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「正解」を求めてしまう日本の教育を変えるために

2022年8月から Engagement Run! に参加している、NRI横山です。
草野球が大好きな、新米チームリーダーです。
今回は、シリーズ全3回の特集クラス「エンゲージメント ミッシングポイント 〜正しく理解しよう。私達は30年で何を失って、何を得なければいけないのか?〜第1回(3月開催):個人 (主体性、思考、ゴール)について」で、話題の一つだった「日本の教育」について感じたことを共有します。

私の息子も、4月から小学生になりました。
自分の感情と照らし合わせて考えましたが、賛否色々意見がある話題かと思いますので、あくまで私見ということで「そんな考え方もあるんだ」程度に読んでいただければ幸いです。

なぜ、「正解」を求めるのか

日本人が正解を求めるという傾向が強いのは、日本の教育スタイルによる影響が大きく、正解がない問題を自分なりに思考する機会が少ないことが要因の一つと言われています。

なぜ、自由な思考の練習より、正解を導く訓練に時間を割くのでしょうか。
それは、自分が望む教育を受けるために、往々にして、ペーパーテストを勝ち抜かねばならず、そのためには正解を答える必要があるからです。

AO入試や小論文など、徐々に思考を評価する試験形式が増えているものの、主流ではないのはなぜでしょうか。
それは、高度な思考よりも、正確な回答の方が、社会において成果を生み出すという価値観が、大人の中で根強いからではないか、と考えました。

大人に思考の価値を示す

思考を育む学校や教育機関を作る、という取り組みは、度々注目を集めますが、「大人(親)の選択肢が増えた」のであって、子ども全体に与える影響は残念ながら小さいと考えます。

子どもの思考は自由で可能性に満ちていますが、教育の選択の自由はほぼありません。大人が絞り込んだ選択肢からしか選べず、そこに思考を育むことを重視した学校が入ってくるかは大人の価値観次第です。

子を思う親が、子どもの幸せを「お金に不自由しないこと→大手企業に務めること→高学歴であること→難関大学の入試に合格すること」と意識・無意識に思い込んでいる時点で、ほぼ選択肢は決まってしまいます。
偉そうなことを書いている私も、腹の底ではこのような考えを持っていて、子どもが人生を選択をしようとするとき、耳元で囁いてしまいそうです。

日本の教育が思考を育まないと言うのであれば、学校を作るだけではなく、「思考することの価値」を大人(親)に示す必要があります。

大人の価値観を変える

大人自身が「思考は価値あるものだ」と感じるにはどうすればいいでしょうか。
アプローチの一つは、会社や組織で思考を評価すること、だと思います。
「答えのある問題」に対して、正しい答えを導く能力は必要です。しかしそれは、ツールなどにより多くが解決できてしまいます。
今、求められているのは、「答えのない問題」に対して思考して、他者と思考を交わし、「自分たちの答え」を導き出す能力です。
指示されたことを正確に遂行するだけではなく、思考することも評価され、「思考は価値あるものだ」と心の底から思えるような共通認識が必要です。

ちなみに、私は正しさを評価することや、その価値観を否定しているわけではありません。
企業に今年度予算と中長期計画の両方があるように、目の前の事象を正確に捉え判断する能力と、思考を繰り返し答えのないものを探求する能力は、両方必要です。

本当に日本の教育・日本社会全体を進化させるのであれば、「思考」の価値を今一度、大人の世界で見直して、思考することの評価を高める必要があると考えます。
私も、微力ながらそのパラダイム・シフトに貢献できるよう、思考を続けて、その思考を評価してもらえるよう、そして自分自身が「思考」の価値を信じられるように、努力し続けます。

クラスでは、教育以外にも様々な耳が痛くなるような現実を見せてくれます。それらを理解して、次のアクションに生かしていく前向きなクラスですので、興味のある方は、第1回のアーカイブ動画を見て、第2回以降を受講してみてください。

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