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まだ8月と思いつつ代受苦について考えてみた。

本日は焼き肉の日ですね…。

今年の8月はなんだかすごい長かった気がします。

しかもまだ終わってないし…

秋の花がさきはじめてますね。

今月の地蔵会の行事も27日で終了しました。

施主さま方にはおつとめありがとうございました。


実は先日来、少し体調を崩していました。

コロナのご時世ですので注意していたのですが

久しぶりに夏風邪をひいてしまいましたよ。


体調の悪い時はやはり少し集中力に難がありますので

無理せずゆっくりとおつとめさせていただきました。


もともと夏には弱くて、暑さにもへこたれますが

夏風邪もひきやすいたちではあります。


こういう体調のすぐれない時というのも色々考えることがある時期です。

もちろん療養してなるべく早く体調を取り戻すのは大事なことですが

こういう時でないと考えが及ばないことというのもあります。


以前、チベット密教僧の先生とお話ししていた時、

(この先生しばしば登場しますが、いつもすごくハッとするような

気づきを与えてくださるありがたい方です)

「風邪をひいたりして体調が悪い時には、他の生きとし生けるものの

苦しみを代わりに受けていると観想しますよ」と言われたことがあって。


これはいわゆる「代受苦」というものですね。

仏や菩薩が衆生の苦しみを代わりに受けることを言います。

以前書いたことがありますよ。

特にお地蔵さまの誓願とされることが多いです。

ですが、お地蔵さまだけではなく観音さまなど多くの菩薩は

大悲によって衆生の苦しみを代わって受けると言われています。


これはもちろん、地獄などの三悪趣と言われる世界で

苦しむ衆生の苦しみを代わって受けることで

涅槃に至る功徳を積んで、衆生を済度しようとしているわけです。


このお話を聞いて、実際自分はそんな想いになれるかな

と考えたわけですよ。

本当に心からそう思えるだろうか?と。


で、今回、首尾よく(?)体調が悪くなったので

養生しつつ思い出してこれについて考えてみました。


結論から言うと。

「少しはできる!」という感じですね。


こう言う考え方をして観想する、と知っていれば、

そう言うふうに思う傾向はやはり作れます。


しかし、本当に自分の肉体の苦しみが強い時にも

継続してずっとそう観想できるか、というと

確かに結構難しいことではありました。

これはすごく修行になるし訓練でもあるな、と感じました。


むやみに病気になったことを悔やんだり、

痛みや熱、体の重さなどに感情が揺れうごいたりはやはりします。


でも、この時もふと気づいたのですが。

「集中できなくなっていると気づいたら、そこへ戻る」

と言うやり方はかなり有効でした。


アイスノンで頭を冷やしつつ、なるほどなあ、

と考えたりしていましたよ。


自分の考え方や感情の癖を修正していくのに

瞑想が有効だと言うことはよく言われます。


しかしそれも結局、自分の意識や考え方、捉え方の方向性を

より望ましいとされる方向に向け直し続けていく

と言う地道な訓練によるものなのかもしれません。


望ましいとされる方向を知っていること、

やり方をある程度身につけていること、

集中して観察し続けられる訓練が積まれていることは

やはり大事よね、と言うある意味普通で当たり前な結論に

なったわけですけれどもね(笑)


代受苦という、仏さまや菩薩さまのような立派な方にしか

できないんじゃないのと思うようなことでも、

部分的に短い間であればできないこともない、

というのは少し意外にも思いましたが

訓練はやはり有効だな、ということなのでしょうね。


「できない」と最初から思うのではなく、

「できるかも」と思ってやってみたら

「ちょっとはできた」というのは、

ささやかではありますが成功体験というもの。


やることに意味がある、というのは

こういうことなんじゃないかな。


こういう時は自分を褒めてあげて、

自分に対する慈悲も思い出しておきましょう。

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