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「よろず屋」かく戦えり。


前文

【萬屋/よろずや】
‥生活に必要ないろいろな品物を売っている店。 雑貨屋。 なんでも屋。

2024年2月現在「れいわ新選組」共同代表である大石あきこ衆院議員が2022年初当選するその原動力になったボランティアチームを「よろず屋」と呼んでいた。


(文中、敬称略)

「なんで大石あきこなんか応援してるの?」
2021年ごろ。いろんな人から100回近く尋ねられた。

「うーんそうだな。めちゃくちゃで面白いからねw」
いつも半笑いでそう答えていた。

  • 大石あきこ

  • 1977年5月27日大阪府出身

  • 日本の政治家。れいわ新選組所属の衆議院議員。れいわ新選組共同代表兼政策審議会長。元大阪府職員。


この人物を最初に認識したのは、2008年3月13日「大阪府庁」での朝礼における橋下知事vs女子職員のバトルの報道だっだ。

「おいおいとんでもない過激派が現れたもんだw」
ワイドショーか何かの映像を凝視しながら「この人、バッシング大変だろーな‥」と他人事ながら心配したものである。

それから9年が過ぎた2019年4月。私は大阪市民になっていた。

2016年4月に発生した熊本大分大地震で被災。
人生をリセットしたくなって、知己と言える存在がほぼ居ない大阪に単身乗り込んだのだった。

折しも2019年4月は「大阪府議会議員選挙」の真っ最中。

左派系無所属で立候補していた大石は、
淀川通り沿いの元々鉄板焼屋だった店舗を居抜きで借受けそこを選挙事務所にしていた。

近所の壁に貼ってあったポスターを見て「この人はあのときの橋下知事とバトった女性職員では?」すぐにピンと来た。

ジャーナリストの嗅覚で取材の打診メールを出してみた。
だが返事は無かった。
「ま、そんなもんかな」
こちらも新生活を立たせる事に忙殺されていたし、
何より転入したばかりで選挙権も無かったから関心事から外れるのも早かった。


それから3ヶ月が経過した。
私は堂島にある在京CM制作会社の大阪支社でプロデューサーとして勤務し始めていた。

2019年7月11日。
私はこの日「大阪駅」広場の大群衆の中に居た。
本当は取材者として此処に居るつもりだったのだが、
気がつけば完全に聴衆の中に溶け込んでいた。

2019年7月11日「JR大阪駅」

それは「れいわ新選組」を旗揚げした山本太郎の街宣であった。

今では見ることがない大群衆だ。
ものすごい熱気。
私はこの時の気持ちをブログにこう綴っている。

(以下2019年7月11日のブログ)
「梅田で山本太郎という傑出した政治家の話を聴いた。」
http://webradiofmc.seesaa.net/article/467859323.html

上司からの呑みの誘いを断って堂島浜から梅田まで徒歩10分ちょい。時刻は18時50分。
スタートまで10分位あるのに、すし詰めでんがなw
空中回廊にもびっしりでっせ。

定刻19時になった。
思わず沸き起こる「太郎コール」おいおいコンサート会場かよ。
MCさんが「まだ到着していない」と気まずそうにアナウンスするも、もうこの熱気は止められない。

程なくして山本太郎氏登壇!沸き起こる大拍手。
落ち着いた明瞭度の高い声で演説が始まった。
聴きいる聴衆。

小気味よくインサートされる数字とデータ。
そして「いかがですか皆さん?」の呼び掛けに万雷の拍手が渦を巻く。

誤った政策によって沈下し続ける国民の生活。そして国民そのものを憂う説得力のある演説に、引き込まれるどころか、胸を打つ。
熱いものがこみ上げてくる。
ふと気づけば、目頭を抑える人達がいる。私が居る。

本気でグッとくる。
これが演説だ。
「政治家たるものこれくらい心を動かす言葉を使えよ既存の政治屋共」と胸の中で呟いた。

聴衆の中には、流れでそこに来てしまった無関心層も少なからず居た。
「メロリンキュウやん」
「ミナミの帝王に出とった役者やろ」
‥笑いながら観ていた彼らが、気がつけば口を閉じ、拳を握り、そして熱い拍手を送り出すのにそう時間は必要としなかった。

兎に角分かりやすい。
そして憂いている現象は全てこの日本で起きていることばかりである。
それらをひっくり返す方策を極めてシンプルかつ明確に語る姿‥。
伝わらないわけがない。

昔の自民党には居たよ、こういう人。でも今は皆無だ。

山本太郎は云う。
国防は大事。それなりの装備が必要だ。でもF35のような金食いポンコツは要らない!(そのとおり!)
国を守るということは、まず国民の生活を守ることだ!(そのとおり!)

私榎田は、以前から「日本国民にとっての仮想敵は朝鮮でも中国でもロシアでもない。自然災害だ!」と申し上げている。山本太郎は全く同じ感覚の持ち主のようで「南海トラフが動いたら」と語りだす。そして首都圏一極集中の危険性を整然と語っていく。

都会集中型を分散に変え、そして地方を元気にする「決定打」として彼は、『全国一律最低賃金1500円』と主張する。
素晴らしい。天才じゃないか。

会場を一つにまとめあげたコンサート会場のそれにも似た熱気が遂にピークを迎えた。
「本当の主役はあなた。皆さんです!」
割れんばかりとはまさにこのこと。本当にJR大阪駅の壁にヒビが入りそうな拍手と声援が鳴り響く。

そして演説は終了した。

実はそこからが凄いんだ。

みんな帰ろうとしない。
あちこちで見知らぬ人達同士が会話を始める。
「なぜいま山本太郎なのか?」と、おいおいここはコミケ会場か?wってくらい、山本太郎そして「れいわ新選組」という素晴らしい作品を其々の価値観と尺度で熱く語りだすのである。
彼らはごく普通の市民達だ。

吹田から来られた女性と尼崎からという女性が語り合っているところに「ちょっとお話を聞かせて下さい」とジャーナリストっぽく声をかけてみた。
なぜ応援しているのかを熱く語りだす彼女達の表情が紅潮し目が潤んでいる。それを見て、私もグッと来てしまう。
冷静になろうと思っても、だめだなこりゃw‥客観的報道なんかできませんぜww

わたしゃ山本太郎そして「れいわ新選組」の支持者でござい!
(ブログここまで)

今ではこの時の感情がまるで夢だったかのように完全に醒めている。
本書は、私が完全に冷え固まっていくまでのドキュメントである


第1章「大石あきこFMCに現る」

「山本太郎≒れいわ新選組」をネット上で追いかけていた。
緻密さと荒削りさを山本太郎の熱量で包み込み聴衆を魅了する様子をネット配信で見ることが楽しみになっていた。

そんなある日。昨年無所属で落選していた大石が再び淀川通りの元鉄板焼屋に事務所を構えていることに気付いた。
今度は「れいわピンク」の看板だ。
いつの間にか彼女はれいわの一員になっていた。

調べると《「都構想」を止めて大阪を豊かにする5つの方法》という対談本が2020年4月3日に上梓されていた。
すぐに購入し読んだ。

「都構想」を止めて大阪を豊かにする5つの方法


京都大学教授・藤井聡、れいわ新選組代表・山本太郎、立命館大学教授・松尾匡‥各氏と大石が大阪都構想について対談している。
帯には「橋下知事にかみついた大阪府職員の、初の対談集」とある。

一読して、おそらくこの対談時に山本太郎が大石を口説いてれいわにスカウトしたんだろうなと思った。
事実、前年の府議選で山本は大石の応援をしている。

後にこの対談の音声を聞く機会に恵まれた。
スカウトという感じではなくむしろグイグイ自分を押す大石がいた。
なんか違ってるなw


さて2020年4月下旬である。
私は再度大石事務所に取材を申し込んだ。今度はすぐに返信があった。

私の番組『QIC第1219回C枠(2020年5月24日放送分)』で大石との対談が実現した。
大石事務所から徒歩約10分のFMC新大阪スタジオ(現IBB新大阪Fスタジオ)に彼女は御伴(護衛?)の男性を連れて現れた。
この男性は後に大石事務所(衆院当選後)の事務局長となる「通称御家老」である。

探り探りではあったが一応なごやかに対談は終わった。
おそらく大石も何らかの手応えを感じたのであろう。
至極上機嫌であったのを鮮明に記憶している。

「また対談しましょう」「よろこんで!」こんな感じだった。

2度目の対談はすぐに訪れた。
『QIC第1221回C枠(2020年6月7日放送分)』である。

このとき大石は1人でスタジオに現れた。
我を張ることもなく比較的穏やかに国民生活を憂う姿勢、そして庶民的な語り口調。おもしろいと思った。
そこで私はこう持ちかけた。
「大石さんさえ良ければレギュラー化しませんか?1円にもなりませんけどw」
「毎週ですか?」
「私がやってる榎田自由自在を貸すという形で大石ちゃん自由自在(仮)でどうでしょう?」
「かっこ仮?」
「大石さんが当選した暁に、晴れて(仮)がなくなります」
「いいですね!」

2020年6月21日から『日刊深夜快速水曜版榎田自由自在』のマイナーチェンジとして『大石ちゃん自由自在(仮)』が放送開始となった。
と同時に大石本人から請われて大石事務所の選挙対策チームに広報系の助言をするということで加わった。

この頃、世の中はコロナ蔓延自粛に突入。
私は大手ケーブルテレビ会社の西日本専従チームのプロデューサー職に移籍していたが入社後すぐに完全在宅勤務に移行しており、昼休みを工夫すれば大石事務所に日参することなど容易な身分だった。

さて2020年と云えば、大石の選挙対策云々よりもむしろ「第2次大阪都構想」をどのようにして打ち破るかが主要テーマであった。
大阪維新に公明党が加わり、前回否定された都構想が今度は実現しそうな勢い。
都構想に反対する諸派の危機感は相当なものがあった。


やれることから何でもやる!

大石ボランティアには、後の「よろず屋」奉行となるマツダ、2023年吹田市議選に出た堀口、声優ばりの声色を駆使する石ころ氏などクセの強めな面々が揃っていた。

最初はどこか余所余所しさを感じる中途半端なチームであったが、街宣など回を重ねていくうちに其々のキャラを其々が理解して、いつの間にか阿吽の呼吸みたいなものが形成されていった。

いまこの時を振り返ってみるならば、大石の荒削りな部分を様々な演出で逆に際立たせ、その個性をアピールすることに傾注していたように思う。
そして、東京都知事選挙で落選した山本太郎が大阪に張り付くようになってからは、そのゲリラ戦のワクワク感が倍増していた。

「仁義なき都構想」なんて動画が作られる(ちなみにナレーションは私)に至っては、もう何でも有り!で、秩序ある暴走集団といった体であった。
「こんなに面白い事は滅多に無い」本気でそう思ったものである。


結果。2度目の都構想も否決された。
我々は勝った。
大石事務所にとって最初の成功体験だった。

後日事務所で開かれた慰労会で挨拶したマツダが号泣していた。
続く私も泣いた。
巨漢おっさん2名の小汚い涙にみな貰い泣きしていた。

一見、順風満帆のようにも見える大石チームであった。
だが、幾つかの「影」を感じ始めたのもこの頃であった。

  1. 「なんで府議選の頃からのボランティアが殆ど残ってないの?」

  2. 「もともと居た事務局長は何処いっちゃったの?」

  3. 「れいわって意思決定のプロセスが見えないね」

そんな声が囁かれ始めていた。

(答え)

  1. 内紛などで離散していた。

  2. 大石とそりが合わなかった。

  3. 今も見えていない。


街宣などの準備と片付けはボランティアが率先して行う。
舞台が出来上がったら大石が演説して引き上げる。
裏方と表方の一体感が薄れ始めていた。
ノンキャリとキャリアみたいなヒエラルキーが目に見えてくるようだった。

そんな中、私は毎週1回の番組収録で大石と対談する機会が担保されていた。
恐らく大石としても、榎田からボランティアの状況などをヒアリングできる機会としてこの収録を重視していたように思う。
収録自体は正味30分程度であったが、収録後は大抵1~2時間の雑談が発生していた。
ある意味信頼されていたのかもしれない。

こんな雑談があった。
「榎田さん、皇室についてどう思いますか?」
「私は《象徴天皇制》など存在価値を感じてますよ」
「そうですか。あんなん○○でしょ」
※もともと極左である。過激な言葉であった。半分冗談だったとは思うが私は驚いた。
「大石さん、それは絶対に駄目です。よく考えて下さい。皇室だって人間ですよ」
いろいろやりとりがあって‥
「そうですね。すみません撤回します」
この頃の彼女は諭せば理解する柔軟さがあった。

こんなこともあった。
「榎田さん、自衛隊って要ります?」
「私は反戦論者ですが非武装中立派ではないし、そもそも自衛隊ファンの右派ですよw」
「でしたねー。要らんでしょ暴力装置は」
やはりいろいろやりとりがあって‥
「何よりも災害時の戦力として私は重視しています。むしろ自衛隊員が置かれている過酷な待遇などに本来メスを入れるべきでは?」
「あ、そうか。彼等も公務員ですもんね。労働者でしたね」
その後、れいわの政策に自衛隊の待遇についての文言が加わった。
一瞬期待したが今は果てさて‥。

そんな感じで、事務所では若干「鉄の女」っぽい強さを見せる大石である。
とくに彼女の夫(事実婚パートナー※選対会議などには必ず出席していた)に対してはピシャリ発言を遮ることがあり、
いわゆる《ツンデレ》の一種か?と思うことがあったが、
それとは異なる柔軟さ。
そんな柔軟な人物像を収録の前後にだけ感じることが出来た。

こういうエピソードをボランティアの面々に伝えると「いいわー!大石さん」とみな喜ぶ。

このとき私はひょっとして大石という人間は「柔よく剛を制す」優れた政治家になるのではないか?という一縷の期待を抱いていた。
当時の「本心」である。


第2章「衆院選」

2021年2月13日。
大石は大阪市の私立常翔学園中学での毎年恒例「模擬投票」に於いてれいわの名代として演説に立っていた。
撮影記録担当として私も同席。

だが演説はのっけから滑りまくり。体調も宜しく無く、乾いた咳まじりの演説はとても中学生たちに刺さりそうもない。
結果1票も獲得できず惨敗。惨憺たるものだった。

帰途「お腹が空きましたね」という大石に誘われて最寄駅近くの松屋・千林大宮店に入った。
マッサマンカレーを食べながら私は大石の反省譚を黙って聴いた。
このとき初めて大石の涙を見る。
そして彼女の勝ち気な性格と必ずリベンジしてやろうとする強い意志を目の中に感じ取った。
「大丈夫!本物の選挙で勝ちましょやいw」私はそう言って分かれた。

果たしてこの年「衆院選本番」を迎える。


話は一旦遡る。

2020年9月24日。
場所は阪急宝塚線「三国駅」駅前広場。
この日の夕方から大阪都構想の撃破と来たるべく衆院選を見越した「れいわ新選組街頭演説」が行われた。
私は大石事務所側の撮影隊として臨場。
カメラのセッティングを始めたときに1人の女性と目があった。
軽く会釈すると「こんにちは」と返してくれた。
それがやはた愛(この時はれいわボランティア)との初めての会話であった。

実は、やはた愛こそ私が大阪に入る際「会ってみたい6人の有名人」にリストアップしていた1人であった。
それは政治とは無関係で、2017年9月29日にTBS系で全国放送された『今夜解禁!ザ・因縁【アパ不倫袴田&元妻登場!初激白!浅香光代VS隠し子】 』というバラエティ番組でタレントIKKOと因縁対決した在阪グラビアアイドルとして画面の中でキャラ全開で暴れていたのに注目したのがきっかけ。
ジャーナリストの気まぐれかもしれないが、この人物を追ってみたくなり熊本在住時代からツイッターなどフォローしていたのである。

そのやはた愛が2019年7月21日実施「第25回参議院議員通常選挙」で東京のれいわ記者会見会場にいるのを生配信で確認したり、街宣会場でボランティアとして参加しているのはなんとなく確認していた。が、直接話すようなきっかけがそれまで訪れなかった。

とりあえず挨拶を済ませて「うちの番組に出ませんか?」と誘い、
2020年10月16日放送『八幡愛×榎田信衛門れいわ推し秘密会議』として結実する。

収録の最中、私は別ルートで「やはた愛がれいわ新選組から立候補」という情報を掴んでいた。
やはたとしても「情報解禁前なので云えない」というお互い「知らぬふり、云わぬふり」という微妙な番組となったのだが、
これがきっかけで2021年1月22日放送開始『愛ちゃん自由自在(仮)』につながっていく。

私は、やはたの苦労人としての側面、努力家としての側面、そして仲間や家族を大切にする側面などを見知っており、心底応援したい気持ちを今でも持ち続けている。
それは彼女の母親「やはたオカン」に対しても同様で、彼女が2022年9月に姫路市議選に立った際に撮影隊として同行してその人柄に触れてそう思うようになった。

これには後日談がある。
2023年1月25日深夜。後に「榎田砲」と呼ばれた「れいわ新選組と大石あきこに対する批判全開生配信」の直後、オカンは私に「生配信サポート」のオファをしてくれた。
当然「今の私だと波風立ちますから」と固辞したが「榎田さんを信頼していますから」と繰り返し誘って頂いた。あのときの熱い思いは忘れない。
結果として私の固辞により配信のお手伝いは成立しなかったが、いまも心から感謝している。
いつか一緒に何か作れたらいいなと思う。


2020年9月24日「三国駅街宣」の後、大石あきこと山本太郎はそのまま新大阪FMCスタジオに移動。
2020年9月30日放送分《山本太郎が直球トーク。あかん!都構想『日刊深夜快速・水曜版/大石ちゃん自由自在(仮)』》を収録した。

このとき私は「この国最大の仮想敵は災害」というかねてからの自説を山本太郎に話した。
そのとき彼は深く感服した表情で「全くその通り」と語ってくれた。
何としてもこの人物を推さなければならない‥この時はそう思った。

さて前置きが長くなったが2021年「衆院選」の年である。

7月3日‥事件が発生する。
れいわの党員であり前回の参院選立候補者だった大西つねきが自ら発信した動画で「どこまで高齢者を長生きさせるのか。命、選別しないと駄目だと思う」と発言。
大騒動になった。

この日から1週間れいわ執行部の中で何が行われたのかは知らない。
だが『大石ちゃん自由自在(仮)』の収録で大石が「絶対に許すことはできない」と憤慨していたのだけはよく記憶している。
「レクチャーを受けるとかって話ですよね」
「そんな生ぬるい!」
その直後に大西は謝罪を撤回。
結果除籍となったのは周知の事実である。

ひょっとして大石は単なる一候補者ではなく、れいわ執行部に何らかの発言権を有している実力者なのか?‥そんな思いを強くし始めたのもこの頃である。
「太郎の大石贔屓」という声もネット上でよく見掛けるようになっていたのもこの頃だった。


2021年夏。衆院選がいつになるのか定まらぬまま、事実上、選挙運動が始まった。
夏休み・お盆・そんなものは返上である。
酷暑・猛暑の中、週末を中心に苛烈な「街宣」が始まった。

この頃には、ボランティアチームの若きエース前島かずきが台頭してくる。
「モニタ・ディスプレイを使ったビジュアライズした街宣はどうでしょう?」
「生配信やるべきです」
「街宣車で流す音源はこんな感じで」

皆が思い思いのアイデアを提供し、それらを一つ一つ実現していった。

この頃には「大石ボランティアは異常w」という高い評価を得るようになっていた。
丁度『よろず屋』という俗称が付き始めたのもこの頃である。

ものすごくいい感じで「よろず屋」が回転し始めた‥かに見えた。

2021年8月1日。暑い夕暮れ時だった。
場所は西九条の駅前。

2021年8月1日「JR西九条駅前」


動画撮影中、私の視野に時折「白っぽいヒラヒラしたもの」が飛び込んでくる。
比較的大柄の若い女性。白い服なので目立つ。
その女性がやたら動き回っている。
何か声を掛けられたが私は撮影に集中していたのでよく覚えていない。
しかし後で訊けば「よろず屋」奉行マツダにいきなり上から目線の指示を出していたらしい。

街宣終了後の片付けでは姿を消していた。
「さっきの女の人、誰?」
「さぁ、なんか前々回の街宣で見掛けたような」
その程度だった。

数日後、その答えが出る。

『大石ちゃん自由自在(仮)』の収録。
大石に連れられてきたのが件の女性だった。
街宣で大石に接近してきた彼女。
そのままボランティアとして参加してもらうことにしたとのことだった。

大石は若い女性に甘い。

ボランティアの多くが男性という反動ではないと思うが、
若い女性を味方につけたがる癖があった。
しかも彼女のファッションセンスを高く買っていた。
正直私には「ふーん、そうかねぇ」というレベルにしか映らなかったが兎に角そうらしい。

そして『大石ちゃん自由自在(仮)』に出演させたいと云う。
断る理由もないので、承諾して次回ご出演で‥ということになった。
2021年8月25日放送予定だった『大石ちゃん自由自在(仮)』がそれである。
放送予定であったということは「放送していない」ということ。
つまり「お蔵入り」である。

収録時、理由は判然としなかったがその女性に「田中さやか」という偽名を名乗らせた。
私が司会で大石と田中が対談する「女子トーク」というスタイルでの収録だった。

ちなみにこの田中某‥訊けば、筋金入り活動家の家に育ち、
幼少期から反戦運動など全国を転戦したと言う人物である。

この日は「全国の左翼集会で彼氏を作りまくり宜しくやってきた」という恋愛系武勇談を大石に向けて謳い上げるトンデモ企画だった。
ふざけた話の連続で司会の私も些か閉口しかかったがとりあえず最後まで収録は完了できた。

だが田中が発言した「大石ボランティアは爺いとおっさんばかりでつまらない」の下りに物言いがついた。
この部分だけかどうかはこれも判然としないけれど、
女性票の低下やイメージダウンを危惧した大石がご立腹。
結果この番組はお蔵入りとなったのである。

この田中某がこれ以降八面六臂の大活躍ならぬ大トラブルを連発させるのである。
故に我々は彼女をトラブルちゃんと呼称する。

大石の御威光を借りた体で他のベテランボランティアに勝手な指示を出す。
思いつきの指示(コンプライアンス違反)で混乱を引き起こす。
街宣のセッティング時や撤収時はどこかに行っており、大石が登場すると姿を表す。(手伝わない)

枚挙にいとまがない。
ざっくり云えば「協調性に欠ける」「マウント取りたがる」という人物であった。

こんなこともあった。
大石当選後しばらくしてトラブルちゃんは大石の公設秘書になるのだが、
大石が演説する脇で固い形相でスマホをいじっている。
発言メモでも取ってるのかと背後からそっと覗き込んだ人物がいた。

「どうでした?」
「スマホのゲームやってましたよ」
「ええー?マジ?」

それ以降その事実を知った皆が背後から覗きこむようになった。

「やっぱゲームでした」
「あれじゃ演説聴いてないでしょ」

いちいちそんな感じだから人心は離れる一方。
だが大石だけは彼女を重用し続けた。
この御仁、本当に人を見る目が無い。

さて、トラブルちゃんの活躍でそれまでうまく回っていたボランティアの中に不満のエネルギーが増大する。

『大石ちゃん自由自在(仮)』収録のついでに私は「ちょっとまずいですよ」と諫言する。
だがよほどトラブルちゃんを気に入ってしまった大石からは褒め言葉しか出てこなかった。

「まずい。これは側用人政治の予兆だぞ」
私は危惧を強めたが、トラブルちゃんはさらに上を行く。

なななんと大石事務所から至近のマンションに引っ越してきたのである。
そして街宣の後などに大石を自室に連れて行き、
そこで温かい汁物やおにぎりなどで饗していた。
つまりトラブルちゃんの自室が「第二の大石御所」となってしまった。
出世欲の強いやつのやることは面白い。

今から思えばこの段階で「勝負あった」である。

生え抜き歴戦の我々旗本よりも御側用人にハートと胃袋を握られちゃどうしようもない。
だがそれでも我々旗本「よろず屋」は日本の政治に変革をもたらすためには頑張るしか無いのだ‥という強い意志だけは残っていた。
酷暑をものともせず必死に戦った。
哀れ、よろず屋‥。


2021年10月30日20時。
苛烈を極めた選挙戦は、大石ボランティアチーム「よろず屋」のエースとなっていた前島かずきが感涙にむせぶ演説によって締めくくられた。
尚、この演説が大石滑り込み当選その起死回生の一発だったという声はいまでも根強い。

翌日投開票。
早々と大阪5区では大石落選。
残す比例での開票作業は遅れに遅れ、日付が変わった11月1日午前4時50分、大石に奇蹟の当確が出る。

この日の出来事は『草の根ボランティアたちの長い夜~大石あきこ当確ドキュメント~』という26分の短編ドキュメンタリー映画としてまとめていて、上映会など開くつもりでいたが今ではお蔵入りである。
※読者限定で観れるようにしておこうw
https://www.youtube.com/watch?v=fZmUhA8sxcg

これは後日談だが、
前島曰く「有給使ってボランティアに来てます」
「え?こんなにまとめて有給を?いまどきホワイトな会社もあったもんだ」
だがそれは嘘だった。
本当は会社を退職していたのだった。
まさしく「背水の陣」で毎日毎日「貝塚市(実家)」からボラに来ていた前島。

その事実を知っていたのは、大石とごく一部の首脳のみ。※私も知らなかった。
そもそも当選なんて夢のまた夢。勝てる見込みはほぼ皆無だったのにこの覚悟。
だから前島には「鬼気迫るもの」があったのだ。

そんな前島かずきが大石の公設秘書となった。
「前島!国会でも頑張れよ」
誰もが喜び祝った。

ちなみに2021年10月19日から放送開始したのが『ミッドナイト前島』である。
街宣のあと、いろいろ話たくて仕方がない(帰りたがらないw)ボランティアの受け皿としてスタートした企画で、
本来は選挙戦終了とともに終わる予定であった。
だがこの番組がどんどん伸びていく。
大石ボランティアの活きた声が響いていったということであろう。
毎回1万回再生を超えるようになっていた。

一部には「仲良しクラブ」と揶揄する者(大石事務所の御家老)も居たが、
功績がデカいのはその仲良しクラブの方である。
これが政治系ボランティアの全く新しいスタイルを確立したエポックであったことは後の「雨の岸和田街宣」で立証される。

2021年11月6日「阪急十三駅東口・凱旋演説会」


第3章「東京」

大石の公設秘書になった前島かずき。
だが東京について行ったのは秘書でもなんでもないトラブルちゃんの方だった。

「勤務する会社の都合で東京なんです」とか何とか。
真偽のほどは知らないが、彼女は赤坂溜池の衆院議員宿舎(大石の部屋)に同居する形で大石の世話を始めていた。

当選から2ヶ月ちょっとしか経っていなかったが、早くも2022年1月には「東京」と「大阪」の乖離現象が起き始めていた。

『大石ちゃん自由自在※(仮)が取れた』の収録。
大石は東京からのリモート出演になった。
収録後の雑談もなくなった。

それまで淀川通りにあった元鉄板焼屋の大石事務所は新大阪駅近く「なか卯の2F」に転居した。
「誰でも気軽に入れる集会場」みたいだった風通しの良い事務所は、入りづらい長居しづらい乾いた事務所に変貌した。

いろんなものが激変した。
これを機にボランティアから離れた者も多い。

尚、当選から約1ヶ月後の2021年12月8日から2泊3日の日程で私は大石に呼ばれて東京出張をしている。
議員宿舎のエアコンのリモコンホルダの取り付けのため呼ばれた(冗談みたいな表向き※本当に取り付けたw)のであるが、いわゆる「東京と大阪の乖離を抑制する触媒」として呼ばれたのは想像に難くない。

このときのトラブルちゃん(議員宿舎に同居中)の大石に対する甲斐甲斐しいサポートぶりは「なるほど大石が評価するのも分かる」というレベルで、
私もなんとか間に立って良好な関係を構築しようと考えたほどであった。

2日目の夜。大石とトラブルちゃんと3人で赤坂の小さなレストランで食事をした。
「ちょっとくらいなら飲んでもいいよね」と笑う大石に「問題なしw飲んじゃえ!」と私もトラブルちゃんも酒を勧めた。
大石は「実はこれ好きなんです」とギネスビールを呑んだ。

ほろ酔いモードで議員宿舎に戻ってしばらくして「山本太郎が来る」との連絡。
「わたし失礼しますわ」と云うと「榎田さんも居て下さい」とのこと。
山本太郎にも会っておきたいので遠慮なく待つことにした。

程なく山本太郎と筆頭秘書(現在トラブルちゃんとご結婚)と広報担当が現れた。
其々見知った顔ぶれなので山本チーム3人、大石チーム3人での歓談になった。
酒を飲まない山本のためにトラブルちゃんが紅茶を淹れた。

だが午前0時を回ったあたりで空気が険悪に変わる。
「大阪でのポスター戦略」についての意見の相違が山本vs大石の間で顕著となる。
我々外野の4人は黙って聴いている。
いつまで経っても話は平行線のまま。
埒が明かずこの場はお開きとなった。

翌朝、新幹線で大阪に戻る途中メール入電。
「こんや梅田の会議室で昨夜の続きをやるので榎田も参加せよ」とのこと。

云われるまま夕方になってその会議室に行くと、
山本太郎+秘書。やはた愛。大石あきこ+夫(事実婚パートナー)。トラブルちゃんそれに私という面子。

ここでも喧々諤々山本vs大石の論戦が続く。
テーマは、やはた愛の顔が入ったポスターをどうするか?ということなのだが、
どうやら大石は自分のポスターにやはたを入れる(いわゆる2連ポスター)が嫌だということらしい。
それをあの手この手で説得する山本という流れに見えた。(我々は只の傍観者)

3時間近く大揉めに揉めて最後は大石が折れる形で話し合いが終わったが、
いかにも後味が悪い終わり方で、大石たちはとっとと帰ってしまうし、
いろいろ片付けていたら大石チームで残っているの私だけだし、
太郎と秘書はカンカンだし、
困ったなーと思いつつ「太郎さんお疲れ様でした」と云うと、
ものすごく心配した表情で「榎田さんいろいろすみません。お疲れ様でした!」と明るく云ってくれた時はいろいろ心が動いたけれど、
いやぁ「もう、れいわ‥いいかな」と思い始めたのがこの瞬間だった。


私の知る限り(つまり最新情報ではない)大石とやはたの関係は劣悪である。
やはたが最初にれいわの候補として検討されていた際、
大石はルッキズム的な観点で彼女を徹底的に否定している。

この頃私は大石に「やはたを只のルッキズムで判断してはならない」と何度も諭している。
最初は頑なだったがやがて「榎田さんがそこまで云うなら、ちょっと見方を変えてみます」と云うようになり
「やはたさんを認めることにしました」との発言が出た時、嬉しく感じたことを覚えている。
だが、それでもポスター戦略や様々な部分ではいろいろと齟齬が生じて、それは今も尚続いているのではなかろうか。


第4章「亀裂」

よろず屋きっての過激派は奉行マツダである。
言い出したら聞かないw
「前島に経験を積ませるため東京に行かせるべきだ」と主張するマツダ。
もっともな意見であるがなかなか大石には届かない。

1月の東京出張から戻った私は、
マツダに対し「トラブルちゃんとうまい関係が作れないだろうか」と相談した。
彼は些か頑固なところはあるが話を理解できないバカではない。
「わかりました。なんとかうまいことやってみましょう!」

そんな私の努力を知ってか知らずか、大事件が発生する。

《前島かずきが公設秘書から私設秘書に降格》
《トラブルちゃん公設秘書に就任》

「驚きの人事だった」

前島にチャンスを当たえず大阪で地味な作業を強いておきながら、
御側用人であるトラブルちゃんをいきなり公設秘書に抜擢。そのために前島を降格させたのである。

もっとも降格と言っても給料自体は変わらない。
だが支給日変更の関係で前島は1ヶ月「無給」という状況に陥った。

なにせ会社を辞めたばかりの25歳の若者である。
潤沢な貯蓄などあるわけがない。
そんな状況であることは事務所側は知っていて当然である。
だが何のケアも無かった。

我々FMCそして旧よろず屋の皆で前島をサポートした。
「この事務所、冷たい。生きててくれよ!って言ってる政党のやることか!」
皆が憤っていた。
明確な「亀裂」が生じ始めていた。

そもそもこれは大石の気まぐれを許している事務局(大阪)の問題である。
責任は事務局長(御家老)にあるのだが、この御仁「解説者」としてはなかなかの腕前であるが「監督」「コーチ」としては最低であった。
やはり大石の人を見る目の無さが光るw

さらに云えば、この事務所の代表が大石であるのは当然としても、次に権限を持つのは事務局長なのか?
それとも夫(事実婚パートナー)なのか?
整理されているのかそうでないのか?
はっきりしないのである。


降格されようがそれでも頑張っていた前島が企画したのが「岸和田街宣」であった。
泉南地域出身の彼が日頃から「れいわは大阪南部が手薄」と語っていて、
それをなんとか打開する一手として大石あきこの岸和田街宣を企画したのであった。

自ら下見(私も同行した)を行い、渋る地元警察書の許可も引き出した。
前島の努力によって岸和田街宣のお膳立てが出来上がった。

2022年4月24日。この日は朝から「雨」だった。
私はFMCスタジオで気象レーダーと睨めっこ状態で待機。
他のボランティア達は大石事務所で待機していた。

「やるのか?やらないのか?」
なかなか決まらない。
そんな中、誰かが大石を雨で濡らせまいと判断し大石の参加は消えた。
後に「髪が濡れるのが嫌だ」と言ったという話になっているが、
実際はそうさせまいとしたボランティアの善意である。

「中止するようです」私を迎えに来たマツダがそう言った。
なか卯の脇にある階段を駆け上がりながら「駄目だ駄目!」私は叫んだ。

私の剣幕に驚いた「よろず屋」たちは呆気にとられていた。

「現地に来る観衆が必ずいる。遠くから来ている人は尚更だ!」
「どうしろと?」
「俺達だけでもやるんだよ」
「大石さん抜きで?」
「そう!そのために俺達は何十回も街宣をやって来たんだろうが!」
「大石さんには何と」
「俺が仁義切る。責任は俺が持つ!」

ちょっとカッコいいでしょ。
でもこのときカーッとなってそういう気分だったのは事実。
大石に電話して裁可を取った。

「行くぞ!」

予定から1時間ほど遅れたが現地には我々を待つ支持者や聴衆が雨の中待ってくれていた。

2022年4月24日「南海岸和田駅前ボランティア街宣」

伝説となったボランティアだけで乗り切った岸和田駅前街宣のスタートである。
私と前島が司会役。
マツダが、eggが、ウォール春名が、堀口が、そしてこの頃顕著に台頭してきた高橋一郎も見事な演説でリレーしていく。
まさしく市民それぞれが政治を熱く語っていく姿。

いつしか雨が上がり、駅前アーケードの練り歩きまで敢行。

生配信で見ていた支持者だけでなく数多くの「れいわになんとなく期待する人々」を感動させることに成功した。
参加したボランティア、雨のなか集まってくれた人々の気持ちが一つになって「れいわスゲえ!」と云わしめた肌寒かったけど熱い一日が終わった。


第5章「よろず屋はずし」

2022年に入ってから私は、大石に請われて有償ボランティア(半年契約での業務委託)として月30万円を報酬として受け取ることになった。

人によっては30万円を高額だと感じることだろう。
だが私の場合は、機材込みである。
撮影・音響・照明・編集・配信などなど自前の機材を使う。
これレンタル料としても月30万円ではペイしない。

技術料、演出料など積算すれば「笑うしかない数字」である。
けれど文句を云うつもりは無い。
私は頂いた30万円の殆どをさらなる機材導入(設備投資)に充てた。
新たにGスタジオを借りたのもこれがきっかけだった。

ちなみに私自身はヘソ繰りを切り崩しての耐乏生活。
前職の大手ケーブルテレビ会社は、社内の機構改革で専門外の仕事を押し付けられたので辞めていた。
もちろん大石当選以前に退職済。
大石議員の銭を当てにしたとか言っているピンボケ野郎がいるようだがとんでもない侮辱である。

さて、業務委託を請けた以上、当方プロとして誠実に対応していた。
突然の夜中の発注(こんなのばかり)にも「翌午前中仕上げ」とかやっていた。
設定した納期に遅れたことは無い。

撮影に来いと云われたら東京にも出かけた。(さすがに交通費は別途支給されたがw)
大炎上したよだかれんとの対談動画のリメイク版撮影に駆り出されたり。
苦痛ではなくむしろ楽しかったな。
役に立っている自負があった。

何度も云うが、納期は厳守。
無理なオーダーにも柔軟に対応した。
(これについては通信記録が残っているのでいつでも証明可能である)

しかし水面下では全く異なる動きが始まっていた。

ある日、トラブルちゃんに呼び出された高橋一郎。
トラブルちゃんから「榎田が云うことを聞かない。納期も守らない。榎田のギャラから5万円削って高橋さんに回すから榎田をうまくコントロールしてくれない?」と持ち掛けられたそうな。
私の働きぶりをよく見てくれていた高橋は、その打診を一蹴した。

この出来事‥彼はしばらく私には黙っていたのだが、後に我慢の限界を迎えて私に全て吐露してくれた。

そのような次第で、2022年5月頃(岸和田街宣の直後)には事実上の「榎田外し+よろず屋外し」が水面下で動き始めていたようだ。
気持ちの悪い人達である。

だが私は「お人好し」だった。
知らぬ事とは云え、なんとかしてトラブルちゃんとの間を取り持とうと画策していたのだから。


大阪都構想に関する住民投票署名(システムが非常に煩雑だった)で、
やはた愛ボランティアチームに偽命令を出して大事件一歩手前まで行かせたトラブルちゃんに業を煮やした奉行マツダが
上申書を作成して大石に掛け合おうとしたときも最後まで「もう少し待て」と言ったのは私だった。

結局、事態悪化は止められず2022年5月21日にマツダ主導で「上申書」が提出された。

大石を交えて「上申書」の件について話し合うことになった。
2度目の岸和田駅前街宣(この時は大石登壇)の後、事務所に戻ってきてから話し合いとなった。

首謀者マツダ奉行の若干の怒気が混じって震える声が会議室に響く。
この時、上申書に加わった榎田・堀口・前島・egg・春名など「よろず屋」が雁首揃えて大石+夫(事実婚パートナー)と対峙した。

結果、大石から「トラブルちゃんは大阪での活動には参加させず東京限定にする」という懐柔策が発せられた。
それ以上の譲歩は見込めそうになかった。

「トラブルちゃんは東京で先鋭化して牙を向いてくるはず」私はそう思った。恨みの矛先を向けやすいのは私であろうとも考えていた。

そのような経緯もあり、私は半年間の契約満了を持って大石事務所から離れるつもりで準備を始めた。

幸い、在京の映画配信会社からプロデューサー職での招聘があり、非常に魅力的な仕事であったため乗ることにした。そもそも断る理由が無かったし。
これについては、よろず屋の面々にはざっくりと話をしていて、機材もある程度置き土産として進呈するつもりでいた。

ところがである。
大石から「遅くなったが契約更新について手続きを進めたい」という連絡が飛び込んできた。
ノリとしては「契約継続したい」というトーンでの会話だった。

ついては「契約更新に際してこれまでの作業一覧が欲しい」ということで、契約期間内で撮影や配信などで出動したデータを全てまとめた。

折しも2022年参院選の真っ最中。
私は「やはた愛候補陣営に映像配信担当として加勢せよ」という指示を請けており、連日生配信など休むこと無く動き回っていた。
それらの記録も欲しいということだったので詳細をまとめて報告した。

ちなみにこの時の記録を元に普通の制作プロダクションだったら?と積算したところ、月平均80万円(相当安く見積もってw)だった。

半年の契約期間は満了に近付いていた。
通常の下請法では原則として少なくとも30日前までに契約関係の予告をする義務がある(法16条1項)。
30日を切っていて既におかしな感じになっているのだが、政党ってのはこの範疇にないらしいw

伸るか反るか。いずれにしても時間が無かった。

私は決断した。
こうなったら半年だけ大石を応援しよう。
えーいままよ!映画の話は諦めよう。
まだこの時点で私は大石を信じていた。(正常化バイアスだったなぁ)

半年間の契約期間が過ぎて7月も終わろうという時「都度契約」になりましたと一方的に告げられた。
はぁ?
都度契約というのは「仕事があれば発注する」という空手形みたいなもので、事実上の契約解除だった。
これ明確な「下請法違反行為」である。

それでも許す私がいた。(アホだ)

2022年9月下旬のある日。
契約の件は置いといて「それでもれいわを応援しよう」と考えた私(どこまでお人好しだよエノキダ)は、来年2023年統一地方選に於いて、大切な仲間であるいわゆる《なにわ三銃士》つまり「前島かずき」「たかはしいちろう」「堀口こうすけ」が大阪市議選と吹田市議選に立つ準備が進んでいることだし「大石のもとに一つになって頑張ろうや!」と奉行マツダを説得していた。

マツダは上申書の肩透かし以降すっかり大石から心が離れていた。
だが私の説得に根負けした彼は「榎田さんがそこまで云うなら私もツイていきますわ」と云ってくれた。正直ホッとした。(すぐに無意味だと分かることになるのだが‥)


この日、大石事務所では支持者を集めての《なにわ三銃士》お披露目をやっており、
そのあと大石、トラブルちゃんらと三銃士の面々が西中島界隈の居酒屋で呑むことになっていた。

同じ時間、私はマツダ、eggらと共に近くの別の居酒屋で「がんばろうね!」と怪気炎を上げていた。

1時間くらいして三銃士が我々の居酒屋に合流した。
3人共にすごい剣幕。お怒りモードである。

「みんなどしたの?」
「榎田さんの理不尽な悪口をずーっと聞かされまして」
「誰から?」
「大石ですよ」
「へ?」
「センスが悪いだの、付き合うのやめろだの悪口雑言」
「あたまに来ました!」
(しばし沈黙)

「・・・マツダさん、さっきの話‥無しねw」

そこまでとは考えてもいなかった。
愚直に大石を支えてきたつもりであったが、事ここに至れば処置無しである。

随分後になって前島が「大石は金が絡むと金で言う事を訊けとばかりの態度になる」と語ってくれた。
あーなるほど。月30万円で私は支配されていたのか。
どうやら私たちは仕える主君を間違っていたようだ。

時々SNSで「大石さん素敵」「大石さんの優しさ」などの文言を見掛けることがある。
「無知って凄いね」

さてさてこれにて「大石ちゃん自由自在」は打切り。
大石事務所とよろず屋及びFMC(IBB)も手切れに。
2020年から続いた我々の大石支援は、ご本人の低俗な舌禍によって完全に断ち切られたのである。

(サイドストーリー/新大阪トイレ事件)
大石支援を打ち切ったものの「登録ボランティア」として首の皮一枚残していた我々(ほんとお人好し過ぎる)。

2022年9月24日22時頃。
大阪市淀川区西中島の大石事務所前で発生した近隣ビジネスホテルのシステムダウンと新幹線運休が重なって発生した行き場を失った旅行客たちの大行列。
(参考)https://x.com/CoralBlue1981/status/1747064312672526616?s=20

これを観て何か出来ないかと考えたのが「トイレ支援」だった。
女性が多く、近くに好適なトイレが少なかったこともあり、大石事務所のトイレを解放しようと考えた。
管理及び清掃は私が責任を持って行う。諸々手はずを整えたのだが思わぬところで待ったがかかった。
大石議員本人が「新幹線なんか乗っているのは金持ちなんだから支援する必要はない」「なか卯のトイレを借りればよい」などと発言。
トイレ開放を拒んだのである。

「この人駄目だ。諦めた」
我々よろず屋が完全に撤退した瞬間のエピソードである。

我々が去った後で、事の重大さを知った大石がタクシーで現れ、その場に残っていた前島に対し「(立候補)やめますか?」と迫ったという。
この一件が、愛弟子として大石を献身的に支えてきた前島の心を急速に醒めさせるきっかけとなった。

またまた舌禍である。
どれだけ身から錆を出す人なんだろう。


第6章「たかはし・前島 離党」

たかはしいちろう(ひらがな表記で立候補したのでここからそれに倣う)は、大石当選後にボランティアに加わった逸材である。

あまりにフットワークが軽快なのとトラブルちゃんからあからさまに目を掛けられていたのを見て、当初私は警戒感を持ってしまったのだが、
よくよく話をしてみれば実に知的でハートのある人物だと分かった。
それ以降は気心知れた仲間であり戦友。
共に泣き、共に笑った。

れいわ新選組「なにわ三銃士」として活動を開始してから彼の動きは目を見張るものがあった。
兎に角「機を見るに敏」ボランティアも彼の一挙手一投足についていくだけでかなり大変だったと思う。

当初彼のチームリーダーを引き受けた人物は残念なことに歩調が合わず、すぐに袂を分かつことになってしまった。
だが面白いもので、たかはしの動きを先読みできる秀逸なボランティアが自然と育っていき、次第に戦力足りうる逸材が次々に現れることとなった。

兎に角たかはしは様々な人と会い、その都度有益な情報を引っ張ってくる。

そして活動を展開していくうちに自ら立候補予定だった大阪市議選ではなく大阪府議選にこそ活路を見出す余地があると考えを改めていく。

その頃私は彼に張り付いて撮影記録を続けていたので現在進行形でいろいろと話を聞いている。
例えば近隣の再開発話に絡む社会構造の暗部(物凄く重たい話)であるとか、あるいは政党間の利害関係に絡む話とか‥。
何れもジャーナリストとして聞き耳を立てたくなる特ダネばかりであった。

たかはしは得られた情報を精査していくうちに自分自身が「れいわ」の宣伝ポスター貼りに駆り出されている捨て駒(拡販員)であることに気づく。
だが彼は本気で政治の道を志していた。
つまり「勝って議席を取る」ことが最大の目標であった。
泡沫扱いされることを徹底的に忌避した。

当初、他党陣営から蛇蝎のごとく嫌われた「れいわ・たかはしいちろう」であったが、彼自身の圧倒的な人間力でその関係性を一気に修復していく。
これには目を見張った。

すると今度は「れいわ」に居たら知り得ない貴重な情報が次々に入ってくるようになった。

中には「大石なら知ってるはず」という超特ダネが飛び出したり‥。
「え?なんで自分にその情報が降りて来ないの?」不信感が増大する。

この時たかはしから「榎田さん、僕はとんでもない闇に引き摺られようとしてたのかも」と打ち明けられたのを鮮明に記憶している。

数日後、たかはしは大石に対し「より広い支持層を掘り起こすため、れいわ公認ではなくれいわ系無所属という形で府議選に鞍替えしたい」と打診。

だが理解を得ることはなかった。

そもそもどう考えても大阪市議選では勝ち目が無かった。
むしろ府議選に活路を見出し、無所属としてれいわ支持者とリベラル勢力を結集させ(実際1万票を超える獲得であった)兎に角「議席」を獲得した方が、回り回ってれいわ新選組のためになったはずだが、大石はそんな思いには至らなかったのだろう。
訊けば、選挙後たかはしを自分の秘書として置いておくつもりだったらしい。
極めて近視眼的思考である。

だが、たかはしはそれを蹴った。

すぐに「敵認定」された。
法的根拠が希薄な金銭的賠償を強いたり様々な圧力がかかってきた。
さらには公認取り消しまでわざと日数を浪費させるなど、
端から見て「えげつない対応」をれいわ新選組は堂々と展開した。

当初「れいわ系無所属」を標榜していたたかはしであったが、次第に「反れいわ」に舵を切っていった。

れいわ新選組は人間の感情コントロールが本当に超ド下手である。
2023年1月24日。たかはしいちろうは、れいわ新選組から離党した。

◎榎田砲
2023年1月25日。この日、新大阪Gスタジオで慰労会が開かれていた。
前島かずき、堀口こうすけ、そしてれいわを離党したたかはしいちろう、よろず屋も勢揃いしていた。
長い時間熱く熱く語り合った。
党派など友情の前では無力である。

だが彼等なにわ三銃士を見守っていた私としては、
続々耳に入ってくる「れいわ」そして「大石が発する雑音」に我慢がならなくなっていた。
そして一か八かの勝負に出た。
生配信『榎田砲』である。
徹底的に非を論(あげつら)った。

れいわ支持者の多くは困惑したことだろう。
だが私は嘘もついてなければ誇大な表現も使っていない。
本気の怒りだった。

この直後、実は私に対する賛同者が意外にも多かったので正直驚きを禁じ得なかった。
支持組織に対しても冷静な批判精神を発揮できる「まともな支持者」が数多く居た証左である。

後々わかったことだが、ネット上に散らばった党本部のシンパが「榎田は精神を病んでいる」というような人格否定リプをつけて回っている。
実際、集会などでも同様のデマをさも信憑性高そうに深刻な表情で語っている人物を見たという目撃情報が多数寄せられている。
そういうデマゴーグによるオルグは極左系の得意技であり、
それに感化された人物がいまだに我々を攻撃し続けている。
負けないけどね。

そもそもこんなことをやっているから新陳代謝が薄れ、
先鋭化した「信者」だらけの気持ち悪い政党に堕ちているのに。
愚かの極みである。

◎吊し上げ
2023年1月29日午後3時に発生。
約3時間に渡り「れいわ新選組衆議院議員大石あきこ事務所」内の会議室に於いて、
大阪市議選予定候補者だった前島かずき、堀口こうすけ両名に対する問責が行われた。

これは、過日生配信されたいわゆる「榎田砲」と呼ばれる「れいわ新選組の運営方針」および同議員に対する痛烈な批判が行われた事に対して、
スタジオにて同席していた前島・堀口両名に対する問責であったが、
大石議員とその事実婚パートナー、事務局長(御家老)はじめ大石が掻き集めた10数名の支持者らによる事実上の「吊し上げ」であった。

これは正常な事情聴取および民主的な議事進行とはとても言えない「極めてお粗末な糾弾集会」として同党支持者からも批判されているのだが、
同事務所からは謝罪はおろか弁解すら出されていない。

そもそもこの組織は、修正することを一切しない。
「1ミリもブレない」ということを喧伝しているが
有耶無耶にしてごまかすだけの卑劣極まりない組織である。

午後6時ごろ、吊し上げから解放された堀口こうすけから電話が入った。
「抗えませんでした。すみません」
彼は涙声で謝罪し同党に残ることを伝えた。
私は「かえって迷惑かけちゃったね。すまなかったね」としか声をかけられず、
いまも彼を守れなかったことを後悔している。

一方、前島かずきは新大阪Gスタジオに現れた。
幽霊のようだった。
あの健康優良児のような前島から生気が喪失していた。

「いやー。人間って何なんですかね」
ため息をつきながら椅子の上で固まっていた。

奉行マツダも現れた。彼も心底心配していた。
彼の愛情はいつも「食べること」である。
飯を喰えば元気になれる。
そんなスタイルである。

「なにか食べてるか?」と問うたら、
朝から何も食べていないと云う。

十三駅近くの定食屋に移動した。
前島はチキンカツ定食をオーダーした。
いつもだったら配膳されるやいなやガツガツと平らげていく彼だったが、
この日はまるで違っていた。
皿の上の料理をじっと見つめている。

「大丈夫か?無理に食わんでもいいぞ」
「いえ、この料理を作ってくれた人に失礼ですから食べます」
ゆっくりと彼は箸を運び始めた。

「味がしませんわ」
料理のせいではない。
前島の精神が味覚中枢にブレーキを掛けている。
それほど強烈なショックだったのだ。

訊けば10数名(ざっと13人だったという話がある)の死んだ目をした中高年男女に囲まれ、
言葉による吊し上げを喰らったのだそうな。

「榎田との関係を断ち切れ!あいつの配信には二度と出るな!」
「除名だ」
「立候補させないぞ」

可哀想に前島も堀口も彼らは何もやっていないのにである。
しかもそこに居たのは現職国会議員先生様だ。
全く持って世も末である。

その政党の代表者は「生きててくれよ!」と叫んだ。
例え敵対する勢力の人間であっても生きる権利があり、
それを守るのが我々「れいわ新選組」だと確かに言った。
ならどうする?
大石あきこ衆院議員は党是に反した行為を明らかに実行した異端だぞ。
大西つねきのケースよりも重大な離反行為ではないのか?

悪態をついたのはこの私・榎田信衛門である。
私を吊るし上げるならまだしも(負けはしないが)
年少の2名を吊し上げたお前らを私は絶対に許さない。

いつもの3倍くらい時間をかけて前島は定食を完食した。
腹は満たされたが心はカサカサだった。
1人になると何するかわからない‥そんな様子だった。

一旦Gスタに戻り、少量のアルコールを飲んだ。
そのとき、大石に近しい某人物から電話が入った。
前島を心配して掛けてきたのだった。
1時間くらいの通話だったろうか。
私は脇で知らぬ素振りでネットを見たりしていた。

通話が終わった。生気が少し戻っていた。
カサカサの心にお湿りがあったらしい。

「ここで寝ていきな。私はFスタに戻るから何かあったらいつでも連絡を」
「すみません」

翌日、前島かずきはれいわ新選組から離党することを決意した。

この時、大石側は自分たちの行いの重大さに少しは気付いたようで、
「慌てて結論を出さなくてもいいから」など甘言を繰り出してきたが後の祭りである。

前島は速やかに離党もしくは除名するよう党本部に迫った。
たかはしいちろうのケースと同様、約2週間も塩漬けにされ2023年2月15日ようやく離党となった。


第7章「地域政党163と政治の芽」

たかはしいちろうは大阪市東淀川区から、
前島かずきは大阪市淀川区から、
其々れいわ新選組の拡販員としてポスター貼りを強いられる捨て駒から脱却して無所属・大阪府議会議員候補となった。
そして統一イメージとして「地域政党163(元々たかはしいちろうのチーム名)」を掲げることになった。

私は当初たかはしチームをフォローしていたのだが、
同チームに優秀なボランティアが続々誕生していたのと、
前島チームの立て直しが急務となったことで前島選対に加わった。

ポスターやチラシなど大慌てで制作した。
163のリソースを借りつつ、独自のスタイルを出していった。

たかはし街宣車は、古い軽ワゴンをみんなで塗装したもので、東淀川区内を縦横に走り回り、その可愛い色合いも相まってすぐに話題となった。

2022年10月31日スピーカーを取付けた「たかはし街宣車」


また、たかはしは他党候補に対しても最善の礼節を尽くした。
例え対立軸にある「大阪維新の会」の候補者ポスターであってもそれが忘れ物であれば事務所まで行って届けた。

批判的な言動をする市民に対しても時間の許す限り話し込み、
最後にはたかはし支持者に変身させてしまう。
これはすごかった。

前島街宣車は彼の自家用車にドデカい看板(マツダ奉行が「付ける!」と云って譲らなかったアイテムw。結果目立つ存在にはなった)を乗っけたタイプで淀川区内を走りまわった。

2023年4月1日「前島街宣車」


当然、西中島の「なか卯」の前も通過するのだが、
その際「アナウンス」に力が入っていたのは言うまでもない。

たかはしいちろうは阪急上新庄駅や淡路駅で
前島かずきは西中島南方駅、阪急三国駅、神崎川駅などで駅立ちを其々終電まで展開した。
(マイクを使わなければ時間の制限は無い)

実はこうした夜間の駅立ちなどで「れいわ」を盲信する過激派の攻撃を私は警戒していた。
何があっても前島を守る‥そう誓っていた。

だが拍子抜けするほどそんな動きは無かった。
否、れいわ支持者という人物自体に殆ど出会うことが無かったのだ。
さすが支持率1%の実力である。

むしろ「維新」支持者は多かった。
大阪という土地柄特有であろう。

以前は「維新支持者」を前にして「れいわ新選組」だと名乗れば一気に険悪なムードに包まれていたものだ。
だが今は「無所属」である。
まるで当たりが違っていた。

例え「カジノ・万博反対」と云っても「とりあえず話を聞こうか」という感じである。柔らかい。

どうやら「れいわ新選組」の喧嘩腰は、兎に角あらゆる忌避反応を誘発するらしい。
非常に面白い発見だった。

本当に「対話」が生まれやすくなった。
政治は分断ではなく如何に融合するかである。
そのきっかけが対話だ。
超弱小政治集団163は確実に政治の芽を育成させていた。

だが‥

結果は両名共に落選であった。

とは云え其々1万票を超える得票。
組織も何もなく宣伝日数も短縮することを余儀なくされた素人チームにしては奇蹟と云っても良い得票だった。

最終章

2023年「統一地方選」あれから1年近く経過した。

いま私はこう思っている。

れいわ新選組という公党が、
あるいは大石あきこが、
「分断」を是とするような行動に出なければ、
我々は立党時の理想である「生きててくれよ」な世の中に1歩か2歩は近づけたかもしれない。

だがそこに1ミリも近付くことなく、

  • マルチビジネスで教え子を苦しめた人物がのうのうと「れいわ系無所属議員」として存在(あれ?たかはしにはそうさせなかったのに?)

  • 面倒な対話を諦めて「タコ踊りパレード」でお茶を濁す。

  • 各地で発生したボランティアのトラブルにガバナンスを発揮すること無く逃げる。

  • 能登半島は一体どうしたいの?

  • 一時停止違反の大石街宣車についても知らんぷり。

ダブスタどころかそもそもゴールポスト動かしまくりでスタンダードが存在しない党ってどうよ。

御党の正義は何処にある?

2019年7月11日「JR大阪駅」

2019年にはこんなにいた聴衆。
だがわずか5年で閑古鳥が鳴いている。
それでも信者達は「すごい数の参加者」と喧伝する。

でも減ってるよ確実に。

それは増やす努力をしないから。
人の気持ちをつかもうとしないから。

うーん、なんだろな。
今や「れいわ新選組」ってそれ以上でもそれ以下でもないよね。


我々「よろず屋」は、
大石あきこという人物によって集まり、
そして大石あきこの言動の変化に非常な違和感を覚え、
そこから離脱することを選択した集団である。

中には離脱を選択せずその場に残った者もいる。
だがそれは個人の自由。
我々が無理強い出来る話ではない。

いま「よろず屋」は、ウェブラジオFMCと「融合」して『IBB独立放送旅団』としてその歩みを続けている。

政党政治の綻びや矛盾。
弱小政党のガバナンスの欠如に落胆した我々である。

我々なりの最後の手段として「威力は低いが市民メディアの啓蒙能力」を武器に戦い始めている。

読者諸氏のご支援・ご声援を心よりお願い申し上げる。



あとがき

(2024年2月20日12:05 追記しました)

此処に記した出来事については、極力「日時」などが証明できるドキュメント(デジタル写真、動画データ、音声データなど)を元に記述している。

もちろん此処に記していない出来事、証言、エピソードなど他にも多数存在する。
中にはコンプライアンス的に疑問符を付けざるを得ない事案もあり、今後の展開によっては、これらを別途詳らかにすることは吝かではない。

例えば‥
中高年ボランティアが若年ボランティアに思慕の念を抱き、性的に倒錯した写真を一方的に送付するなどしたセクハラ行為を大石事務所側が認知したにも関わらず「放置」した事案(被害者側から証拠データ、証言を入手済)などがある。

他にも、メールやLINEなどの通信記録などを複数の元ボランティア・関係者から入手している他、約2TBに達する膨大な映像・音声データを当方は有していることを付記する。

尚、本書は「よろず屋」関係者とりわけ榎田信衛門の一方的見解である。
我々が何らかの攻撃意図を持って有りもしないでっち上げを記しているとお考えの方は、ぜひ「衆院議員大石あきこ事務所」または「国政政党れいわ新選組」に反論を求めて頂きたい。

我々に対して「精神状態が普通ではない」「病気だ」などの風評流布(2023年1月29日「吊し上げ」現場でもそう発言する者が居た)は、とっくの昔に破綻しており、当方はいたって「正気」である。

今回「1600円」というやや高額な金額を設定したのは「ひやかし避け」とIBB独立放送旅団として「能登半島への取材および支援活動」の資金確保を目的としている。ぜひご理解を賜りたい。

本書に対するご意見・ご感想・情報提供などは下記メールアドレスまで。
◎メール→ info@ibb.osaka


あとがき2


(2024年2月29日13:25 追記しました)

本書を発表した日時は「2024年2月20日06:47」と記録されている。それからやがて10日だ。

その間、予想を大幅に超える沢山の読者に恵まれた。
SNS上でも多くのリアクションを頂き、直接此方にメールで長文の感想+体験談を送って下さる方もいた。

「今頃になって言い出すのはどうか?」という声もあるようだが、おいおい‥かれこれ1年半以上指摘し続けているぞw
(思い込みだけで裏取りもしない粗野な自称ジャーナリストが多いな。特にれいわ系はw)

例えば2022年の9月頃から私は、一連の「プリティ宮城ちえ市議マルチまがい商法騒動」に関してSNSや此方の配信番組を介してれいわ執行部批判を始めている。

2022年10月7日配信『臨時金曜版/その他のエノキ倶楽部 プリティ宮城ちえ市議離党。高い授業料でした。by榎田信衛門』など「ウェブラジオFMC」あるいは「ウェブテレビGetsu-Tele」の各番組でも党執行部批判を行っている。

このとき既にれいわ新選組から心が離れて批判的な論評を開始していたものとばかり思いこんでいたのだが実際はそうではなかった。
前出の10月7日配信でも「れいわ推し」のスタンスを崩すことなく、つまり軸足をれいわに置いて批判をしている。それはまだ同党の中に「改善の可能性」があることを信じていたからに他ならない。

だが事態は悪化を辿る。

この時期「なにわ三銃士」立候補発表で我々「よろず屋」も盛り上がっていた。
大石について私は完全に見限っていたが、その一方でれいわの看板を背負って立つ三銃士を熱烈支援である。元々戦友だし。
つまり私はまだ「れいわ系」だったのだ。

当時れいわ支持者の中にも「榎田の発言は一理ある」という声は少なくなく、はっきり言えば、当時此方のスタジオに出入りしていたれいわ関係者、ボランティアの全員と言ってよい、彼等が私の意見に賛同していた。

そういう「よろず屋」の状況は、大石を大学時代から支えてきた私設秘書某(うちではマッキーと呼ばれていた)が大石およびその伴侶に逐一通報していた。
彼は「みんなの声を大石にきちんと伝える。任せてくれ」が口癖だったが、結果として体の良い間諜(スパイ)でしかなかった。

通報があれば即「粛清」が彼等一流のやり方だ。
絶対に「改善」は行わない。
それがやがて「たかはしいちろう離党」「榎田砲」「吊し上げ」「前島かずき離党」となって急坂を転がり落ちていく。

同時期各地で噴出したれいわのボランティア騒動では、この手の間諜の存在がクローズアップされる。
いわゆる極左系集団ではよくあることで、このとき既にれいわ新選組は極左的運営に明確に舵を切っていた証左とも言える。

そして最も不思議なのは、大石あきこの党幹部としての責任の所在だ。

2022年末「大茶番」と言われた代表選挙でれいわ新選組共同代表に就任した大石あきこである。曲がりなりにも重責だからこそ責任の所在が気になるところだ。

で、実際には‥

  • ボランティアの核となっていた「よろず屋」の離反を招いた責任。

  • たかはしいちろうを離党に追い込んだ責任。

  • (榎田砲はまぁいいやw)

  • 事務所内での吊し上げ事件というイメージダウンの責任。

  • そして前島かずき離党の責任。

いまだに大石は1ミリもぶれずスルーである。
だから駄目なんだけどw
インパール作戦の牟田口廉也だって解任されているのに。

まだある。

  • 堀口こうすけを強引に残留させた後の「吹田市議選惨敗」の責任。

これは大きい。
当初吹田市議選は「余裕で勝利」と見られていた。
だが、公示前に「よろず屋」「たかはし」「前島」に見限られ、地元支持者からも呆れ顔で観られるに至った大石は、起死回生のカードを切る。
「山本太郎」だ。

他地域の候補とは明らかに別格。
山本太郎を何度も応援演説に駆り出し、大石自身も支持を訴えた。
超特別扱いである。
意地を見せたかったのかも知れない。
だが結果は惨憺たるものだった。
なななんと下から5番目の1,586票しか獲得できず惨敗。

衝撃的な写真がある。衝撃的過ぎて「合成だ」とか言われかねないのであえて掲載しない。
それは大石ボランティアの心ある人物(彼等からすると榎田一派の間諜ってことになるなw)が我々に送ってくれた街宣の全景写真で、立ち止まって耳を傾ける人が5人にも満たないそれはもう淋しい状況を捉えたものだった。
ちなみに応援弁士は山本太郎。
場所は吹田市内の目抜き通り。通行人は多い。
同時刻、私も生配信を観ていたが「どうしちゃったのこれ!?」とすぐに前島らと情報共有したくらいだ。

有権者数30万6,319人の吹田市その市議会選挙(立候補45人うち当選36人)と無所属前島かずき候補が立った大阪府議選淀川選挙区・有権者数14万9,452人(立候補3人うち当選2人)とでは単純比較は出来ないけれど、それでも「1,586票」は衝撃的な数字だった。

ちなみに組織・金・時間の3つが大幅に劣っていた前島の得票は「1万123票」である。落選とは言え堂々たる数字だ。
同じく無所属たかはしいちろうも大阪府議選東淀川選挙区・有権者数14万1,857人(立候補3人うち当選2人)得票「1万114票」である。

党の幹部が連日応援しておきながら「1,586票」という体たらく。
信者と呼ばれる皆様は熱い弁護をなさるだろうが、それを享受しちゃいけないのが「責任者」である。

他党であれば、これだけの「失点」を並べてしまえば、役職を辞して責任を取るのが妥当。
だがれいわ新選組は普通ではない政党(≒異常)なのでスルー。

責任を取らないということは「なにがあったか?という総括をしない」ということで、きちんとしたアナウンスは無し。たまにそういう質問が飛んできてもお茶を濁す。

岸田総理が「検討を加速」「緊張感を持って対応」「信頼回復」などを連発する『岸田構文』で国民の嘲笑の的(まと)となっているが、その一方で大石だったら「クソ」「犬」、山本太郎は「うーんなんだろな」「それ以上でもそれ以下でもない」と煙に巻くことばかりでさっぱりわからない。

自民党も恐ろしく劣化して全く持って末期症状だが、れいわ新選組は立党(2019年4月1日)から僅か5年でこのザマだ。

2019~2021年ごろの山本太郎の切れ味鋭かった熱い演説を信奉する人達は、今もあの時のまま「きっと山本太郎がやってくれる!」と信じている。

だがどうだろう。生き神さまは変節してなさらんかね?
あの頃の山本太郎は「金持ちが」「大金持ちが」と叫んでいたが、今では言い方が変わった。
「資本家」だ。
明らかに左派的階級闘争に寄せている。
これは大石が台頭した頃からの変化で、それと同じくして「れいわ新選組」は変節した。

もうあの頃には戻れないだろう。

(また気が向いたら第2弾出す前に何か書くかもw)


あとがき3


(2024年3月27日15:23 追記しました)

れいわ新選組の運営手法などを批評・批判したとき、同党関係者が弁解なり反論なりをしたならば、それは政党人としてごく普通の行動である。
不思議なのは黙殺もしくは論点ずらしでひたすら逃げ回っていることだ。

おしゃべり会でもそう。
SNSでも回答はほぼ無い。
本部に電話やメールしても同様だ。

例え建設的批判であっても全て黙殺である。

最近は「タコ踊り行進」に押されて開催数が減っているようだが『おしゃべり会』なども土台《議論の場》ではなく、論点ずらしの『ひたすら詭弁を拝聴する集い』になっている。

ところがSNS上では、一部の突出した自称支持者共が、批評・批判した個人に対する攻撃を猛然と開始するんだな。
さらに犬笛に釣られた新参支持者共(新兵。信者予備軍※割とすぐに脱落するw)が斜め見して攻撃に加担。
おいおい司令塔の指示でもあったのか?‥と思うほど一斉に飛びかかる。

批判内容に関する真っ当な議論なんてものはほぼ皆無。
あるのは批判者個人に対する誹謗中傷と人格否定。
もっともオツムの程度が知れる浅い言動しか出来ないので、論客には駆逐され、批判者および市井の民からは蛇蝎のごとく嫌われる。
斯様な有り様を諌めるまともな支持者もかつては居たけれど今は離散してとんと見かけない。

こんな状況が続いている。
まともな支持者は、そりゃ増えませんよマジでww

不思議なもので最近私には飛びかかってこない。ほんと不思議w
「榎田を突付くと何されるか分かない」‥という危惧でもあるのか?
2023年末くらいから潮が引くように静かである。

ごく稀に制御が効かない数名(れいわ界隈でも鼻つまみとの情報)が時々思い出したように私を誹謗中傷の対象にしているが、攻撃力が低過ぎて愛らしいくらいだw 
もっとも彼等のお陰で本書を公開する気になったのだから、むしろ謝辞を述べておかにゃならんかもね。


終わりに

2024年に入ってからの「れいわ」は勢いを増して急坂を転がり落ちている。
「いやいや榎田、それなりに支持率あるぞ!」という声があるかもしれない。だがわずか1~3%前後の支持率つまり水面スレスレの低空飛行であることは間違いない事実。
そもそも分母が少ないのだから、人が入れ替わる際の「誤差」だということは想像に難くない。

そんな中、れいわと袂を分かつ人たちが相次いでいる。
すぐさま自称支持者共が誹謗中傷の限りを尽くして送別する。わざわざ敵に回すためにw

論客とも云える有力支持者だった。
ひょっとしたら候補者になれたかもしれない人物だった。
議員として戦力になるはずだった。
彼等は即アンチ化している。(そりゃ当然ですわw)


党代表による政策の根幹に関わるような発言。
だが例えその発言がブレまくっていようとも「素晴らしい」と礼賛するばかりの自称支持者。
これでは支持者ではなく最早「工作員」である。

~れいわ新選組「おしゃべり会(2024年3月23日、大阪市・福島区民センター)」YoTubeより~

「山本代表、核抑止力を是認」
これ、政策(バイブルとも云える)に対する信奉者であれば怒るべき事柄。だけども沈黙。沈黙。大沈黙w
あぁ、党幹部個人に対する信奉者であれば「工作員化」もさもありなん。党崩壊と共に殉死なさるが宜しい。

私は、誰かが書いた文書(例えば政策)など、その都度参考にすることはあれ、それに人生や命をかけようとは欠片も思わない。
逆に人物に対してであれば、その人物に対して人生や命をかけようと思うことはある。
だが「れいわ新選組」の幹部共に人生や命をかけようなんて「素粒子レベル」でも思わない。
何故って、その価値を遂に見つけることはできなかったから。

私はいま別の道を歩き始めている。
すこぶる良好である。

れいわ新選組と距離を置くと人生が開ける。(かもよw)

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