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【映画】犬王 ネタバレ 悩みながらの感想

今回はアニメ映画「犬王」を見たのでその感想を。
この映画を知ったのは去年、たしかテレビアニメ「平家物語」が放送されていた頃だったと思うのだけど、CMを見て面白そうだなと感じたのが最初。

それで今回、近所のレンタル店に暇つぶしによったところ偶然見かけ、そういえば見ていなかったと即見ることを決めました。

なので前情報は本当にCMのみ、CM的に琵琶と猿楽って感じで主人公の犬王が歌手のアヴちゃんなのだから音楽が主かな?というくらいの頭で見ました。

で、ここから以後ネタバレな感じで感想を書こうと思うのですが…そもそもこの映画、ネタバレらしいネタバレ、例えば犯人は誰で、物語の真相はこうだった!みたいな部分はほぼないタイプの映画…。

感想的にもこの結末に納得できない!or良かった!というような感じでもないのですが、流石に感想書くと完全にネタバレになってしまうので、なのでとりあえず、ここからはまだ見てない人、見ようか迷うという人向けにどんな感じの映画なのかをちょっとだけ書きます。
そしてその後に完全ネタバレで私の感想を書こうと思います。


映画「犬王」どんな映画?

ということで、この映画「犬王」がどんな感じなのか、見ようかな?どうしようかな?という人向けの参考に核心に触れないまま何となくの全体像を書きます。

さてこの「犬王」一言で言えばミュージカル映画だと私は感じました。
舞台は南北朝時代、平家物語を語る琵琶法師と猿楽の舞手の二人が主人公。
この猿楽を踊る主人公が本作タイトルにもなっている犬王というのはCMの時からすでに明らかだと思ったけど、実はこの犬王、詳細はほぼ分からないけれど実在した人物で、その分かっていない部分を利用してフィクションとして描いているのがこの映画とその原作小説です。

なのでこの映画、とにかく歌って踊りまくります。

まだ語られていない平家物語を世に伝えるために琵琶法師「友魚」と猿楽「犬王」はタッグを組み、歌って踊ります。
二人の舞台は次第に京の都中に知れ渡り、そして…。
というのが大まかな流れ。

俺の音楽を世に広めてやるぜ!!!踊りで天下を取るんや!!!!でも…周囲の環境や時代が…。
目的や境遇等色々あるけれど、物凄く大雑把に言えば大体こんな感じ。

ヒップホップダンスとラップの二人が上京してきて出会い、歌とダンスで一世を風靡するみたいな話の時代が南北朝ってだけとも言える。

まぁ南北朝時代で原作が「平家物語 犬王の巻」ということで、あくまで平家物語と、実在したけど謎の能楽師犬王をフィクションとしてくっつけたお話なので、基本的に平家の呪い等因縁が常に関わってきたり、”平家物語を語る感じ”のちょっとセリフ口調な感じの歌い回しの中で犬王が踊ってたりしますので、そのあたりもミュージカル的だと思います。

個人的にはこの映画の歌も踊りの動きもなかなか良い、さすが、主人公を歌手のアヴちゃんにしただけあるし、アニメーションの動きも流石はあの湯浅監督だ。これ映画館の大画面だったらもっと凄く見えただろうなと感じました。



が…さて、ここからが完全ネタバレの感想になりますので、以後まだ見てなくてネタバレは嫌って人は注意です。

とりあえず私の総合評価を1~5で言うなら2.5~3かな。
ということで、ここからこの映画が好きな人にはちょっと嫌なことも言うと思うので、それも注意でお願いします。
(毎回、個人的にちょっとな~と思う映画の感想は正直嫌なことも書くことになるし記事を書こうか悩むけど、今回はホントどう書いていいやら困りました(笑))

というわけで以後ネタバレ注意






犬王の歌声も良いし、アニメのダンス表現もよく動くのに…ねぇ…。


ということで、評価するなら2.5~3ということでもう言っちゃってるわけですが、この「犬王」個人的に凄く引っかかる部分があちらこちらにあって、言ってしまえば正直なところ微妙でした。
ただ、誤解なきように言っておきたいのは、決して駄目だったわけじゃなく、犬王が歌う歌声も良かったと思うし、動きもやっぱりよく動いていたと思うし、ダンスシーン以外の例えば海中から拾い上げた草薙剣を鞘から抜いた時の一瞬の光なんかも印象的でカッコ良かった。

だから今回本当に見事に微妙。
一か所、強烈に駄目な部分があったということではなく、映画全体を通してあっちにもこっちにもちょっとずつ気になるところがある感じで、例えるならスープは旨いのに麺がちょっと伸びてるラーメンに、ちょっとしょっぱい半チャーハン食べて、お水はぬるいけどレモンのスライス入ってるみたいな?
あれ?何言ってるんだ???

具体的にこれからどこがどう気になったか書きますが、「犬王」好きな人にはごめんなさい。


歌声は良いけどエレキギターはやめて

平家物語ということで琵琶法師というか正確には法師にはなってない、琵琶だけ習って独立した友魚改め友有が持つのは当然琵琶。
楽器部隊は友有の琵琶に太鼓と実際にそんな楽器があったか分からないけれど、チェロのような琵琶?の3つ。

で、奏でる音楽は完全にロック調。

個人的にはこのロック調っていうのは全然良い。
でも、やるならそこはあの時代に沿った楽器だけでロックをやって欲しかった。
映像上明らかに無い楽器の音がしてるのが素人でもハッキリ分かるのは違和感が凄い。
現代の楽器を使うにしても「キュイィイイィィィィイン~」みたいなエレキギターの音とかベース音あるよね?誰が演奏してんの?とかちょっと考えて欲しかった。
歌パートが口調は激しめでもあくまで平家物語を往来の人へ向けて伝えてるってストーリーなわけだから、大事なのは楽器じゃなくて歌の方。
友魚の歌う場面は「亡霊の声を聞いて世に伝える犬王の物語を皆で聞こう」って往来の人へ語ってるわけだから。

友有となって新たに友有座を作り、琵琶弾きもみんな「有」の一字を付けると皆エレキギターの音が鳴るようになる。

奈良の大仏の前、富士山の前、夕日の棚田は調べたら長崎っぽいですね、それに蔵王の樹氷と鹿児島の桜島かな?全国津々浦々で友有座の琵琶弾き達がエレキギターの音を鳴らして演奏する。
そんな全国に犬王の物語、平家の亡霊を供養するために物語を広めたというシーンなのに物語の歌詞は一切なく現代の楽器が鳴り響くって正直冷めてしまった。


亡霊友魚の語る犬王の物語という全体像

両手と首を落とされた友魚は現代に至るまでの600年間、両手と首だけの亡霊となってこの犬王の物語を語り続けていた、そこに霊体の犬王が迎えに来るってラストだったけど、こうなるとちょっとだけ気になる部分が二つある。

一つはこの亡霊友魚が冒頭に出てきて語り始めるのがこの映画とするなら、友魚が知り得ない部分が出てきてしまうところ。
特に犬王が将軍の言いなりになった部分など、知ってしまったらそれこそ平家亡霊と同じく友魚も恨みをつのらせたとしてもおかしくないと思う。

もう一つはラスト、600年たった今になって何故犬王は迎えに来ることが出来たのか。
友魚が「いつから俺は…ここに…あったのか」と最後につぶやくこの「あったのか」が「有った」となり、死ぬ直前に「所詮、壇ノ浦の友魚」と友魚になっていたところから犬王といた友有に戻れたとするのなら、ラスト、子供時代に戻るのはちょっと変というか、友有になれたのならラストはクライマックスの将軍の前で舞ったあの舞台の直前か直後の姿なんじゃないかなと。

まぁここはお話としては最初の出会いに戻る、友魚は600年間誰かに伝えたかったこの物語を今回、この映画で視聴者に伝えられたことで成仏できたとも言えなくもない気がするので本当にちょっと気になっただけだけど。


アヴちゃんの歌は良いけど歌ってるように見えない問題

自分は特別アヴちゃんのファンと言うわけではないけど、他のアニメの歌を歌っていたりして存在自体は知ってはいた。
独特の声とその変化の多彩さで、上手いというより印象に残る感じだと思っていた歌声だけど、今回の映画ではちょうど通常の平家物語の語り口っぽく聞こえる部分もあって上手く合っていたと思う。

ただ、その歌声と映像があってない。あってないというかちゃんとシンクロして見えないので、犬王が舞台で歌っているのではなく、アヴちゃんの歌をBGMにして犬王が踊ってるだけに見える。

例えば、声はシャウトしてたり思いっきりロングトーンなのにその時の映像が飛び跳ねまくっていたりして、どうしても犬王の歌声だと思えない。
やっぱりこの犬王の歌の時も当たり前のようにエレキギター等のロックなので、それも悪い意味で目立ち、あくまで現代の音楽、この映画のイメージ曲をBGMとして犬王が踊っているようにしか見えない。

しかし、この映画はミュージカルアニメ映画という形を取っているので、やはり登場人物である犬王が歌い、友魚が曲を奏でているんだというリアリティが失われてしまっているのは大きなマイナスに見えた。


舞台を見に来た観客の違和感

あの時代、お堅い猿楽や能よりももっと気楽な庶民の娯楽としての舞や舞台のようなものがあったのでは?という解釈から今回のロック調、そしてそれに熱狂する観客が描かれる。

それ自体は全然良いのだけど、その描き方にちらほら違和感がある部分があり、ノリはいいけどノリだけで作ってる気がしてしまった。

例えば、犬王の初舞台の河原のシーン、盛り上がりの中、一人の子供が犬王のダンスを真似るけど、犬王のダンスって誰もやってない犬王だけのダンスなんじゃないの?そんなすぐに見様見真似でできちゃうの?しかも足元ゴロゴロ石だらけの河原で。

また、犬王を一気にメジャーにすることになる夜の舞台「くじら」では、観客が歌うって現代のライブやフェスのようなシーンがあるけど、その直前、友魚が「同じ話は二度とはやらねぇ」「お次は何を舞うのやら」と言っているんだから、観客が犬王の一度きりの何をやるのか知らない舞台で犬王の呼び掛けに応えて歌えるわけがないと思うのだけれど…。
現代のライブでも、初めて来た観客や新曲でいきなりハイ!って観客に歌うこと要求しないというかできないと思う。

やっぱりこれも現代のロックフェスのノリの再現ってだけでしかないので、肝心の映像と音に一体感が無く、この新しい平家物語の音楽と舞台に人々が熱狂してるというリアリティが感じられなかった。

この際ハッキリ言うと、おそらくこの映画、実写というか実際に現実の舞台で犬王役のアヴちゃんが歌いながらパフォーマンスした方が見ごたえあると思った。

それくらい歌声それ自体はいいし、映像それ自体もまたクオリティの高いものだと思うのに、どうしても映像の動きと音楽との一体感の無さが勿体ない。


舞の既視感

人々は新しい平家物語の舞台に熱狂するわけだけど、では、この映画を見ている私達現代人が見た時にはどう見えるのかと言えば、曲はロック調、舞は現代のダンスの合わせ技で既視感が凄い。

何度も言うけどアニメ映像として本当に良く動くしカッコいいダンスシーンではあると思う。
ただ、全部どこかで見たことある。

ヒップホップやリンボーダンス、腕や頭が落ちそうになる大道芸的なパフォーマンス、ワイヤーアクションで飛びながら歌うなどなど…。

そもそもこのお話、現代には伝わっていない謎の人物である犬王を題材に、では犬王と同じく平家物語にも現代には伝わらなかった私達の知らない平家物語もあるのではないか?という部分に大きく寄り添った映画だと思うのに、その現代に伝わらなかった部分の表現方法が、全部現代のロックやダンスで代用され、当時の人たちも庶民は同じようにロックや現代ダンスのようなノリの良いもので盛り上がったんだの一言で片づけられてしまうのは残念だった。

今と昔じゃ死生観も家族のありようも全然違う、妖怪、怨霊、化け物など不思議な物に対する感情も違うはずの当時の人が、現代のロックとダンスに現代人と同じように盛り上がってるだけに見えてしまい、やっぱり何か違う気がしてしまった。

それに意地悪な見方をすれば、では現代のロックやダンスにもそういう側面があるの?王道クラシック音楽は映画公開の2022年から数百年先まで残るけど、ロックは忘れ去られるの?
違うんじゃないかなぁ…。

現代人から見ても犬王は史実の分からない謎の、でも確かに実在した人物。
そんな人物を題材にして、しかも友魚のラストを考えたら彼らが残したくても残せなかったものを描いているんだから、やっぱり何か凄いオリジナルをもってきて欲しかった。




さいごに

すみません、本当になんかこの映画が好きな人には申し訳ないくらい辛辣に書き殴ってしまった気がしています。
これだけ書いておいて実のところ、この映画本当に惜しい、先にも書いた通り映像も音も普通に良いです。
ただそれがどうも上手く噛みあってないだけで…。

正直に言ってこの映画以上に書き出したら文句たらたらの映画は結構あります。

もしこれで劇中の犬王が本当に歌って踊っているかのようなリアリティを感じられれば、犬王というほぼ知られていない謎の人物のイメージ象もこの映画で確立できたのかもしれないし、その物語を封殺され亡霊となり現代まで京都の町で彷徨っていた友魚についても思いを馳せることが出来たかもしれないと思うとテーマも良かっただけに何度も言いますが本当に惜しいなーと思いました。

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