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【美術展】皇室のみやび 第3期(前期):近世の御所を飾った品々 4/4@皇居三の丸尚蔵館

「国宝」を楽しむのは難しい。特に「書」は何が書いてあるかほっとんど分からないし、その書が辿った遥かなる年月は紙の変色が物語っている。見て「美しさ」にハッとするのではなく、「よくぞここまで現存してくれた」の存在に思いを馳せる。

引用させて頂くのが2度目となるが、「かわかわさん」のこの記事を三の丸尚蔵館を訪れる当日に読んで、展示されている『国宝』を「判読できる!」かもしれない期待に胸がふくらんだ。


国宝「更科日記」藤原定家 鎌倉時代(13世紀)

「更科日記」そのものの作者は菅原道真の5世孫にあたる菅原孝標(すがわらのたかすえ)の次女。私は「源氏物語」は読書会を通して楽しんだが、この次女もきっと宮廷の女房たちと「読書会」を楽しんだだろう。現代より娯楽の多様性がないあの時代、それはそれは楽しいひと時だったに違いない。それになにより描かれている人物の情景が、今の私たちより(当たり前だが)生々しく彼女たちに迫っていた。

第3期の前期(2024/3/12-4/7)に展示されていた頁は
「人もまじらず~」から始まるが、それより少し前からがとても面白かったのでそこから書いてみる。

はしるはしる、わづかに見つつ心も得ず心もとなく思う源氏を、一の巻よりして、人もまじらず几帳(きちやう)の内にうち臥して、
胸をわくわくさせて、(これまで、とびとびに)わずかばかり見ては話の筋もよく分からずじれったく思っていた『源氏物語』を、一の巻から、他の人もまじらず(たった一人で)几帳の中にうつぶして、
引き出でつつ見る心地、きさきのくらひもなににかはせむ
次々に取り出して読む気持ちは、(女性最高の地位である)后の位も比べものにならないと思うほどであった
ひるは日暮らし、よるはめのさめたるかぎり、火をちかくともして、これを見るよりほかのことなければ、
昼は一日中、夜は目の覚めている限り、灯火を身近にともして、この物語を読む以外には何もしないで、
をのづからなどは、そらにおぼえうかぶを、いみじきことに思に、夢にいときよげなるそうのきなる地のけさきたるがきて、
いつのまにか自然と、(物語の文章が)そらで頭に浮かんでくるのを、(我ながら)すばらしいことと思っていたところ、夢の中に、たいそう清楚な感じの黄色い地の袈裟を着ている僧が現れて、
法華経五の巻をとくならへといふと見れど、
「法華経の第五巻を早く習いなさい。」と(私に)言うのを見たけれども、
人にもかたらず、ならはむとも思かけず、ものがたりのことをのみ心にしめて、われはこのごろわろきぞかし、盛りにならば、
(その夢のことは)人にも話さず、(また、法華経を)習おうという気も起こさず、物語のことだけを心に思いつめて、私は今は(まだ幼いから)器量がよくないのだよ、(しかし)年頃になったならば、
かたちもかぎりなくよく、かみもいみじく長くなりなむ。ひかるの源氏の夕顔、宇治の大将のうき舟の女きみのやうにこそあらめ、と思ける心、まづいとはかなく、あさまし。
顔だちもこのうえもなくよくなり、髪もすばらしく長くなるにちがいない。光源氏に愛された夕顔や、宇治の薫大将の愛を受けた浮舟の女君のようになるだろう、と思っていた私の心は、(今思うと)まずもって実にたわいもなく、あきれ果てたものだった。
五月一日ごろ、つま近き花橘の、いと白く・・・
五月のはじめごろ、軒端近くの花橘がたいそう白く・・・

「更科日記」菅原孝標女(すがわらのたかすえのむすめ)

物としての「国宝」はガラスの内側の到底手の届かない遠いところにある。しかし、そこに記されている「気持ち」はとても身近に、現代の私たちの内側にも同じように息づいている。

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