自己価値は99でも101でもなく100で
日本には「謙遜」という美徳があるので、
とくに自己価値の低い方が多いです
アメリカとか、
「どっからその根拠のない自信湧いてくるんだろう??」って人
結構多い気がする。
わたしももちろん生まれてからというもの自己価値ほぼゼロできていたので、
そういう「いつも低く見積もってしまうひと」は
とにもかくにもそれを100に近づいていくことが大事です。
クライアントさんにも色んなタイプの方がいて、
そこで起こることを見ていると、
多いケースというのは
自己価値が低いがゆえに
100以上に自分を見積もってしまう場合。
これが非常に絶妙なところなのですが、
等身大の自分を、
そのまま「等身大」に見つめるというのが意外と難しいわけです。
「謙虚さ」というのは生きていく上で、
魂を磨いていく上で欠かせない大切な要素ですが、
「謙遜」と「自己卑下」はまったく異なり、
それは一歩間違えると
「卑屈」な態度となって表れます。
あと多いのは
「謙虚さ」を装った「傲慢さ」ですかね。
これは本人も気づいてない場合がほとんどで、
表面的にはとっても優しくていい人に見えるのがほとんど。
無害です。
だから別に放っておけばいいわけですが、
でも本人は微細な苦しさを伴います。
そういうときはその
見せかけの「謙虚さ」などはすぐに手放したほうが
いい。
手放せたのちそこで得られるのは、
傲慢さではなく、すっきりとした100パーセントの
自己肯定感です。
「自分は全然まだまだなんで」
「全然たいしたことなくて」
と言うひと(本人もそう感じてる)ほど
魂は
「自分はすごい」「自分は人と違う」「自分は特別」
と思ってることがほとんど。
すっきりした自己肯定感がある場合は、
自分を否定する発想もその逆もでてこないのですね。
「自分は、すごくないし、
すごくなくもない」
みたいな非常にニュートラルな感じ。
そして100を超えた途端に
傲慢さとか自信過剰に変わります。
傲慢さとか自信過剰というのは
嫌われますから、みんなそれを恐れて
下に、下に自分を見積もるわけですね。
これは、ジャッジや無意識に他人を批判するのが入ってくるせいもあり
自信過剰の勘違いよりは、自信がないほうがマシ、という感覚が出るので
「謙虚で優しい」自分のほうがいい気がしますが
実際はどっちも大差ありません。
無害なのは自信がないほうかもしれませんが、
「幸せ」を追求していくのに、最終的には同じことです。
あくまでも100に近づけることが大事。
本来の姿からどの程度、どちら側にずれているかによって
進む方向は逆になります。
たとえばですが、何かフリーで活動しようとしている方で
すでにお客さんもついてきて
十分アウトプットする経験などは持っているのに
「自分の価値」を低く見積もっているがゆえに
講座に通い続いけて「もっと完璧にならなくては」と渡り歩くことを続け、
せっかくの遠方からのお申し込みだと恐縮してお断りしてしまう、
というような場合。
そういう場合はどんどん
自分に自信を持つほうに意識を向けて、
実際行動しながらうけ取る練習をすることが必要になる。
そして逆の場合。
まだまだ自分を振り返って成長していかなければいけない未熟な段階で、
「わたしは大丈夫!」と「わたしは自信がある!」と間違えて信じてしまい、
現実的には借金で首がまわらなくなったり
自分以外のことや他人をなんとか変えようと躍起になったりして
行動はしているのに、「自信はあるはずなのに」なぜか上手くいかなかったり、自分も周りも苦しさの連鎖が続く場合。
まあこれは正確にいうと自信過剰とは違うのですが
「ありのままの自分の姿」をとらえられていないと
それがマイナスだろうがプラスだろうが
スムーズにいかなくなるので注意が必要です。
不安から過剰な行動にでていたりとか
100以上に自分を見積もっていることに気づかず、
ネガティブな感情を感じることから逃げるために
あれこれ飾りたてることが多いので、
この場合は、黙って転ぶのを待つかアドバイスとしては、「やめたら?」になります。
自分も周りも傷つける方向に走ろうとしているのに
気づいていない場合は、真剣にやめたほうがいいことはあります。
どちらがいいとか、
優れている、劣っているとかではないので
ただただ、
淡々とニュートラルに自分を見つめる。ということの重要さを
改めて振りかえってみていただきたいとおもいます。
自分が自分にどう価値を置いているかによって、
見事に現実の結果にそのまま現れる。
自分を100以下に見積もっても、
100以上に見積もっても
それはうまくいきません。
「受け取る」という
シンプルそうで難しいことと合わせて、
自分自身が
きちんと自分自身の価値を100で
捉えられているか、
毎回立ち返って確認してみると
いいかもしれません。
丁寧に自分の感じていることをキャッチできるようになってくると、
100を切っても、逆に超えてもその瞬間に苦しさを感じ取れるようになりますのでそれを指標にして調節すればいいです。
うまくいかないときもいくときもありますし、150まで行って、
痛い目を見て、また70まで戻る、を繰り返しながら
とにかくクリアに自分を見定めるのを試みてゆきます。
会社や学校が、評価を下してくれる環境では
「自分で自分の等身大の価値を捉える」必要性は確かに薄いですし、
「世界からの評価」に沿って生きていくことは必ずしも悪いことではありません。
ガイドラインに沿って生きる、それは楽な選択の一つでもあるので、ひとは「自由」よりも「不自由」を、文句を言いながら選ぶのです。
そうではなく
ひとりで仕事をしていく、フリーで活動していく、などなど
自己表現の先に、それが求められたり評価される必要がでてくる場合。
自分自身に対する肯定感、自己価値がそのまま結果につながっていくような生き方をしたい方は特に
自分と世界との間に
ぴたりと合致した「価値」が生まれた瞬間に、
ひとは「自分」を全うする、
活かしきる
ということが始まることを忘れないでください。
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