マガジンのカバー画像

よちよちクリスチャンの聖書ノート

198
幼子のようなクリスチャンの私が、幼子のような目で聖書から発見した真理をお伝えします。
運営しているクリエイター

#信仰

聖書は本当は何と言っている?

聖書、それは一体誰のものでしょう。 聖書自身が次のように教えています。 世の中にはたくさんの聖書解釈があります。そして、それらは必ずしも一致するものではありません。そんな教派の一つを、自分の信じるものとして採用してしまってもいいものでしょうか。イエス様の時代、パリサイ派とサドカイ派、どちらが正しかったでしょう。 残念ながら、どちらも間違っていました。 人々が真理に立つには、主流派の神学から脱出する以外になかったのです。 正しいのは、神の言葉、聖書だけです。つまり、私たち

癒やされる人、癒やされない人

はじめに聖書には、イエス・キリストによる癒やしの奇跡がたくさん書かれています。 ところが、イエス様でさえ癒やせなかった人たちが聖書には出てきます。 それは誰でしょうか。なぜ癒やせなかったのでしょうか。 そもそも、癒やしとは一体、何だったのでしょうか。 これはとても大切なことですから、ご一緒に聖書から確認してみましょう。 癒やされなかった人たち癒やされなかった人たち。それはナザレの人々です。彼らは幼少期のころからイエス様を見てきた人たちです。まさか自分たちの知人がメシア

人はなぜ滅びるのか

はじめに聖書は、人の滅びについて語っています。 神様は、人を滅ぼしたいのでしょうか。 いいえ。 神様は、すべての人が救われることを望んでおられます。 それなら、なぜ人は滅びるのでしょうか。 これはとても大切なことですから、ご一緒に聖書から確認してみましょう。 人の選択権先ほどの聖句にあったように、神様は、どのような人が滅びることも望んではおられません。 仮に、神様が一方的に人の運命を選ぶのだとしたら、すべての人が救われることを選ぶでしょう。 そうなさらないのは

人は何によって救われるのか

はじめに今回は、「人は何によって救われるのか」という大切な話です。 結論から言えば、「信仰と恵みによる」という言葉のニュアンスを、私たちは見直さなければならないときにきています。 もともとの教えはヘブライ語かつてイエス様は、人々に向かって、聖書には何が書かれていたのかを教えて回りました。 その聖書とは、旧約聖書です。 これはヘブライ語で書かれたものでした。 イエス様が天に昇られてからは、弟子たちがその教えを宣べ伝えました。 やがてそれらは紙に書かれ、今では新約聖書と

本物の信仰とは

はじめに聖書は、御子であるイエス・キリストを信じるなら、その人は永遠の命を得るのだと教えています。 何という恵みでしょう。 しかし注意してください。 多くのクリスチャンが、「御子を信じる者」に該当していない可能性があります。 これはとても大切なことですから、慎重に聖書から確認してみましょう。 御子を信じる者とは誰か「御子を信じる者」とは誰でしょう。 イエス・キリストが歴史上の人物であることを信じる人はたくさんいます。 その人たちが全員「御子を信じる者」でしょうか。

偽物クリスチャンだった私

はじめに私は長年、偽物のクリスチャンでした。 聖書は、このような偽クリスチャンについて、はっきりと教えています。 私たちが滅びないために、主はこれらの言葉を残されたのです。 今日、慎んで、主の言葉を受け取りましょう。 罪についての基準イエス様は、罪について、次のような基準を語られました。 このような言葉について、十字架の贖いのゆえに、守らなくてもよくなったと私は思っていました。 「これらは人には不可能な基準だから、赦してもらうしかないことを教えるために、イエス様はこ

マフィアの信仰

はじめにマフィアの中には、イエス・キリストの贖いを信じる人がたくさんいます。 彼らは、自分たちの罪が赦されることを確信し、天国に行けることを心から信じて、安心して麻薬取引や殺人を行っているのです。 もちろん彼らは、キリストが自分たちの罪の身代わりとなって死に、墓に葬られ、三日目によみがえったことを心から信じています。 このような信仰について、聖書は何と言っているでしょうか。 とても大切なことですから、ご一緒に確認してみましょう。 世の終わりについての教え多くの教会は

「信じるだけで救われる」の正体

はじめに「信じるだけで救われる」という教えを聞いたことがあるでしょうか。 「もちろん聞いたことがある」と多くのクリスチャンが答えるでしょう。 しかし、それは聖書のどこに書いてありますか? これに答えられる人がいるでしょうか。 大学受験のたとえある日、弟が兄にこう尋ねます。 「兄さん、ぼくは大学に入りたいのだけど、どうしたら入れるの?」 兄が正しい人なら、次のようなことを教えるべきでしょう。 行きたい大学に入学願書を出すこと。 勉強をして備えること。 試験を受

信仰の回復

はじめに私たちクリスチャンは、律法を守ることによって救われるのではありません。 とはいえ、律法を守らない人が救われることもありません。 このことについて、一度きちんと聖書から確かめてみましょう。 信仰とは何か救いには信仰が必要であることを、皆さんご存じだと思います。 では、その信仰とは何でしょうか。 信仰とは、望んでいる事柄、及び、見ていないものを確信することです。 では、望んでいる事柄とは何でしょう。 パウロは次のように書いています。 御霊の助けにより、信仰によ

行いを土台とせよという教え

はじめに救いは行いによるのではないとはっきり聖書に書かれています。 にもかかわらず、行いを土台とせよと教える人がいます。 一体、誰がそんなことを教えているのでしょうか。 これはとても重要なことですから、ご一緒に聖書から確認してみましょう。 行いを土台とせよという教えそう教えているのは、イエス様です。 比べられているのは、「言葉を聞いて行う者」と、「言葉を聞いても行わない者」です。 もしこの箇所を、「御言葉を土台とせよ」とか、「イエス様を土台とせよ」と解釈していたの

私が日曜礼拝をやめた理由

はじめにかつて私は日曜礼拝を行っていましたが、今は行っていません。 代わりに、日々の礼拝と、安息日を守っています。 こう言うと、多くのクリスチャンが違和感を持つことはわかります。 私もそうでした。 それでも、私は日曜礼拝をやめました。ちゃんとした理由があってのことです。 その理由について、皆さんも知っておいて損はないと思います。 安息日を守る人への以前の印象前々から、安息日を守る人たちがいることは知っていました。 私はそれを、一般的でない、奇妙な習慣のように思っていまし

いらないですか、神の戒めを守る権利

はじめにクリスチャンの中には、神の戒めを守っている人と、守っていない人がいます。 概ね、それは通っている教会の教えで決まるようです。 かつての私は、神の戒めを守らないクリスチャンでした。 律法は廃された、互いに愛し合えばそれでいい、そう教えられていたからです。 しかし、今は守っています。聖書を読んで、守りたいと思うようになったからです。 あなたは、神の戒めを守っているでしょうか。 そもそも、神の戒めとは何か、知っているでしょうか。 ご一緒に聖書から確認してみましょう