Googleもやっちゃいました
noteの世界ではすでに有名になっている「ChatーGPT」ですが、昨日GoogleもAIチャットのシステムが利用できるようになっていたことに気が付きました。入力にGoogle音声入力が使えたり、とても気楽に体験できるので遊んで見る価値はあると思いますよ。
その名はbard
こちらはなんと無料で、Googleアカウントさえあればすぐに利用できます。今は試験運用中という状態のようです。
そして対話情報などもしっかり記録し、今後に活かすためという理由で利用されます。無料で使うための対価と考えるべきでしょうし、それによって更に発達するとなると、質問への「我々のモラル」も問われるという具合に考えておけば上手に付き合えそうですね。
最新の情報も含めた知識を有して返答してくれるようですので、その辺りもGPTと差別化されていますね。
日本語対応直後
えんじろうは少し前にYouTubeで知ったのですが、bardが日本語での対話に対応したのがほんの数日前からだそうです。
GPTもそうですが、よくもまあ日本語をこんなに上手に操るものだと思います。上手に操る人々のやり取りから学習するのだから、当たり前かも知れませんが、それと意味や場面に対応した返し方とか、どうやってるんだろうかと思いますが、考えてみれば自分の頭ん中でもどうやってんだか判ってないですよね(笑)案外AIも当たり前にやってるだけで、具体的にはわかっていないとか。
試してみた
そんなわけなので、7月1日に控えているオカリナ発表会のPR文章を作ってもらうように、こんな質問をしてみました。
与えた情報はシンプル
直接提示した文面はこれだけです。
送信すると、これに対して3つの候補が返ってきました。結構それぞれ個性が分かれていて、bardの特徴も見えてくる気がしました。
聞いたことある回答1
まず提示した文章の見た目のためにやってある無意味なスペースを、その意図をくんだ上で排除して理解していますね。えんじろうが想像する「杓子定規な機械」のイメージではありえない柔軟な対応です!視野の狭い僕はこういうスペースの演出に迷惑被ることさえありますよ。
そして書かれていることを上手に展開して文面にまとめ上げてくれています。ある情報から余分な要素を削り取ることは簡単でしょうが、どこからともなく内容を盛り付けるなんてことは、ネットのあらゆるデータを掌握するAIでなければなかなかできないのでしょうね。
少し気になったのは、フレーズの端々に聞き覚えのある言葉が見え隠れしているところ。まず「オカリナの魅力を広めるべく活動するえんじろう」という言い回しは、告知記事の冒頭で似たものを必ず使っています。更に終盤にある「合同演奏」というのは、告知記事に書いた共演予定もあるという部分との関連を感じます。
最新記事からも情報を披露というだけあって、bardさんは僕の告知のために僕の記事を利用していたのだろうかと思ったのでした。実際どうなのかを知りたければ、ネットに乗せていない告知を先に考えてもらうしかありませんよね。興味深いです。
なかなかカオスな回答2
こちらは太字まで交えて作られておりとても整っているようにみえるものの、結構やばいことたくさん盛られています。
良いですか?盛られているのですよ。ないことを書かれているのです。AIだから間違えないとか、仕事が簡単に奪われるとか、そんな小さな話じゃないようです。
AI任せにしてこの記事をえんじろうがあたかも書いたようにアップしてしまったなら、大変なことになっちゃうわけですよ。
てんやわんやのつじつま合わせ
まず生徒たちは「クラシックからポップス、童謡まで、様々な曲をオカリナで演奏」しなければなりません。確かに該当する人もいますが、この中の1つでも欠けてはならなくなります。
大変なのはこれ!「13:30~14:00:開場」開場のために30分かけなければなりませんよ。どうすればいいの?「15:00~15:30:閉演」これも、1点を示す開場と閉演が、幅を持っている!?
更に恐怖はこの「演奏曲目」に挙げられている曲名たち。えんじろうはひとつも言ってないし、一体どこから引っ張ってきたんだと叫びたくなる。何もチェックせずに任せていたら、問答無用でこの通りに行動しないと、嘘つきになってしまいますよ。
そうそう、CDと楽譜は良いのですが、オカリナも販売するらしいですね(もう他人事)これから作り方を覚えて上手に作れるように繰り返して、個性を磨いて値段とPRの仕方を・・・なんてできるかい!
回答3は回答1のやや不正確バージョンといった感じで、紹介しなくても良いかなと思ったので、ここまでです。
まとめ
AIは教科書のように正しそうな口調で、とても堂々としていて判りやすく頼りになりそうな発言をします。その根拠が怪しかったり、似たような情報源から寄せ集めたものであったとしても、あまりにも堂々としたその態度に、大抵の人が事前にAIがしゃべったことだと聞かされなければ「ふんふん」と思ってしまうかも知れません。
AIの回答と人の回答との間に、AIからの引用のようなちゃんと「区別できる決め事」を作るか、受け手側が自分が本気で信頼する情報以外は常にちゃんと疑いながら読むかのどちらかではないでしょうか?
これからますます世の中に溶け込み、その人間味ある表現もどんどん磨きがかかってゆくことでしょう。
我々の「人とそうでないものを嗅ぎ分ける能力」も、それに応じて上がってゆくといいなと思うのでした。
生の脳の凄さ
そしてこうやって実際に触れてみると、開場という項目では時間の1点を指し、ゲスト演奏という項目の場合は幅を持った時間が来るという「当たり前」を、改めて実感する体験ができたりするのです。人間の言語能力ってすごいなあと思いませんか?
世界中のコンピュータを使ってかき集めているデータを元に行う処理を、容量は足りないにしてもこの小さな頭の中でこなせるのですから。
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