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アナキズムとは、強制のない世界:村山由佳『風よ あらしよ』(集英社)

今年の吉川英治文学賞を受賞した、村山由佳『風よ あらしよ』(集英社)を、ちょうど読んでいたところだった。
関東大震災直後、アナキスト大杉栄とともに、憲兵隊の甘粕正彦大尉に虐殺された伊藤野枝の28年間の生涯を描いた小説。

4年位前に栗原康『村に火をつけ,白痴になれ――伊藤野枝伝』(岩波書店)を読み、野枝の人生をたどりながら、激しく自分語りをしている作者に衝撃を受けた。評伝に、こんなに自我を出して、出しゃばってきても、それでも伝記となることに驚いたが(とはいえ、たぶんその書き方に否定的な人もいると思う)、その時の記憶をたどりながら、今度は小説という形で伊藤野枝、大杉栄を中心とした人々の群像劇を読む。堂々650ページ、決して読みにくい文章ではなかったが、時代を咀嚼しながら読んでいたらかなり時間がかかった。

「本作品は史実をもとにしたフィクションです」と巻末に附されているが、おそらく、基本的な枠組み(年表的な行動記録)は史実に基づき、その時、登場人物がどう思っていたかどう感じていたかという部分の描写は作者の創作なのだと思う。過剰な情愛、好き嫌い、納得のいかないことへの怒り、矛盾した感情、本人が読めばわたしこんなこと感じていた訳じゃないわ、という部分もあるだろうが、村山由佳の肉付けにより、さまざまな登場人物が、ページの中から立ち上がってくる。

中心となる伊藤野枝と大杉栄については勿論丁寧に描かれているが、彼らの足取りは先行して読んだ『村に火をつけ,白痴になれ』である程度イメージが出来ていたので、周辺の人々の描写が興味深かった。例えば、野枝が東京に出て女学校に通うためのお金を出した叔父代準介とその家族、野枝の2番目(実質最初)の夫であった辻潤よりはその母美津、平塚らいてうよりはらいてうにレスビアン的愛情を抱いていた尾竹紅吉(暮らしの手帖社から出ている『お母さんが読んで聞かせるお話』の作者、富本一枝のことであると知ってまた驚愕)、長く大杉家と行動を共にし、同居して野枝の娘たちの面倒を見たりしていた村木源次郎、日蔭茶屋事件で大杉を刺した才女神近市子。どの人にもシンパシーではないけどうんうんわかるわかる、という親近感。

伊藤野枝に、大杉栄に、振り回されながら、彼らについつい尽くしてしまう人々。
親戚友人ことごとくから借金出来る限りして、着ない着物はすぐ質屋に持っていき、晴れ着が必要な状況になった時だけ質請けしてくる。腹の休まる暇のないほどに子どもを産み続け(28年の生涯で、辻潤との間に息子2人、大杉栄との間に娘4人と息子1人、全部で7回も出産している)、家が狭すぎるといっては引っ越し、大量の原稿を書き、「青鞜」や、大杉の「近代思想」などに寄稿。大杉にはずっと警察の尾行がついているが、話しかけて妙に仲良くなったり、本当に尾行されたくないときにうまく撒いたり。
有島武郎に一千円もお金を貰って、それでパリのアナキストの大会に参加し(偽造パスポートで!)、強制送還で帰国し(帰国前に、有島武郎は波多野秋子と心中していた!)、その直後に関東大震災が首都圏を襲い、朝鮮人とアナキストを恐れる動きが出た結果として殺された大杉栄の歩みが悲しい。 
小説らしく、野枝が殺される瞬間に見た景色(勿論そんなのは想像だが)で物語は幕を閉じるが、いちずな愛情を知った野枝が、これ以上、栄を喪うかもしれない恐怖と戦う必要なく共にこの世を去ることに(勿論無念ではあっても)ふっと解放感を覚えるような表現で終わることで、この小説は極上の恋愛小説となった気がする。

アナキズムは、「無政府主義」と訳されることが多いが、これは正確な訳とは言えないようだ。Wikipediaには「すべての不本意で強制的な形態のヒエラルキーに反対する政治哲学と運動」と書いてある。『風よ あらしよ』を読んでいても、彼らは決して政府を転覆させることを目的としている訳ではない(一部には政治家を暗殺しようとする人の動きなども出てくるが)。自分たちの行動を抑制しようとする権威に対して抵抗しているだけだ。

新聞のコラムに、最近アナキズムを見直す動きが出ている、という話が出ていて、その一端として、台湾の閣僚オードリー・タン(唐鳳)の言動が取り上げられている。権力の場にいる人間をアナキストというのは違うのではないか、という意見もあるようだが、本人が自分のことを「保守的なアナキスト」と呼んでいるそうだ。
そして、これまでのインタビューで、アナキズムとは「強制のない世界」だ、と言っていることが紹介されている。
「権力に縛られず、暴力で威圧されず、変革に取り組む。ただ、進歩のために伝統文化を切り捨てありはしない。むしろ伝統を居場所に人々を巻き込み、議論を活性化させて共通の価値を見つけ、社会の刷新に向けた合意形成をめざすものだ」(2021/3/1朝日新聞夕刊・藤生京子)
大杉栄とオードリー・タンは全然違うけれど、『風よ あらしよ』を読んでいても、アナキズムを怖いものとは思わなかったし、当時、発禁だの著作物の押収だのが繰り返された中、大杉や伊藤らの原稿が一定の支持を受け続けたことも腑に落ちた。

強制のない世界、ってどんなものだろう、強制のない世界を生きることは出来るのだろうか。
98年前に死んだアナキストたちがこうあればいいと思った世界に、わたしたちは近づいているんだろうか。


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