「氣力活力創作人」に込めた夢と想い
地車祭で有名な大阪泉州岸和田出身の普通の人が片田舎で街づくりを学び、社会人一年目に「大学時代に思い描いた夢の続きを見てみたい」という志を抱いた。それが全てのスタートだった。その後、色々な学びと達成と挫折を繰り返しながら、色々な土地を転々とし、現在札幌市で一児の父として家庭を築いている。そんなどこにでもいそうな「普通の人」が自己実現のために新たなスタートを切る。「氣力活力創作人」という看板を掲げ、翔ぶが如く駆け抜けよう。まずは看板に込めた想いについてお話させて頂きます。
1.氣力活力創作人とは
小さなことから人と地域の栄養ドリンクになる事を掲げて活動している人。
人の栄養→Well-Being
地域の栄養→地域住民のWell-beingの実現と経済活性化
~氣力活力創作人ブランド誕生について~
2013年春、新卒の会社を退職した。
当時は「期待と不安で胸いっぱい」という状態だったのをよく覚えている。
世に生を得るは大事を成す為にあり
せっかく生まれてきたからには自分にしかできない仕事をしたいものである
そして自分にしかできない社会貢献をしたい
坂本龍馬が脱藩した時の心境を想像ながら胸を膨らませていた。
この期待と同じくらい
その為にどうすればよいか
特記した能力もなく、しかも若くて経験値のない自分みたいな人間がONLY1になれるのだろうか
そんな不安にも悩まされていた。
当時属していた「TEAM KIZUNA」の一員だった石の芸術家Sさんから
「タフマンは栄養ドリンクみたいな人になれたらキミは成幸するよ」
その言葉を頂いたことが大きなきっかけとなり
さらに幸運だったのは栄養ドリンクというキーワードをヒントに才能発掘職人Aさんと練り上げた結果生まれたのが
氣力活力創作人 YES!たふまん
~人も地域も元氣に~
産声を上げたのは2013年4月の事だった。
そこで作ったこの自己ブランドは迷ったときの羅針盤としての役割を約10年間果たしてくれた。一度使わなくなった時期もあったが、結婚、妻の出産、子育てというライフイベントを経て、人生を長期的に見直す中で、ブランドを掲げて2024年3月に再出発しようと決断した。
2.事業テーマ
持っている力は大きくないが、実現したい社会のために今自分にできる事から行っていきます。
老若男女皆が輝ける「共育の場」を創作する
健康(Well-being)な生活を創作する
~実現したい社会~
今は一児の父である私も子どもの頃は夢、憧れを一つや二つと抱く普通の男の子だった。
小学生の時は教師、政治家、スポーツ選手に憧れて、社会科の授業に目を輝かせたり、新聞にかじりついたり、日が暮れるまでボールを追いかけていたりなんでも一所懸命取り組んだものである。
中学生の時は特に特記すべき出来事はなかったが、教師になりたいという想いは変わらず。
高校の時は「竜馬がゆく」や「国盗り物語」など司馬遼太郎の名著を読み更けて歴史の偉人に思いを馳せていたものである。
歴史小説を読みながら「経済が世の中を動かす」と直感で感じ、教師になる目標を抱きながら、教育学部ではなく、少し寄り道した形で経済学部に進学した。
進学した大学では商業高校の免許しか取れない事が入学後分かりビックリ仰天したが、今となっては良かったと思っている。
ゼミ選択時に「地方自治は国政の教科書である」という言葉を思い出し、漠然としたイメージで「地域活性化」をテーマとしたゼミを選んだ。そこで学生の学びの実践の場としてコミュニティカフェの経営を行っていた。
コミュニティカフェの中で小学校とのコラボカフェによる「共育」をテーマとした取り組み、「まちづくりは人づくり」を体現した環境に身を置くと同時に実践した2年間を過ごした。
この期間に自分が実現したい社会、やりたいことのベースが創り上げられた。
社会人になり、新卒の会社での仕事と並行してビジネスセンスを磨くこと、まちづくりに関わる為の収入の柱を創る手段としてMLMをスタートさせた。
幸運なことにMLMチーム「TEAM KIZUNA」で、権利的収入の恩恵を受けて人生を謳歌していた色々な種類の「成幸者」と出会えたことで、自分の人生を自分で作っている「Bクワドラント」の魅力と恩恵を知るに至った。
一方、世の中は諸行無常であると世の中に打ちのめされたこともあった。
大学卒業直後は私の大学があるまちでまちづくりに取り組みたい想いを抱いていたが、いつの間にか他の誰かの手で理想実現に進んでいた。
2010年当初は国際空港に近い街というメリットを生かして観光の街として発展するべきだと理想の方向に進んでいる。
想像であるが、私と同じような課題を持っている人が実現させてくれていたのだろう。
俯瞰して世の中を見ると、私が行動する、しないにも関わらず、時代は流れているということに気づかされた瞬間だった。
諸行無常であると念頭に置いていたら物事を俯瞰して捉えることが出来る。
とはいえ、私が抱いていることは大学生の時から本質は変わっておらず
1人1人の個性、能力が存分に発揮し、社会に貢献できる世の中
地域のヒト、モノ、カネを存分に生かして健やかに過ごせる地域を創る
私が動こうが動かまいが諸行無常に世の中は進んでいくことだろう。その中で理想の社会実現に向けて少しでも寄与していきたい。
3.私のミッションステートメント、ビジョン、ミッション、バリュー
ミッションステートメント
記憶に残る漢になる
~あの瞬間の一言が分岐点だった~
自分の葬式で色々な人からこんな事を言ってもらえるたら自分の人生は価値あるものだったと思えて、安らかに眠ることが出来るだろう。そのためにも人に影響を与えられる人格と行動を磨いていこう。日々研鑽や。
ミッション~今ある「個性」を活かして新たな価値を創作する~
人、地域に優劣はなく必ず「個性」があり、それを見つけて磨いていけば価値が生まれるはず。価値を見つけて創作することは使命である。
ビジョン~関わる人々の記憶に残る漢になる~
私と会った人は全員感じると思うが、エンターテイナー的な要素は「ゼロ」。
その分野で記憶に残ることは目指していない。
空手の先生から「関西一面白くない漢」とお墨付きを頂いている。
基本的には分岐点で影響を与えられる人間を目指している。
そのために「未来志向」「着想」「個別化」「目標志向」「原点思考」「戦略性」の才能の要素を活かして未来のためのきっかけに寄与したい。
バリュー~単純明快、温厚篤実、温故創新、八転九起~
全てにおいてSimple is the best.→単純明快
どんな時でも穏やかで誠実な人柄→温厚篤実
歴史から本質を学び、新しい価値を創造する→温故創新
何度失敗してもあきらめずチャレンジし続ける精神力→八転九起
自分が提供できる価値観、人間力、哲学が上記である。
~分岐点を乗り越える度に洗練されたMSとMVV~
ミッションステートメントの中のキーワードに「分岐点」が出てくるが、私はこれまでの人生の中で数々の分岐点を経験し、乗り越えてきた。
その分岐点の乗り越え方は人それぞれであるが、私の場合は分岐点の時には必ず素敵な人、言葉、思想、考え方と出会っている。
その分岐点は一生心に残るものであり、私は関わってくれた方の事を生涯語り継いでいくことになるだろう。
逆に自分が分岐点に影響を与えた数だけ人の記憶に残ることができると気付いた時に、私はエネルギーと勇気が湧いてくる。
「分岐点に影響を与える」ことは私にとっては仕事ではなく「志事」であり、お金では買えない無二の価値である。
今後も影響を与えながら影響を受け、自分を洗礼させられたらどれだけ幸せな事だろうか。