勉強の先にあるものを子どもに見せるために、不甲斐ない親ができることを考えました。
子どもと公園デビューした頃、知り合ったばかりのママ友から
「ダンナさんお仕事はなにしてるの?」
と聞かれると、返答に困ったものだ。
夫君は造形作家なるものを生業としていて、当時は海岸に流れ着く流木を使ってオプジェを作っていた。私がそれを写真に撮り、写真集を出版したり、企業の広告などに貸し出したり、展覧会をして写真や作品を販売したりといったことで主な収入を得ていた。いわゆる一つの自由業というやつである。
ママ友たちにそう説明しても、なかなか伝わらず、「へえ〜そうなんだぁ」と言いつつ、頭の上にクエスチョンマークが浮かびまくるのを何度も見た気がする。
多分、企業名だったり、職種だったりが聞きたいのだろうなというのは、わかる。
「食品会社に勤めてるの」
「印刷業だよ」
「金融関係で営業してるよ」などなど。
まあ、かなりイレギュラーな仕事であるので、理解していただくのはなかなか難しかった。
不安定といえば、これほど不安定な職業はないと思う。
いわゆる自由業なので、収入がある時はあるし、ない時はホントにない。
今月は良かったけど、来月はわからない。そんなのしょっちゅうだから。
そして、ある程度理解してくれたママ友からは、こう言われる。
「大変だね〜毎日家にダンナさんいるなんて!毎食用意するなんて、私は絶対ムリ!」
確かに、家で創作していたので、毎日いる。
打ち合わせなどで出かけることはあっても、丸一日家にいないなんてことは稀であった。
ただ、私自身実家が自営業であったので、まるで気にならない。
それどころか、何かと便利だったりしたのだった。
「買い物してくるから子ども見ててね」
「家電の具合悪いからちょっと見て」
「居間の電気切れちゃったから替えてくれる?」
てな具合に。
そして、さすがに言われたことはないけれど、ほとんどのママ友が思っていたであろうこと。
「そんな不安定な職業の人と、よく結婚したね」
「来月の収入が読めないなんて、信じられない」
まあ、ごもっとも、なんだけど。
マッチングアプリの条件に年収欄や職業欄があるように、結婚の条件にお金関連がくるのは理解できる。
生活するのにお金は大事。
無くちゃ困る。
でも、お金だけあっても必ずしも幸せではないとも思うんだよなぁ。
お金と幸せは比例しない。きれい事のようだけれども、、、
学校は決められた教科の知識を得るところで、おもに試験の点数(理解度)で成績がつく。
成績が良いならより程度の高い学校を目指し、高い知識を身につけるのが良しとされる。
スーパーや地元企業などで形だけの職業体験を行ったりもするが、知識の先の職業観というものを知ることにはなかなか至らない。
そして、多くの親の仕事は子どもからは見えにくい。
ひたすら勉強して成績だけでより良いと思われる進路を選んだ挙句、卒業したら何をしたらいいかわからないなんて、シャレにもならない事がホントにあるらしい。
就活生のインタビューをテレビで見ていた時のこと。
「仕事はやらなければならない、辛くて嫌なことだけど、お金をもらうためには仕方ないから働く」という趣旨の答えをしている人がいた。
とてもびっくりして、そして悲しくなった。
ウチの息子達は、どうだろうとも思った。
良くも悪くも、生活と仕事が地続きだった。
ドアひとつ隔てたところで創作する父がいる。
たまのお出かけは海や山で、母は作品の撮影をする。
「出版が決まったよ」
「良かった!」
「プレゼンのオファーがきたよ」
「今回は通るといいね」
「来月の振り込みやばいかも」
父と母の会話を聞き、背中を見て、働くこと、対価を得ること、対価に値する仕事ができた時の充足感まで、良いところも悪いところも、それこそめちゃくちゃカッコ悪いところまで、つぶさに見てきたはず。
それぞれに仕事を得て独立した彼らを見る限り、働くことは「お金のために我慢してすること」ではなく、「自分自身がより良く生きるための方策の一つ」となっているように見える。
彼らの仕事について、ここでは詳しくは書かないけれども、それぞれの立場で「次」を見て、必要なスキルを自ら身につけたり、自己投資したり。
親の欲目はもちろんあるが、思うようにはいかないことがあっても、組織の中で、ただ唯々諾々と日々を過ごしているのではないことはわかる。
そうして得た対価が、評価が、手応えや評価がモチベーションになり、生活の糧となる。
それが実感できたならば、仕事は「やらなければならない嫌なこと」とはならないのではないか。その先にある報酬…心理的、物質的な充足感が幸せにつながるのではないか。
そうだったらいいなぁと、本気で思ってる。
きれい事、でもいいじゃん。
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