地獄と極楽のおはなし
地獄と極楽って、どんな世界なんだろう?
地獄はとても過酷なところ?
極楽は苦しみが存在しない素晴らしいところ?
では早速、地獄と極楽の世界を覗いてみましょう。
<地獄>
地獄では、ご馳走が並んだ食卓を囲んで、人々が座っています。
しかし、全員の手にはとても長い箸が結び付けられていて、自分の口にご馳走を運ぶことができません。
お腹が空いているのに目の前のご馳走が食べられない状態は、空腹に拍車をかけます。
「腹が死ぬほど減っているのに、こんなご馳走を前にして食べることができないとは何たることか」
「目の前のご馳走を何とかして食べたいが、どうしようもできない。ここは地獄か…」
目の前のご馳走を食べようと必死になればなるほど、手に結ばれた長い箸が邪魔して、苦しさが増していきます。餓鬼が餓鬼を呼ぶこの状況は、正に地獄そのものです。
<極楽>
極楽も地獄と同じように全員の手には長い箸が結び付けられています。もちろんご馳走を自分の口に運ぶことはできません。
地獄も極楽も同じ世界だったのです。
地獄と極楽が同じ状態であれば、極楽などそもそも存在しないということになります。
しかし極楽は地獄と同じ状況でも、極楽にいる人々はなぜか誰もが幸せそうな顔をしています。それは極楽にいる人が、地獄にいる人たちと少し違った行動をとっているからです。
極楽にいる人々はご馳走を自分で食べようとはせずに、座っている者同士がその長い箸で互いの口にご馳走を運んで、誰もが不自由なくおいしく食べていました。
「こんなに長い箸が手に結び付けられているのでは、自分でご馳走を食べることはできないな。おい、そこのお前さん、このような状態ではさぞかし大変であろう。腹が減ったにも拘わらずご馳走が食べれないのは、残酷なことじゃ。よし、私がお前さんの口にこの長い箸でご馳走を運ぶからゆっくり食べなさい」
「ありがとうございます。こんなおいしいご馳走を食べさせてくれるなんて、なんて優しいお方でしょうか。おかげさまで空腹が満たされました。あなたもお腹が減っているでことでしょう。お返しに私もあなたの口にご馳走を運びますので、どうぞ思う存分お食べください」
地獄と極楽が同じ状態でも、心がけ次第で地獄を極楽に変えることができるのですね。
人にやさしくなるということは、決して他人のためだけになるのではなく、最終的には自分にも返ってくるということが、この逸話から読み取れます。
「自分さえよければよい」という強い自我に縛られると、ご馳走を食べられなかった地獄の世界のように、自らに苦しみを与えるということですね。
たとえ地獄のような状態でも心の視点を少し変えて、他人のために行動すると、それが自分のためにもなり、「今」この瞬間を地獄から極楽に変えることができます。「因果応報」(原因に応じて結果が報いる)とは、まさにこのことです。
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