「悩む」って本当に悪いことなのか
社会人になると、「悩むことは時間の無駄だ! 悩むくらいだったら動いて失敗したほうが良い!」という声を聴くことが多くなった。
Googleで「考える 悩む 違い」と検索すると、「悩むのは悪いこと」という意見が目立つ。一般的に「悩む」ことにはネガティブなイメージがついている。辞書で「悩む」を調べてみると、いたみ苦しむ。病む。こまる。などの解説が出てくる。
だけど、そんなに各方面からバッシングされるほど「悩む」っていうのは、悪いことなんだろうか。
学生時代、まわりから見たら小さなことでも人知れず悩むことの多かった僕は、「なんでこんなに人生悩まなきゃならんのだ。。」と「悩み」に対する「悩み」が生まれる悪循環に陥るような人だった。
付き合った女性からの別れの言葉も「イノウくんは考えすぎるところがあるから、それだけが心配です」と、なぜか心配されるという体たらく。
どうしてそんなに悩みがちだったのかを紐解いてみると、ありとあらゆることに「これが正解!」ということを、学校の試験問題のように求めすぎていたからだと思う。失敗に対する恐怖が、その場で自分を足踏みさせていた。
なぜ、失敗することが怖かったのか。それは、失敗って良くないよね、駄目なことだよねという価値観が自分の中に刷り込まれていたから。失敗すればまわりの友達に笑われたり、先生に怒られたり。失敗=なにか自分が精神的に傷つく行動につながるもの的な刷り込みがされ続けたら、そりゃあ足踏みして悩みたくもなる。
そう考えると、悩むの先に傷つくかもしれない可能性があるから、良くないのであって、悩むこと自体を悪いことと捉えるのは焦燥なんじゃないか。
そもそも、人間みんなが超合理的人間だったら、生産性は高いかもしれないけど、つまんない世の中になってると思う。絡み合った糸みたいな「悩み」をなんとかしたい、せずにはいられない衝動から、数多くの作品が生み出されてきたはずだ。
例えば太宰治の「人間失格」や中島敦の「山月記」なんか、自己に対する悩みの頂点みたいな作品だと思う。自分の承認欲求に悩みに悩んで、それでもどうしようもないから作品として形にして。
むしろ、悩みまくった結果として今でも残る作品が生まれているわけだし、人のクリエイティビティを磨くのって実は「悩み」なのではないだろうか。
頑張ってるから悩むねん。
人間って不思議な生き物で、理由もなく寂しくなったり将来に不安を感じたり、突然涙がこぼれたりどうしてええのかわからなくなったりすることがあるよね。もしかしたら自分はおかしくなってしもたんちゃう? って思ったりね。
でも大丈夫。それは君が頑張ってる証拠やんか。頑張ってるから悩むねん。
この一節は、名門高校の一つ、灘高校で英語の強弁をとっている木村達哉先生の著書「灘高キムタツの頑張ってるから悩むねん。」という本からの引用だ。
「悩む」ってことは、その場で停滞しているんじゃなくて、頑張っている証拠なのだ。なにかに対して真剣に向き合うからこそ、「悩み」が生まれ、それをなんとかしたからこそ、人は頑張るのだ。
もし、今の自分悩んでばっかだなぁ、と思う人がいたら、それは頑張ってる証拠だから大丈夫、と伝えたい。僕も、まだまだ悩みの絶えない日々だけど、その悩みのおかげで誰かを支えるきっかけを作れたら良いなと思っている。悩み合う人同士が、お互いを許せる世の中になれば、もっと幸せな世の中になると思う、月曜日でした。
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