AIとの会話
noteを始めたおかげで、他の方の記事から話題の「Chat GPT」に触れる機会を得ました。
talkーAIというサイトで、まるでメッセージアプリで会話するような感じで会話が試せました。
練習の日々
そしてえんじろうは最近CDレコーディングのため、間違えずに演奏するための練習を余儀なくされているんです。でもこの「練習」という言葉、小さい頃には呪いの言葉でした。
意味も判らずただ嫌いな漢字をノートに書き写す日々。いつしか書くときの鉛筆のスルスルという音でどんなリズムが楽しめるだろうかなどという全く目的とは別の目的が現れ、筆順よりも綺麗さよりも「リズムの維持」こそが真の目的になっている有様。
そんな経験も踏まえて、今こそふと浮かんだ疑問があったので、AIに投げかけてみることにしたのです。
練習の本来の意味
まずは「練習」の本来の意味を改めて考えると、自分ではちゃんとした説明ができないことに気が付きました。なので早速聞いてみました。
練習の本来の意味について
えんじろう
「練習という言葉の本来の意味は?」
記述習得のための反復行為
試しに行う行為
1はえんじろうが大嫌いな「漢字の書き取り」のイメージ通りでしたが、2の実験的試みの行為も練習というのは、知りませんでした。
そこでその辺りをちょっとひねくれっぽく伝えてみました。
繰り返す行為だけじゃない
えんじろう
「最近は、繰り返し行うことの部分だけが、独り歩きしているのですね。」
まるで教科書のような回答が来ました。意味を復唱しつつ、こちらが言ったことにも肯定的に捉えているような反応していますね。
それでは「反復行為」についても、僕はいやいややっていた漢字の書き取りがなんの効果もなかった実感があるので、それについて話を切り替えてみました。
反復行為と目的意識
えんじろう
「反復して行う」1つとっても、その目的を忘れた状態での反復には、余り意味がありませんね。
感想
余りに隙のない答えに驚かされました。
しかも続き物の会話なのに一貫性がある答えで、反論の可能性がある箇所には保険までかかっているような回答でした。
むしろえんじろうの「目的意識なしの反復行為」に対しては、こちらが使った「余り意味がない」を「効果が薄まる」と言うようにやんわりしたやさし目の表現に置き換えているじゃあないですか!
参ったなぁこりゃ。と言うのが正直な感想でした。
翻訳どころか会話仲介
誰かが言ってました。
そのうち人類は他人と話す時にもAIによる対話フィルターを介して、誰も傷つけずに尊重し合う会話をするようになるのかも。
どんなに乱暴で投げやりな言葉も、AIがやんわりとした言葉で意図を伝えるから。喧嘩になるようなことはまず起こらない。まるで日本語同士で翻訳し合う行為。
平和で幸せな社会の到来ですね。
そして気がついたら会話力はなくなっているかも。でも必要ない機能が衰えることは自然な振る舞いです。特に問題ないでしょう。
もしも問題になるとしたら、その仲介AIが突如壊れたり使い物にならなくなった日。世界は喧嘩だらけになるのか?それともそれを避けるため誰も何もしゃべらない時間が来るのか?
そういえば、星新一さんの本に鳥型の会話装置の話があった気がします。そんなことにならないように、noteで文章力を維持せねば(笑)
面白いですよ
talk-AIは単なるウェブページになっているので、この画面が見られている状態の方なら誰でもPCやスマホから簡単に試すことができます。
話し相手の立場を選べるだけでなく、自分の意図する相手の雰囲気を再現させる「カスタマイズ機能」もあります。例えば「医者」とか「哲人」に「酔っぱらい」や「漫才のボケ役」とか、指定できます。
会員登録などの手間が一切ないところが気軽でAI体験できますので、遊んでみてください。
当たり前ですが、個人情報書いちゃだめですよ。
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