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【読書感想文】躁鬱大学を読んで

我々は躁鬱人。
大学の授業を通して学んだことは、私たちはそういう人種だということです。
だから、技術を覚えて、それを上手く駆使するやり方を考えれば健やかに生きていくことができる。
カンダバシ先生の神田橋語録(http://hatakoshi-mhc.jp/kandabasi_goroku.pdf)
を参考文献に語られる躁鬱病との向き合い方は、頷けるものばかりでした。
私も私なりにカンダバシ語録を紐解いてみようと思います。

「躁鬱病は病気というよりも、一種の体質です」
私もそうですが、一見人のためにやっているような行動も、全て褒められたくてやっています。褒められるためだけに生きています。
「心が柔らかい人たちに多いです。特有のなめらかな対人関係も持ちようは躁鬱病の証拠です」
とても傷つきやすい私にとって共感しかありませんでした。
傷つきやすいことは、同時にあらゆることがインスピレーションになるということでもあります。心も、脳みそも、人間関係も柔らかい我々は、ある人の言葉で新しい発想を思いつき躁状態になることも、ある人の言葉で自信をなくし鬱状態に向かうこともあります。
そこには「自分がない」。常に評価の基準は他人になります。
だから、最良の薬は「君はすごい」と褒められることなのです。
私たちは褒められるために生きているわけですから、もちろん最良の薬も褒められることになるわけです。
「特に自分らしさや自分の長所が失われたときが要注意です」
確かに、力が発揮できない場所では輝けません。褒められることも減るのでさっさと撤退するのが吉です。
「資質に合わない努力はしないのは良さそうです。『きちんと』『ちゃんと』とかは窮屈になるから駄目です」
ほんとその通りです。私はたいてい鬱になる前ちゃんとしようとします。ちゃんとしようとしたら要注意ということです。
「勘や直感に優れていて、『好き』『嫌い』で生きている所があります」
私も嫌いなことは全然できません。やりたくないことは「吐露」しましょう。
自分が感じていることをそのまま言葉にすると、窮屈から脱することができます。
「『この道一筋』は身に合いません」
私もそれを感じました。何にも続けられない自分を責めていた私を救ってくれた言葉です。やりたくなくなったらやめる、でいいのです。

そんなこんなで一気読みした躁鬱大学、無事卒業できました。
私はこの本を読んで何か大切なことに気づけた気がします。
カンダバシさん、作者の坂口さん、ありがとう。

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