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音楽と情

先日音心の音合せをしていたときのことです。ラストに演奏する予定の曲を演奏しながら、ふと窓の外に目をやると、そこに白いものが佇んでいるように見えました。
なんだか白い物体が窓から覗いていると思ったら・・・。

そこには百合の花

佇む百合の花

子供の背丈ほどでしょうか?百合の花が静かにこちらを見ているように感じられました。

時期を過ぎた花の姿

既に全開の時期は過ぎ、開ききった終盤の姿になっています。白かった花の色も少しくすみ始めていて、栄枯盛衰・諸行無常を感じさせる姿です。
それでも凛と立ちその心意気を見せるかのような姿に、心を打たれるものを感じます。

百合の花と白いオカリナ

音合せをしていた場所からはこんな風に見えていました。白いオカリナが同じ色の花を見つけて、ちょっと気になっているようにも見えました。
もちろん僕も同じ気持ちでした。

祭りの後

漫勉の白を浮かべていた頃を思い出しながら、なおも立ち続ける百合の花と、お祭りが終わった後のどことなくやるせない、まだなにかできるのではないかとウズウズするような気持ちが重なる気がしました。
その時合わせていた曲がオリジナル曲の「The After of Carnival」という曲だったのです。曲の心境と思い切りかぶり、気が付いたら涙が出ていました。

音心の「空の調べ」というアルバムに入っている曲ですので、気になる方はぜひとも購入してみて下さい。ご購入先はこちらです。

セミの死に顔

ところで今日、買い物にゆく道でセミがぶっ倒れて死んでいました。乱暴な言い回しに聞こえるかも知れないけれど、本当に「ぶっ倒れて」という言葉がぴったりという感じで仰向けになっていました。
車に引かれてほしくないと思ったので、道路脇の落ち葉の上に移動しましたが、その姿がとても清々しく見えたのです。生きているうちにやることはやったぞという感じで、誇らしげに見えました。

自然のものはどれもそれが普通なのかも知れませんが、きっとこの百合の花もセミと同様の心境なのかな?

表の姿
裏の姿

そうあってほしいなと願わずにはいられなかったえんじろうでありました。
いやあ、素敵ですねえと他人事のようにまとめようとしていますが、人間もも言えることですよね。
10年先のよくわからん未来の心配ばかりをするのなら、最後まで想像した上で今の行動を決めたらいいのかなと思ってみたり、見なかったり(どっちやねん!)



#enjiro #えんじろう
#日々 #練習 #感動 #行き方 #自然

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