見出し画像

人はなぜ滅びるのか

はじめに

聖書は、人の滅びについて語っています。

神様は、人を滅ぼしたいのでしょうか

いいえ。

テモテへの手紙 第一
2:4 神は、すべての人が救われて、真理を悟るに至ることを望んでおられる。

神様は、すべての人が救われることを望んでおられます。

それなら、なぜ人は滅びるのでしょうか。

これはとても大切なことですから、ご一緒に聖書から確認してみましょう。

人の選択権

先ほどの聖句にあったように、神様は、どのような人が滅びることも望んではおられません。

仮に、神様が一方的に人の運命を選ぶのだとしたら、すべての人が救われることを選ぶでしょう。

そうなさらないのは、人に選択権があるからです。
人には自由意志が与えられており、神の愛に応答できるからこそ、愛が成立するのです。

私たちは選ぶことができます、何のために生きるかを。仕事、趣味、地位、評判、富、あるいは自慢するため、安心するため、快楽のために生きることができます。

それらすべてを手に入れた人がいます。ソロモン王です。
彼は最後に何と言ったでしょう。

伝道者の書
12:7 ちりは、もとのように土に帰り、霊はこれを授けた神に帰る。
12:8 伝道者は言う、「空の空、いっさいは空である」と。

空っぽの人生であると言っています。死んだら終わりだからです。

ところが、この世界にはたった一つだけ、良いものがあるのです。

ルカの福音書
10:42 しかし、必要なことは一つだけです。マリアはその良いほうを選びました。それが彼女から取り上げられることはありません。」

聖書 新改訳2017 ©2017 新日本聖書刊行会

それは、神の教えに聞き従うことです。人にはこれを選ぶ権利があり、その選びを神が取り上げることはありません。

人はなぜ滅びるのか

人の選択権を正しく理解するなら、人がなぜ滅びるかがわかってきます。

実のところ、その理由は聖書に繰り返し書かれています。

申命記
8:20 主があなたがたの前から滅ぼし去られる国々の民のように、あなたがたも滅びるであろう。あなたがたの神、主の声に従わないからである。

申命記
28:45 このもろもろののろいが、あなたに臨み、あなたを追い、ついに追いついて、あなたを滅ぼすであろう。これはあなたの神、主の声に聞き従わず、あなたに命じられた戒めと定めとを、あなたが守らなかったからである。

イザヤ書
1:28 しかし、そむく者と罪びととは共に滅ぼされ、主を捨てる者は滅びうせる。

ルカの福音書
13:3 あなたがたに言うが、そうではない。あなたがたも悔い改めなければ、みな同じように滅びるであろう。

使徒の働き
3:23 彼に聞きしたがわない者は、みな民の中から滅ぼし去られるであろう』。

人が滅びる理由はただ一つ、神の教えに聞き従わないからです。

悪を行う者は、命の木から遠ざけられる

創世記
3:22 主なる神は言われた、「見よ、人はわれわれのひとりのようになり、善悪を知るものとなった。彼は手を伸べ、命の木からも取って食べ、永久に生きるかも知れない」。
3:23 そこで主なる神は彼をエデンの園から追い出して、人が造られたその土を耕させられた。
3:24 神は人を追い出し、エデンの園の東に、ケルビムと、回る炎のつるぎとを置いて、命の木の道を守らせられた

アダムが罪を犯したことで、人は善だけでなく、悪も知るようになりました。それ以来、アダムから受け継いだ肉の性質のゆえに、人は悪を選びやすくなっているのです。

もしも、悪を選んだ人が、永久に生きることになったらどうでしょう。

私たちにはわかりませんが、神様はその悲惨さを知っておられるのです。
それで、悪を選んだ人が永久に生きることがないように、命の木への道が断たれました。
神は配慮されたのです。

命の木にあずかる方法

ヨハネの黙示録
2:7 耳のある者は、御霊が諸教会に言うことを聞くがよい。勝利を得る者には、神のパラダイスにあるいのちの木の実を食べることをゆるそう』。

悪に勝利し、正しく生きる人だけが、命の木にあずかることができます。

そのために、二つの方法が用意されています。古い契約と、新しい契約です。どちらも、勝利を得る方法を提示するものです。

古い契約は、罪とは何であるかを教える十戒じっかいを守って、悪から離れるというものでした。

申命記
4:13 主はその契約を述べて、それを行うように、あなたがたに命じられた。それはすなわち十誡であって、主はそれを二枚の石の板に書きしるされた。

これは人間主体の契約であり、自力で義を獲得するというものです。
そして残念ながら、人には不可能な方法でした。この方法は、むしろキリストの必要性を私たちに感じさせるためのものだったのです。

一方、新しい契約は、聖霊によって十戒じっかいを心に書き記していただき、神の力で守れるようにしていただくというものです。

ヘブル人への手紙
8:10 わたしが、それらの日の後、イスラエルの家と立てようとする契約はこれである、と主が言われる。すなわち、わたしの律法を彼らの思いの中に入れ、彼らの心に書きつけよう。こうして、わたしは彼らの神となり、彼らはわたしの民となるであろう。

これは神様主体の契約であり、神の力で義を獲得するというものです。

注意してほしいのは、どちらの方法も、律法を確立し、義を得ることが目的であるという点です。

義を獲得する

義と義認は違います。
義認とは、不法をゆるされ、罪を見なかったことにしてもらうことです。
一方、義とは、罪を犯さず、義を行うようになることです。

ヨハネの手紙 第一
3:6 キリストにとどまる者はだれも、罪を犯しません。罪を犯す者はだれも、キリストを見たこともなく、知ってもいません
3:7 幼子たち、だれにも惑わされてはいけません。義を行う者は、キリストが正しい方であるように、正しい人です
3:8 罪を犯している者は、悪魔から出た者です。悪魔は初めから罪を犯しているからです。その悪魔のわざを打ち破るために、神の御子みこが現れました。

聖書 新改訳2017 ©2017 新日本聖書刊行会

これが聖書の本当の教えです。
新しい契約によって、人は罪を犯さない者になれるのです。

そのためには、律法に心から服従し、義とされることを信じなければなりません。
そうするなら、誰でも価なしに、罪から解放され、義を行う者となれるのです。

ローマ人への手紙
6:17 神に感謝します。あなたがたは、かつては罪の奴隷でしたが、伝えられた教えの規範に心から服従し、
6:18 罪から解放されて、義の奴隷となりました

聖書 新改訳2017 ©2017 新日本聖書刊行会

聖書の教える「恵み」とはこのことです。
律法を守らなくてよくなることではありません。
律法を守れるようになること、それが恵みなのです。

ヨハネの黙示録
22:11 不義な者はさらに不義を行い、汚れた者はさらに汚れたことを行い、義なる者はさらに義を行い、聖なる者はさらに聖なることを行うままにさせよ」。
22:12 「見よ、わたしはすぐに来る。報いを携えてきて、それぞれのしわざに応じて報いよう。
22:13 わたしはアルパであり、オメガである。最初の者であり、最後の者である。初めであり、終りである。
22:14 いのちの木にあずかる特権を与えられ、また門をとおって都にはいるために、自分の着物を洗う者たちは、さいわいである。

神の教えに逆らうなら滅びる

「滅び」とは、罪人の自然な結果なのです。神様が滅ぼしたいのではなく、その人が命の木に来ようとしなかったから滅ぶのです。

すべての人は招かれています。神が救いたいと思っておられるのは、全員です。

マタイの福音書
22:2 「天国は、ひとりの王がその王子のために、婚宴を催すようなものである
22:3 王はその僕たちをつかわして、この婚宴に招かれていた人たちを呼ばせたが、その人たちはこようとはしなかった。

全員が招かれているのです。
その招きに応じましょう。世のことにかかりきりでは、この招きに応じることはできません。

思い出してください。この世界のすべてを手に入れたとしても、「空の空」です。
良いものはたった一つだけしかありません。
神の教えに聞き従うことです。

伝道者の書
12:13 結局のところ、もうすべてが聞かされていることだ。神を恐れよ。神の命令を守れ。これが人間にとってすべてである。

聖書 新改訳2017 ©2017 新日本聖書刊行会

イエス・キリストの働き

しゅが人として来てくださったのは、私たちを滅びから救うためです。

ヨハネの福音書
3:16 神はそのひとり子を賜わったほどに、この世を愛して下さった。それは御子を信じる者がひとりも滅びないで、永遠の命を得るためである。

私たちは神の教えを無視して生きていました。
そんな私たちのために、しゅが身代わりとなって、死んでくださったのです。
ゆえに、神の教えを守ってこなかった人でも、救いにあずかることができるのです。

救いとは、神の教えを守って、命を得ることです。

ペテロの手紙 第一
2:24 キリストは自ら十字架の上で、私たちの罪をその身に負われた。それは、私たちが罪を離れ、義に生きるため。その打ち傷のゆえに、あなたがたは癒やされた。

聖書 新改訳2017 ©2017 新日本聖書刊行会

私たちが罪を離れ、義に生きるために、しゅは死なれたのです。
この方の死を無駄にしてはいけません。

おわりに

人が滅びる理由は、神の教えに聞き従うことを選ばないからです。

神の教えは、人が幸せに生きる方法を私たちに教えてくれます。
これを束縛だと思わせるサタンのわなにはまらないでください。
この教えにこそ、愛、喜び、平安があるのです。

  1. 神のほかに神があってはならない。

  2. 偶像を造ってはならない。

  3. 神の名をみだりに唱えてはならない。

  4. 安息日を聖とせよ。

  5. 父と母を敬え。

  6. 殺人をしてはならない。

  7. 姦淫かんいんをしてはならない。

  8. 盗んではならない。

  9. 偽証してはならない。

  10. 隣人のものをむさぼってはならない。

人類が地を管理できなかったのは、この教えに従わなかったからです。

「殺人をしてはならない」と書いてあるのに、大量破壊兵器を作り、「隣人のものをむさぼってはならない」と書いてあるのに、必要のないものまで求め、環境を破壊し、勝手に滅びようとしているのです。

客観的に地球を見るなら、なんと愚かな種族でしょう。

神の律法は、私たちを滅びから救い、罪から離れさせ、神の民とするために与えられたものです。それに感謝もせず、無視するなら、滅びてしまいます。

この律法を守れるように、しゅは私たちの心にこれを書き付けようと言ってくださるのです。この新しい契約を喜ぶ人々を、しゅは集めようとしておられます。しゅは間もなく来られます。

今こそ、聖書の正しい教えに立ち返りましょう。
正しいのは、いつだって聖書だからです。

(気に入った記事はSNSでシェアしていただければ幸いです)

こちらの記事も参考にどうぞ。