見出し画像

晴耕雨読と晴労雨労

こんにちは。北海道から東京に引っ越してきて初めての梅雨ですが、今年ぐらいのなら乗り越えられそうです。どうもえのきです。でも今年軽いんですもんね。☔️

梅雨といえば、雨が長く降り続きますね。
雨の日はなんだか気分が乗らないなあ起きられないなあという経験をしたことのある方も多いのではないでしょうか?(気圧や日照時間の影響が関係していそうですね、詳しく調べてないですが)
東京は屋内ばかりだし交通の便もいいので意識しないですが、田舎では雨が降ると行動の範囲が物理的に狭まるので家にいる時間が長くなります。畑の土だってじゃぶじゃぶに浸水して農作業もできない。海だったら荒れて航海できない。
だから雨の日は雨の音を聞きながら家に籠もって本を読む時間に当てたり、ひたすらにごろごろする時間に当てたりします。

もちろん雨だからといって仕事は休めないので出勤日だったら気力を振り絞って出勤したりします。
するとなんだかいつもより重めの重力を身体に感じるような・・心もなんだかどきどきしてくるような・・・

逆に晴れの日の行動や心の動きを想像してみると、朝起きて快晴だとカーテンを開ける動作が気持ちよかったり、どこか行きたくなったり、ちょっと多めの家事をしたりしたくなるような。
仕事も雨の日よりは幾分か気分が乗ります。幾分か。
畑の土は乾き耕せるようになります。海も穏やかになり出港できます。

ここまで書いたらなんとなく勘づいているかたもいるかもしれませんが、古来より「晴耕雨読」という言葉があります。明治時代の漢文詩が由来のようです。
晴れた日は畑を耕し、雨の日は本を読む。悠々自適な生活を表す言葉。

古来より、がポイントで人間にとってストレスのない(憧れる)生活は昔から変わっていなくて、晴労雨労している現代人にとってはとっても重要な言葉なんじゃないかなと思っています。

なんでこの話をしたのかというと、
雨や晴れの例えは心の天気にも通ずると思っていて、雨はなんだか落ちている日、晴れはなんだかやる気のある日と言えるような気がします。

想像してみるとそれぞれ逆の行動をした日は心に負担がかかっていると思います。
雨の日に畑を耕しても土がじゃぶじゃぶで空回りするだけ。こころが辛いときにめちゃめちゃ動いても効率が悪かったり集中できなかったりミスしたり、さらに辛くなったり。
個人的に身体(肉体、行動)と心(感情)のバランスが崩れている状況(鞭を打って動くような)は人間にとって最大負担のような気がしています。
社会人ゆえたまには鞭を打たないといけない時ももちろんあると思います。
でも自分の気持ちを観察してみて「なんか疲れてるな。今日は行きたくないかも」のサインを受け取り、一時的に鞭を打ったとしてもその晩や最低でも週末には自分の心が「好き」だということに時間を費やしてみてほしいなあと思います。
例えば家から出ないとか、好きな場所に行くとか好きなご飯を食べるとかれんたるを依頼するとか。笑

自分の気持ちを無視する生活を長年続けている猛者苦労サバイバーの方達は自分の気持ちなんて麻痺してわからなくなっていることと思うので、(こうしたほうがいいだろうなど状況で動いてしまっていたりね)
一度れんたるしていただいて自分の気持ちをとり戻すお手伝いをさせていただければ嬉しいです。

意外とその場から逃げても人間は生きれるよとか、自分の気持ちを観察するヒントとかは別noteにて書かせていただきます。📕

読んでいただいてありがとうございました。

えのき

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?