はじめに
聖書には、神の民とか、聖なる国民という言葉が出て来ます。
これは誰のことを指しているのでしょうか。
一体誰が、神によって聖なる民とみなされるのでしょうか。
ご一緒に、聖書から確認してみましょう。
聖書の教える聖なる民
聖なる民となるには、条件があります。
聖書は、神の契約を守る人が、聖なる民なのだと教えています。
契約とは、具体的に何でしょう。
それは十戒であると書かれています。
ですから、十戒を守る人が、聖なる民なのです。
エレミヤの預言
神は十戒を与え、彼らを神の民としました。
その後、彼らはどうなったでしょう。
人々は聞き従わず、だんだんと悪に傾いていきました。
それでも主は人類を見捨てず、預言者たちを遣わしました。
しかし──
このことは、イエス様によって、わかりやすく例えられています。
主は最後まで人類を見捨てなかったのです。
その証拠に、預言者エレミヤに次のような預言が与えられました。
エレミヤの預言の成就
神の子キリストは地上に来られ、人々の罪を負って死なれました。
それは、私たちのためでした。
この約束どおり、キリストは去って行かれ、助け主なる聖霊をお与えになりました。
そうして、エレミヤの預言は成就したのです。
新約とは、私たちの心に十戒が書かれ、私たちが神の民となることです。
十戒を拒絶する人には、この契約は与えられません。
キリストの律法
十戒を守る人が、神の民です。
その十戒は、殺人や姦淫を罪だと教えています。
では、どこまでが殺人、どこまでが姦淫なのでしょうか。
この基準こそが、キリストの律法です。
自分のために金や時間を使う人はたくさんいますが、それと同じ量の金や時間を、人のために使う人はどれほどいるでしょうか。
これらの基準は、心を新たにされなければ、決して守れません。
十戒を守る人になるには、日々、キリストによって新しくされる以外にはないのです。
おわりに
聖書によれば、心においても十戒を守る人、それが神の民です。
この基準はとても高いものですが、キリストによって新約を受け、心に律法が書き付けられるなら、私たちは神の民、聖なる国民となれるのです。
その認識を持って、聖書を読みましょう。
繰り返しますが、心においても十戒を守る人が、神の民です。
この認識がなければ、私たちは十戒を無視する者となってしまいます。実際、間違った教えのために、十戒を守っていないクリスチャンがなんと多いことでしょう。
今、聖書の正しい教えに立ち返りましょう。
正しいのは、いつだって聖書だからです。
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