狂ってんのかこの兄弟は。とはいえ面倒なことに背中に胡散臭い男の視線がざっくりと刺さっている。喉は乾いてるからいいっちゃいいけど、あのタイプが経営する残り七店舗など回ったのでは常日頃の心労が増すのは目に見えている。少なくとも次で撒きたい。
「あら、いらっしゃい。大方、弟にそそのかされて来たってトコかしら。まあ、ウチも無料だから一杯だけ付き合ってちょうだい」
「あはは……はい、じゃあ頂きます」
 幾分マシそうではある。ただやっぱり蛇口から水を出しているようにしか……ん?
「はい、どうぞ」
「えっと、これ、は、何味ですか?」
「飲んでみればわかるわよ」
 飲んでみればったってこれ泥水にしか見えないんだが。まあ、本当に泥水だったら吐き出していちゃもんつけて帰る口実になる。ええい。
「……ごフォッ、オエッ、エェッ! ゴフォッ、ゴフッ」
「あらあら」
 何だこれ、まるっきり泥水じゃねえか! しかも奥の方に変な雑草入ってるし、なんてもん出してくれてんだコイツ。こんな喉の奥まで泥入ったの中学の時以来だぞ。畦道で自転車に乗ったまま田んぼに突っ込んだんだったか。あん時助けてくれたのが……。
「大丈夫かしら」
「ぁぃじょうぶも何も、コフェッ、ンっ、んッ……ぁあ。何出してくれてんすか!」
「あららごめんなさいね。でもここではあなたにその水しか出せないから、口直しに隣にある兄の店に行ってちょうだい。ごめんなさいね」
「ふんっ」
 対応はまともだと思ったが品が全くまともじゃない。どうなってんだこの兄弟は。口の中だけ洗ったらさっさと帰ってやる。遠目に見た所今かき氷屋は店主がいないようだし。
「おお、凄いむせてる音聞こえたぞ。家の弟がすまんかったな。ちょっと待っててくれ、今から出すからな。ああ、お代は家もいらないから」
「はあ、なるべく早くお願いします」
 さっきもここまではまともだったんだが……。っていうかこの兄弟フォルムが同じというか気持ち悪い程そっくりだな。シャツの色が変わってるだけだ。さっきはピンク。こいつは赤。柄まで同じく揃えている。
「はいよ、一丁上がり」
「いただきます」
 一口目はうがいに使う。なんかここの店のは飲めないわけじゃないけど、しょっぱいというか。塩とまた違う、汗が口に入って来た時みたいな味だな。甲子園には結局行けなかったけど、高校時代、練習中によく垂れてきていたあの味に似ている。飲もうとする訳じゃないのに入ってしまうというか。あん時のマネージャー姿は可愛いかったな。
「なんか兄ちゃん気付かないかい」
「何がですか? あ、珍しい塩とか使ってます?」
「塩かどうかは解らねえよ。そうか、じゃあ次の店も行ってみるといい。絶対だぞ
「ああ……はい、じゃあ行ってみます」
 なし崩し的に四店舗目。半分か。次もまた同じような人が店主をやって……る。何か四人そろってこれだけ似てるんならなんかのテレビに出られるんじゃないだろうか。このペースだと残り四人も似てることになるぞ。
「いらっしゃいにゃ。システムは前と同じにゃ。座って待つにゃ」
「ふっ……! ああ、すいません、はい」
 そう来たか。いや、まあもうなんかどこに言及するとかはよそう。この兄弟は一度ツッコんだらきりがない。そういえばさっきの店舗の男が言っていたのはどういうことだったんだろう。シャツの色のことだろうか。
「おまちどうさまにゃ」
「はい、いただきます」
 ……。これは、粘性があるというか、いや、でもそんなはずは。なんて言えばいいんだろう。言葉では矛盾することになるんだろうけど、味はしないが甘酸っぱい。喉がむず痒いような、もっと欲しくなるような味。これは……。
「どうかにゃ?」
「……もしかして店員さんもこの味は自分ではわからないんですか」
「お、気付いたかにゃ? その通りにゃ。ぼくら兄弟がつくる水は客によって味が変わるにゃ」
「嫌な店ですね。……せっかく覚悟ができていたのに。こうなったら最後の店までいきますよ。ただ店員さんはその水絶対に飲まないで下さいね」
「ん~? その様子だと大学生頃に何かあま~い思い出でもあったのかにゃ?」
「茶化さないでください。とにかく、絶対ですよ」
「客によって変わるって言ったにゃのに。まあ飲まないようにするにゃ」
 間違いない。この兄弟がつくる水はどういう原理か飲んだ客の思い出を振り返らせる水だ。残りは四人。最後の兄弟がどんな水を作るのか、いや作らせられるのか、確認しないままには帰れない。
「んぱーっ! いらっしゃっ、んぱーっ!」
「一杯下さい」
「かしこまっ! んぱーっ!」
 人間はこうして見ると中々不思議なものだと思う。恐らく十分も前にこの男に出会っていたら口癖が気になって仕方が無かっただろうに、今俺が考えているのは次はいつの水が出てくるのだろうということだ。服の色などもここまで来ると興味が湧かない、と思いつつ、彼の色は藍色。さっきの猫店員は黄色だった。
「おおおおおまたっ、んぱーっ!」
「いただきます」
 これは、新婚旅行の時のか。滝を見に行ったときにそこで飲んだ水。ここら辺の水は自然が育ててくれているから力強くてきれいな水ができるんですよ、と店員のおばあちゃんが言っていた。確かにおいしいね、と、そういえばあの時はみたらし団子も頼んだんだったな。
「お味はどうかんぱーっ!」
「美味しいです。すごく。ありがとうございました」
「そうか、よかったんぱーっ!」
 今更ながらようやくまともな水を飲んだ気がする。こうしてみると水を振り返るだけでも人生が見えてくる部分があるな。でも汗はずるかった気がする。
「ああ……どうも……。水ですね……」
「はい、お願いします」
 暗。え、そうか兄弟って言うことはこの人たちも一緒に育ってるってことになるんだよな。どんな家庭なんだこの家は。少年時代がものすごく気になる。そういえば残りはこの人も入れて三人。さっきの記憶は三年前だから、それからは……。
「美味しいといいですね……」
「あ、はい、いただきます」
 これは水というよりも、酒の味に近い。先輩たちとの飲み会から帰ってきて、家で出してもらう、口の中に残った酒気を流し込むような。夜が遅くなっても、待っててはくれるんだよな。その間あいつは何をしてるんだろう。
「どうですか……」
「ん……ちょっと複雑な味です。ありがとうございました」
「そうですか……どうも……」
 今の味はもう、つい最近のものだ。家にお互いいても何も意識しないような、空気のような、どうしていいのかわからないような気持にさせる。不安にも近いような。
 残りは二人。その水を飲んだら当然家に帰る。俺はそれから、どうするんだろう。どうしたいんだろう。
「走れ! 車まで走って、取ってこい!」
「うぇ!? え、な、何をですか」
「迷ってるやつをだよ! 馬鹿が、この間抜けのウスノロが! クズ!」
 口悪いなぁ、車は丁度この店の近くだから別にいいけど。
「走れっつってんだよ何トロトロ歩いてんだ!」
「はいっ!」
 やばいなあの兄。えっと、鍵鍵。迷ってるやつって言うのは……。
「取ってきました」
「遅ぇんだバカ! ああ言っとくけどお前みたいな奴に俺は水、飲ませねえぞ」
「え」
「貸せ! 飲ませねえけどくれてはやる!」
「えっ、ちょあっ! 何するんですかせっかく役所まで」
「いいかよく見とけよ。これを使ってお前が何したいのかお前の代わりに俺が見せてやる。……フン、ほれ見ろバカが」
「え」
 確かに俺はこの男に離婚届の用紙を渡した筈だ。ところが濡らされた用紙には愛情再確認用と書いてある。
「大方倦怠期が来てキツくなったとかだろ。それでこんな薄っぺらい紙を貰いに行ってきた訳だ。俺は離婚したいんだぁとか思って。馬鹿か。お前が本当はこの紙で何したかったか教えてやろうか。嫌です離婚したくないですあなたが好きですって言って欲しかったんだろ。自分では何にも恥ずかしくて言えないから。あ?」
「……」
 全くの図星だ。
「因みに今までに来させた客四人中お前と同じように出たのは一人だけだったよ。残り三人は暴力恐怖、飽き、浮気発覚って出てたな。お前みたいなのはまだ幸せのうちってこった。分かったら次の水飲んでさっさと帰れ」
「……はい、わかりました。ありがとうございまうわっ」
「うるせえバカさっさと行け!」
 何も唾吐きかけることは無いだろうに。でも、少しだけ何かがスッキリした。とはいえ何をすればいいのかは分からない。最後の店では、何を出してもらえるんだろう。
「……」
「あの、お水、頂けますか」
「……」
 寡黙だな……。
「……」
「あ、どうも、いただきます」
 ……? なんだろう、この水は。何の味もしない。
「飲んだな?」
「え、あ、はい」
 喋るのか。
「それ、何の水だと思う?」
「えっと、すいません、ちょっと分からないです」
「それはな、飲むと思ってることが全部口から出るんだよ」

「きみから誘ってもらえるなんて、本当に久しぶりだね」
「うん。丁度今日ここで花火大会あるっていうから、一緒に見たいなって思って」
 手元の腕時計では現在十八時半。開始三十分前でもビーチは花火客で目一杯に混んでいて、離れないように久しぶりに手を繋いだ。
「懐かしいね。大学いた時もここの花火大会見に来たんだよね」
「そうそう。それで俺が」
「ちょっ、待って。待った方がいいと思うな。今日なんか帰ってきてから凄い喋るし、多分言わなくていいこと言おうとしたでしょ」
 全く以てその通りで、あの水を飲んでから頭ではわかっていても歯止めが利かなくなった。因みにどういう訳かあの兄弟の店はまるで初めから無かったかのように消えている。
「ごめんごめん。でもなんか、今日は凄く好きって伝えたい気分なんだ」
「もう……。そういうのは家に帰ってからにしてね。あっ、そうだ、せっかく来たんだからさ、暑いし久しぶりにかき氷でも食べようよ」
「ああ、そうしようか」
 ずっと変わらずかわいい君。好みの味は、彼らの助けを得ずとも覚えている。


おはようございます、こんにちは、こんばんは。
又ははじめまして!えぴさんです。

今回はこちらの企画、

氷と水の芸術祭」によせて書かせて頂きました。
お読みいただきありがとうございます。

お題の抽象度が高い分
作者の力量が試されているようで若干怖くもあり。
楽しんでもらえたなら幸いです!

それではまたお会いしましょう、
以上えぴさんでした!

創作の原動力になります。 何か私の作品に心動かされるものがございましたら、宜しくお願いします。