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【取材の裏側】継承語教育を考える

海外にルーツを持ち、日本で活躍しているタレントや有名人が、「外国人の親がいても、日本語以外は喋れないんです」などと話しているのを耳にすることがあります。

人によって家庭事情や教育を受けた環境が異なるのは当然であり、母語のほかにどんな言語を話すのか、あるいは話さないのかは、あくまでも個人が自由に選択すべき事柄です。

それにもかかわらず、特定の言語を話せないことについて、時として自らを責めているようにも聞こえるトーンで語る人がいるのは、周囲が抱く固定化したイメージに、当事者たちが悩まされてきたからなのかもしれません。

「両親の国籍が異なる」「子どもの頃は海外に住んでいた」などと聞くと、複数の言語のシャワーを浴びて育ったのだから、自然とマルチリンガルになるのだろうと考える人も少なくないでしょう。

たしかに、家庭内のコミュニケーションや毎日の社会生活、学校でも日本語のみを使って暮らしているケースと単純比較すると、海外にルーツを持つ人の方が、複数の言語に触れる経験が多い場合もあります。

さまざまな言葉や文化に親しむ機会が持てることは恵まれている、という考えがある一方、その環境の中で「どんな言語を使って生きていくのか」を個人が選択するには、迷いや難しさも伴います。

複数の国にルーツを持つ子どもの言語教育に向き合う人たちの思いに気付かされたのは、スイスにあるツーク日本語学校を取材した時のことでした。

ツーク日本語学校では、日本にルーツを持つ子どもたちが継承語としての日本語を学んでいます。

継承語(heritage language)とは、複数の国や地域にルーツのある子どもが、社会生活や学校教育の中で使用する現地語とは別に、家族・コミュニティー間で受け継いでいく言語のことです。

「日本にルーツがあり、スイスに住んでいる子ども」と一括りに言っても、現地語のみを使って暮らす、継承語として他の言語の習得も目指すなど、人それぞれで選ぶ道は異なります。

また、日本語話者の親が毎日日本語で話しかけていれば、日本で生まれ育った子どもと同じように誰もが自然と言葉を覚えられるというほど、言語の習得は単純なものではありません。

取材を通じ、学校関係者の方々にお話を伺う中で、これまで知らなかった継承語教育の難しさが浮き彫りになっていきました。

主に家庭内でのコミュニケーションで使用されることが多い継承語は、聞く・話す力が伸びやすい一方、読む・書く力は学習によって別途鍛えなければならないこと。

それぞれの国の文化・慣習に基づく背景知識の差から、日本での学校教育向けに開発された国語の教科書をそのまま使うことは難しく、授業の内容や進め方にも常に工夫が必要なこと。

母語として日本語を身につけた親と、継承語として日本語を学ぶ子どもという立場の違いもあり、どのように日本語を教えていくべきなのか、悩みを抱える保護者も少なくないこと。

自分のバックグラウンドに関わる複数の言語のうち、どんな言葉を使って生きていくのかを決断するには、周りからは計り知れない、それぞれの事情があるはずです。

「アメリカ人の親がいるなら、英語を話せて当たり前だよね。」
「日本人の親がいるのに、日本語を話せないの?」

個人が置かれた環境の違いを考慮せず、自らの先入観を押し付けるような言葉は、相手を傷つけることにもつながりかねません。

人々の言語選択の裏にある背景を思うと、自分が持つ凝り固まったイメージを安易に誰かに当てはめてしまったことがなかったか、改めて振り返りたくなります。

継承語教育について知ることは、継承語を学ぶ当事者のみならず、個人の言語選択が尊重される環境を作っていく上で、あらゆる人々にとって関わりのあるトピックなのだと考えさせられました。


(編集部・Moe)

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