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聖書には何が書いてあるのか

はじめに

聖書には一体、何が書かれているのでしょうか。

気になりますね。

一言で言うなら、こうです。「イエス・キリストは愛なる神である」

ヨハネの福音書
5:39 あなたがたは、聖書の中に永遠の命があると思って調べているが、この聖書は、わたしについてあかしをするものである。

愛なる神、イエス・キリスト

聖書は、イエス・キリストが私たちの創造主であることを教え、この方が私たちを愛してくださっていることを知らせてくれます。

この方によらずにできたものはありません。ゆえに、私たち全員が、この聖書の神に関係しているのです。

ヨハネの福音書
1:3 すべてのものは、これによってできた。できたもののうち、一つとしてこれによらないものはなかった。

世はサタンの支配にある

アダムが罪を犯して以来、私たち人類はサタンに属してしまいました
それで、すべての人が罪の性質を持って生まれてくるようになったのです。

ヘブル人への手紙
9:27 そして、一度だけ死ぬことと、死んだ後さばきを受けることとが、人間に定まっているように、

人には全員、死と、裁きが定まっています。
サタンに属する私たちは、当然、無罪を獲得できず、有罪とされてしまいます。
私たちが些細ささいと思う罪も、天ではあり得ないことなのです。

マタイの福音書
5:22 しかし、わたしはあなたがたに言う。兄弟に対して怒る者は、だれでも裁判を受けねばならない。兄弟にむかって愚か者と言う者は、議会に引きわたされるであろう。また、ばか者と言う者は、地獄の火に投げ込まれるであろう。

私たちの希望

感謝なことに、愛なる神は、私たちが再び創造主の支配に入る方法を提示してくださいました。

この創造主に属するなら、私たちはこの方をと呼ぶことができます。また、罪から解放する救い主と呼ぶことができます。やがて来る花婿はなむこと呼び、婚約者となることができます。歩みを導いてくださる助け主と呼ぶこともできるのです。

創り主救い主助け主
御子みこ御霊みたま
これは常に同じ方を指しています。すなわち、イエス・キリストです。

テモテへの手紙 第一
2:5 神は唯一であり、神と人との間の仲保者もただひとりであって、それは人なるキリスト・イエスである

人の幸せを願う神

死後の裁きを無罪で通過させるために、愛なる神は二つのことをしてくださいました。

一つは、神であるキリストご自身が人として来られ、私たちの罪を負って死んでくださったことです。

もう一つは、私たちが罪を離れ、義に生きるようにしてくださったことです。

ペテロの手紙 第一
2:24 キリストは自ら十字架の上で、私たちの罪をその身に負われた。それは、私たちが罪を離れ、義に生きるため。その打ち傷のゆえに、あなたがたは癒やされた。

聖書 新改訳2017 ©2017 新日本聖書刊行会

これを福音と言います。こうして、神の国が私たちに訪れるのです。

とてもすばらしい恵みですが、神は、この救いを強要なさいません。
私たちが自ら神に属することを選ぶときに、この救いが与えられるのです。

神に属する人

神に属する人を、聖書は神の民と呼びます。この人たちは、神の教えに忠実に従う人たちです。

出エジプト記
19:5 今、もしあなたがたが確かにわたしの声に聞き従い、わたしの契約を守るなら、あなたがたはあらゆる民族の中にあって、わたしの宝となる。全世界はわたしのものであるから。
19:6 あなたがたは、わたしにとって祭司の王国、聖なる国民となる──

聖書 新改訳2017 ©2017 新日本聖書刊行会

聞き従うべき声、守るべき契約は、十戒じっかいとして与えられています。
これは神の義を示すものであり、この律法に違反することが、なのです。

ヨハネの手紙 第一
3:4 罪を犯している者はみな、律法に違反しています。罪とは律法に違反することです

聖書 新改訳2017 ©2017 新日本聖書刊行会

従わないなら、神の民ではなくなります。そのような人には、神の怒りがとどまると教えられています。

使徒の働き
3:23 彼に聞きしたがわない者は、みな民の中から滅ぼし去られるであろう』。

ヨハネの福音書
3:36 御子を信じる者は永遠の命をもつ。御子に従わない者は、命にあずかることがないばかりか、神の怒りがその上にとどまるのである」。

世の終わり

聖書は、イエス・キリストが再び来て、義人を集めるとともに、サタンに属する人々を火で焼き尽くすと教えています。

マタイの福音書
13:49 世の終りにも、そのとおりになるであろう。すなわち、御使たちがきて、義人のうちから悪人をえり分け
13:50 そして炉の火に投げこむであろう。そこでは泣き叫んだり、歯がみをしたりするであろう。

このとき、私たちは義人となっていなければなりません。

義人とは、神の教えに忠実に歩む人たちのことです。けっして、過ちを犯さない人のことではありません。私たちの過ちは、悔い改めるなら、何度でもゆるしていただけます。

そして、安心してください。
義としてくださるのは、神です。

私たちが忠実に歩もうとするなら、必ず神の助けがあり、義人にしていただけると聖書は約束しているのです。

ローマ人への手紙
5:19 すなわち、ひとりの人の不従順によって、多くの人が罪人とされたと同じように、ひとりの従順によって、多くの人が義人とされるのである

おわりに

聖書は、神が私たちを愛していることについて、熱心に語る本です。

すべての人は、サタンの支配から脱して、この愛なる神の支配に帰ることを選べます。

神の教えに従うなら、神の民となり、従わないなら、神の民ではなくなる
この原則を覚えてください。

伝道者の書
12:13 結局のところ、もうすべてが聞かされていることだ。神を恐れよ。神の命令を守れ。これが人間にとってすべてである。

聖書 新改訳2017 ©2017 新日本聖書刊行会

裁きが怖いから、従うのではありません。
聖書を読んで、イエス・キリストと出会うなら、この方に感謝せずにはいられなくなるのです。愛の応答をせずにはいられなくなるのです。

こうして、私たちは救われるのです。すべては恵みであり、与えられたものです。
私たちの功績は一切ありません。

テモテへの手紙 第二
3:16 聖書は、すべて神の霊感を受けて書かれたものであって、人を教え、戒め、正しくし、義に導くのに有益である。

私たちを教え、戒め、正しくし、義に導く本。それが聖書です。
もう、すべては用意されているのです。あとは私たちが手を伸ばして、それを受け取りさえすればいいのです。

闇の中にとどまらないで、光の中へ出て行きましょう。
あなたの幸せは聖書にあります。
正しいのは、いつだって聖書だからです。

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