聖書には何が書いてあるのか
はじめに
聖書には一体、何が書かれているのでしょうか。
気になりますね。
一言で言うなら、こうです。「イエス・キリストは愛なる神である」
愛なる神、イエス・キリスト
聖書は、イエス・キリストが私たちの創造主であることを教え、この方が私たちを愛してくださっていることを知らせてくれます。
この方によらずにできたものはありません。ゆえに、私たち全員が、この聖書の神に関係しているのです。
世はサタンの支配にある
アダムが罪を犯して以来、私たち人類はサタンに属してしまいました。
それで、すべての人が罪の性質を持って生まれてくるようになったのです。
人には全員、死と、裁きが定まっています。
サタンに属する私たちは、当然、無罪を獲得できず、有罪とされてしまいます。
私たちが些細と思う罪も、天ではあり得ないことなのです。
私たちの希望
感謝なことに、愛なる神は、私たちが再び創造主の支配に入る方法を提示してくださいました。
この創造主に属するなら、私たちはこの方を父と呼ぶことができます。また、罪から解放する救い主と呼ぶことができます。やがて来る花婿と呼び、婚約者となることができます。歩みを導いてくださる助け主と呼ぶこともできるのです。
創り主、救い主、助け主。
父、御子、御霊。
これは常に同じ方を指しています。すなわち、イエス・キリストです。
人の幸せを願う神
死後の裁きを無罪で通過させるために、愛なる神は二つのことをしてくださいました。
一つは、神であるキリストご自身が人として来られ、私たちの罪を負って死んでくださったことです。
もう一つは、私たちが罪を離れ、義に生きるようにしてくださったことです。
これを福音と言います。こうして、神の国が私たちに訪れるのです。
とてもすばらしい恵みですが、神は、この救いを強要なさいません。
私たちが自ら神に属することを選ぶときに、この救いが与えられるのです。
神に属する人
神に属する人を、聖書は神の民と呼びます。この人たちは、神の教えに忠実に従う人たちです。
聞き従うべき声、守るべき契約は、十戒として与えられています。
これは神の義を示すものであり、この律法に違反することが、罪なのです。
従わないなら、神の民ではなくなります。そのような人には、神の怒りが留まると教えられています。
世の終わり
聖書は、イエス・キリストが再び来て、義人を集めるとともに、サタンに属する人々を火で焼き尽くすと教えています。
このとき、私たちは義人となっていなければなりません。
義人とは、神の教えに忠実に歩む人たちのことです。けっして、過ちを犯さない人のことではありません。私たちの過ちは、悔い改めるなら、何度でも赦していただけます。
そして、安心してください。
義としてくださるのは、神です。
私たちが忠実に歩もうとするなら、必ず神の助けがあり、義人にしていただけると聖書は約束しているのです。
おわりに
聖書は、神が私たちを愛していることについて、熱心に語る本です。
すべての人は、サタンの支配から脱して、この愛なる神の支配に帰ることを選べます。
神の教えに従うなら、神の民となり、従わないなら、神の民ではなくなる。
この原則を覚えてください。
裁きが怖いから、従うのではありません。
聖書を読んで、イエス・キリストと出会うなら、この方に感謝せずにはいられなくなるのです。愛の応答をせずにはいられなくなるのです。
こうして、私たちは救われるのです。すべては恵みであり、与えられたものです。
私たちの功績は一切ありません。
私たちを教え、戒め、正しくし、義に導く本。それが聖書です。
もう、すべては用意されているのです。あとは私たちが手を伸ばして、それを受け取りさえすればいいのです。
闇の中に留まらないで、光の中へ出て行きましょう。
あなたの幸せは聖書にあります。
正しいのは、いつだって聖書だからです。
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