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感じる心を見つめる

あなたは日々感じていますか?間もなくお彼岸がやってきます。そこからは秋。この季節は特に「感じること」に長けた季節だと思います。
食欲、スポーツ、芸術、他の季節だって触れていることなのに、この時期だけやたらと「〇〇の秋」で通ることが、何よりの証拠ではないでしょうか?

巨峰を感じる

美味しそうな巨峰の写真

見て美味しい食べて美味しい。果物って人を幸せにしてくれますね。果物的には繁栄の手伝いをしてくれるなら大歓迎というところでしょうね。そう思うと人間は食べるだけで種をゴミにしたり、土でなくトイレに流したりするので、あまり歓迎されていないかも知れませんね。
でもコントロール下とはいえ、農家さんが繁栄のお手伝いはしてくれているわけで、少しは役に立っているのかな?

あれこれ感じながら頬張ることもまた、いただく命をねぎらうことになるのか?もはや故人をしのぐこととかぶる気もしてきますね。

即効性ある味覚

口に入れた瞬間に感じるのが「うーん甘い」という感激!ぶどうの場合はまた、それが結構強い刺激となって現れますね。本当に食べたいときに食べると、背筋がゾクッとするくらい「体が喜んでいる」のを感じられます。

今年は「巨峰」にはまりました。シャインマスカットという立派なぶどうもいますが、えんじろうには同じように皮を食べても同じような中身が凝縮されている味に感じられないのです。
巨峰は皮に渋みも酸味も含んでいるので、それが余計身の甘さを引き立てているのではないでしょうか?

じんわり嗅覚も

味覚が瞬間的に刺激してくるのに対し、鼻から入る嗅覚はじわりじわりとそのものの正体を暴いていくような感じで伝わってきます。過去の記憶と照合しながら「これはあのとき食べたことがあるなあ」というのを、アタック25のパネルが剥がれていくときのような感じで時間とともに判ってゆくんです(たとえが古い)

色々想像しながら食べると、なんだか脳みそと腸が対立せず共同作業をしているような気分になります。

秋映えを感じる

皿の上と背後に控えるりんごの写真

この地に移り住んでから初めて知ったりんご「秋映え」という品種。えんじろうはこれに惚れ込みました。
昭和っぽいというか、ただ甘いだけじゃない酸味を伴った甘みと、割とシャキッとした歯ごたえ。初めて購入したやつなどは、映え渡る赤みというよりも黒に見えてましたが、すごく美味しくて印象深かったです。

秋映え拡大写真

そりゃ巨峰に比べると、りんごは蛋白気味な味ですが、人間にはセンサー感度を調整できる能力があるんです。
淡いならこちらからより深く感じにゆくのみ。小さいものは顕微鏡で見ると大きいものとして見えてくるでしょ?あれと一緒です。

表面の肌艶や弾かれる水滴すらも、これから味わえる美味しいりんごの味への期待に貢献してくれます。

実は音楽もそれでは?

実は音楽も、感じ方次第(センサー感度)で様々な価値に変化するものだと思うんです。
1人でオカリナを吹いているときでも、なんだか無性に神々しい音色に感じてどこまでも深く潜り込むような感覚になることもあるんですよ。そうかと思えば浅いところでテクニックばかりを追いかけてしまう場合もある。

吹きながら聴く側にも回るので、音楽って面白いですよね。
きっと文章を書く方なども含め作品をこさえる「作家」さんというのは、そういう感覚になることも多いのではないかなあと勝手に想像するのでした。

えんじろうのオカリナの音色も、この秋に皆様の感じる心の1つに加えていただけたら大変幸せです。



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