人は何によって救われるのか
はじめに
今回は、「人は何によって救われるのか」という大切な話です。
結論から言えば、「信仰と恵みによる」という言葉のニュアンスを、私たちは見直さなければならないときにきています。
もともとの教えはヘブライ語
かつてイエス様は、人々に向かって、聖書には何が書かれていたのかを教えて回りました。
その聖書とは、旧約聖書です。
これはヘブライ語で書かれたものでした。
イエス様が天に昇られてからは、弟子たちがその教えを宣べ伝えました。
やがてそれらは紙に書かれ、今では新約聖書としてまとめられています。
ここで注意してください。
ヘブライ語の教えが、イエス様によって解説され、ギリシャ語で紙に書かれたのです。
当然、ヘブライ語の単語の中には、ギリシャ語に存在しない単語もあります。
「エムナ」という単語がそうです。
信仰と訳された言葉
信仰、信仰、と私たちは言いますが、驚くことに、旧約聖書には「信仰」という言葉は出てきません。
ただ一箇所だけ、「信仰」と訳される箇所があるだけです。
ヘブライ語の「エムナ」という単語が、ただ一箇所、ここだけ「信仰」と訳されているのです。
理由は、新約聖書でこの箇所が引用されており、その際に「信仰」と訳されているからです。
しかし、これでいいのでしょうか。
先にあったのは旧約聖書のほうです。これでは順番が逆ではありませんか。
エムナの意味
「義人はエムナによって生きる」これがもともとの教えです。
ハバクク書のこの聖句は、新約聖書で三度も引用されています(ローマ1:17、ガラテヤ3:11、ヘブル10:38)。救いに関して、とても重要な聖句だからです。
エムナの直接の意味は、堅さ、固定、しっかりしていることです。
また、「真実」「忠実」という意味も持っています。
これらがエムナの意味です。
驚くことに、「信じる」という意味でエムナが使われる箇所は、一箇所もないのです。
ギリシャ語への置き換え
「エムナ」と同じ意味を持つ単語は、ギリシャ語にはありませんでした。
それで仕方なく、「ピスティス」という単語が採用されました。
ピスティスの意味はこうです。
忠実、真実、信仰、信じる。
「忠実」「真実」まではいいのですが、ここで「信仰」「信じる」の意味が混じってしまったのです。
けれど本来、そのような意味は旧約聖書にありませんでした。
弟子たちは「忠実」また「真実」という意味で、ピスティスを採用したのです。
「義人はエムナによって生きる」
当然、ヘブライ語の分かる弟子たちは、この意味を正しく理解していたことでしょう。
私たちも、この意味を回復しなければなりません。
「義人は忠実によって生きる」そう教えられていたのです。
行いのない信仰
「義人は忠実(エムナ)によって生きる」この教えの中に、「行いは不要」という余地はありません。行いがないなら、それは忠実とは言えないからです。
行いのない信仰は、ヘブライ語のエムナが、ギリシャ語のピスティスに置き換わっていく過程で生まれたものと想像できます。
そのような間違った考え方を、聖書は厳重に注意しています。
おわりに
人は、恵みにより、信仰によって救われると聖書は教えています。
ただし、この「信仰」という言葉は、ヘブライ語の「エムナ」から来ており、その意味は「真実」また「忠実」であることを忘れてはいけません。
人は、恵みにより、忠実によって救われるのです。
「義人はエムナによって生きる」
死ぬべき運命にあった私たちは、エムナによって、生きることが可能となるのです。
なぜなら、そのような人を、イエス様は救ってくださると書いてあるからです。
「信じるだけ」という教えは、聖書とはかけ離れた教えです。
これが聖書の教えです。
ともに、いっそう従順でいて、救いの達成に努めましょう。
最後まで従順だった人を、イエス様は救ってくださるのです。
聖書から真実を取り戻し、本来の教えに立ち返りましょう。
正しいのは、いつだって聖書だからです。
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