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マフィアの信仰

はじめに

マフィアの中には、イエス・キリストのあがなを信じる人がたくさんいます。

彼らは、自分たちの罪がゆるされることを確信し、天国に行けることを心から信じて、安心して麻薬取引や殺人を行っているのです。

もちろん彼らは、キリストが自分たちの罪の身代わりとなって死に、墓に葬られ、三日目によみがえったことを心から信じています

このような信仰について、聖書は何と言っているでしょうか。

とても大切なことですから、ご一緒に確認してみましょう。

世の終わりについての教え

多くの教会は、人は行いに無関係に永遠の命を受けると教えています。

一方、聖書は次のように教えています。

ヨハネの福音書
5:29 善をおこなった人々は、生命を受けるためによみがえり、悪をおこなった人々は、さばきを受けるためによみがえって、それぞれ出てくる時が来るであろう。

マタイの福音書
7:23 そのとき、わたしは彼らにはっきり、こう言おう、『あなたがたを全く知らない。不法を働く者どもよ、行ってしまえ』。

多くの教会の教えと違って、善を行った人と悪を行った人の行き先はまったく違うのだと聖書は教えています。

まずはどちらを信じるか、あなた自身が決めなければなりません。

マタイの福音書
16:27 人の子は父の栄光のうちに、御使たちを従えて来るが、その時には、実際のおこないに応じて、それぞれに報いるであろう。

ローマ人への手紙
2:6 神は、おのおのに、そのわざにしたがって報いられる。
2:7 すなわち、一方では、耐え忍んで善を行って、光栄とほまれと朽ちぬものとを求める人に、永遠のいのちが与えられ、
2:8 他方では、党派心をいだき、真理に従わないで不義に従う人に、怒りと激しい憤りとが加えられる。

ヨハネの黙示録
22:12 「見よ、わたしはすぐに来る。報いを携えてきて、それぞれのしわざに応じて報いよう。

教派の教えに固執するか、それとも聖書を信じるか、それは自由です。
しかし、聖書に書いてあることは必ずそのとおりになることを覚えてください。

救いとは何か

罪のゆるしを信じていても、それだけでは何になるでしょう。
救いの確信があったとしても、それが彼を救うでしょうか。

マフィアの信仰は、死んだ信仰です。癒やされていないのです。
十字架の救いを、「罪をゆるされること」だと勘違いしているからです。

そうではありません。

ペテロの手紙 第一
2:24 キリストは自ら十字架の上で、私たちの罪をその身に負われた。それは、私たちが罪を離れ、義に生きるため。その打ち傷のゆえに、あなたがたは癒やされた

聖書 新改訳2017 ©2017 新日本聖書刊行会

救いとは、私たちの内側の癒やしです。
私たちが罪を離れ、義に生きるようになること、それが救いなのです。

あなたはこの救いを受け取っているでしょうか。

ヨハネの手紙 第一
3:9 すべて神から生れた者は、罪を犯さない。神の種が、その人のうちにとどまっているからである。また、その人は、神から生れた者であるから、罪を犯すことができない。
3:10 神の子と悪魔の子との区別は、これによって明らかである。すなわち、すべて義を行わない者は、神から出た者ではない。兄弟を愛さない者も、同様である。

私たちの信仰はどうか

私たちの信仰はどうでしょうか。マフィアと同じではないでしょうか。

恥ずかしながら、私の信仰は、マフィアと同じでした。
罪がゆるされることを信じ、安心して殺人をしていたのです。

ヨハネの手紙 第一
3:15 あなたがたが知っているとおり、すべて兄弟を憎む者は人殺しであり、人殺しはすべて、そのうちに永遠のいのちをとどめてはいない

聖書の言葉を信じない人の最後は、悲惨なものとなるでしょう。
このような人の最後を、聖書ははっきりと記しています。

マタイの福音書
5:21 昔の人々に『殺すな。殺す者は裁判を受けねばならない』と言われていたことは、あなたがたの聞いているところである。
5:22 しかし、わたしはあなたがたに言う。兄弟に対して怒る者は、だれでも裁判を受けねばならない。兄弟にむかって愚か者と言う者は、議会に引きわたされるであろう。また、ばか者と言う者は、地獄(ゲヘナ)の火に投げ込まれるであろう

まずは認めましょう。

私は認めます。
私は間違ったクリスチャンでした。
安心して人を殺すような、とんでもない人殺しだったのです。

おわりに

もう、マフィアと同じ信仰のままではいけません。
それは死んだ信仰だからです。

ヤコブの手紙
2:26 霊魂のないからだが死んだものであると同様に、行いのない信仰も死んだものなのである。

行いに現れない愛など、存在しないのです。

世の終わりにどうなるか、もう一度聖書から確かめてみてください。
行いのない信仰しか持たない人は、とんでもないことになります。

偽りの教えを捨て、聖書に立ち返りましょう。
正しいのは、いつだって聖書だからです。

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