一.体からのメッセージ。

朝、腰が痛くて目が覚めた。かなりの激痛だった。

「今日は誕生日なのに...」

その日は私の38回目の誕生日だった。38回も誕生日をやっていても、誕生日はやっぱり特別な日だ。

ベッドから起き上がるのも大変な位の痛みだったけど、仕事を休むわけにはいかなかった。その日は鍵当番で、会社の鍵を私が開けなければならなかった。

痛みを我慢しながら何とか服を着替え、壁づたいに歩きながら家を出て地下鉄に乗り、職場へと向かった。「今日は誕生日だから、早く仕事を終わらせて彼氏と誕生日パーティーするんだ!何事もなかったように、いつも通り過ごそう!」

夕方まで我慢すれば良い。そう、あと半日...あと3時間...ずっと痛みを我慢しながら仕事をした。やっとあと1時間で帰れるという頃、パソコンの画面を見ながら「あと少し、あと少しで帰れる。あと少し我慢しなきゃ。」と思っていると、突然意識が朦朧としてきた。モヤモヤと視界にもやがかかり、不思議な夢を一瞬見た。

次に目が覚めた時、私は床に倒れており、同僚達が私を覗き込んでいた。私は声が出せず、体を動かすことも出来ず、目を開けたままただボーっとしていた。

同僚の誰かが電話をしている。救急車を呼んでいるようだ。「住所ですか?ここの住所何だろう?」「どっかに書いてないかなぁ?」おとなたちがあたふたしている。私は倒れたまま、会社の住所スタンプがある引き出しを指さした。

倒れて動けない状態にも関わらず、「自分が働いている場所の住所を知らないなんて、全く頼りない。ここに住所書いてあるから見てよ!」と、周りのおとなたちを頼りなく思ったのを覚えている。突然倒れた私が一番、頼りない状態だったのに。

救急車の中では同僚の一人が泣きながらずっと手を握ってくれていた。彼女には、お父さんが急に倒れ救急車で付き添った経験があったそうだ。理由はわからないが私はずっと体が震えていた。それまで特に仲が良かったわけではなかったけれど、彼女が同乗してくれて本当に良かったと思う。その時の私はとにかく、何が起こっているのかがわからず怖かった。彼女が話しかけてくれて体をさすってくれて安心出来たし、他人と一緒にいるということで自分の正気が保てていたんだと後から思った。こんな私に付き添ってくれて、本当に感謝しかない。

病院に着いてからの記憶がほとんどない。覚えているのは、トイレ付きの一人部屋に寝ていると父と母が心配そうに病室に入って来たこと。そしてその後彼氏も来てくれた。そしてそのまま帰宅して良いということになった。入院する必要はなく、後日検査をしてなぜ倒れたかを調べましょうということだった。

病院からの帰り、空にはとてつもなく大きいオレンジ色の満月が浮かんでいて、ものすごく不気味だった。嫌な誕生日になったなと思った。

その時私は彼氏と二人暮らしをしていた。誕生日パーティーどころではなくなったが、彼氏が用意してくれていたケーキを食べた。

不思議なことに、朝はあんなに痛かった腰の痛みが殆どなくなっていた。

一体何だったんだろう。

気を失ってもすぐに目を覚ましたのだし、病院で帰宅して良いと言われたのだし、たいしたことなかったんだろうと今なら思うけど、当時の私は自分に何が起こっているのかわからずとても怖かった。

病気なんじゃないか、また突然気を失うんじゃないか、眠っても朝目覚めないんじゃないか。病院の先生のことも信用出来ず、何一つ「大丈夫」とは思えなかった。

彼氏は何事もなかったように笑ってるけど、私は全然笑える気分じゃなかった。

笑える気分じゃなかったのに、無理して笑った。あの頃の私は、自分の気持ちは無視して、すべて「みんな」に合わせていた。「みんな」に合わせて我慢した。自分のことを全然見ていなかった。自分を大切にすることは何一つ許していなかった。

「みんな」って誰だったんだろう。

思えばあの日、朝目覚めて腰が痛くて、起き上がるのも大変だった私を見て、彼氏は「休んだら?」って言ってくれたんだ。それなのに私は、「私が鍵を持ってるから休めない。」と言ったんだ。

鍵を持っている社員さんはもう一人いて、その人に電話をかけて代わりに会社を開けてもらうことも出来たんだ。それなのに私は、そうはしなかった。その人に頼って自分を大切にすることより、その人に迷惑をかけずに自分を大切にしない方を選んだんだ。

自分で選んだんだ。








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