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小川洋子・堀江敏幸『あとは切手を、一枚貼るだけ』(中央公論新社)

書店で『あとは切手を、一枚貼るだけ』を手に取ったとき、最初は、作家二人の往復書簡形式のエッセイなのかと思った。どちらも好きな作家、どんな丁寧な言葉遣いで語り合うのだろう、と思って読み始めたら、それは小川洋子の手紙でもなく、堀江敏幸の手紙でもなかった。深く理解し合っている男女が、一定の別離期間を経た後で唐突に交わし始めた手紙の中で、自分たちの過去を振り返る。本当の手紙だったら、省略されるであるだろう暗黙の了解をきちんと説明しながらの手紙なので、それはやはり小説で、ミステリー的に、こんなにも深く理解し合っている二人が、何故こうして、自分語りをしながら、相手を思いやりながら、こんなに遠くにいるのか、7通ずつ計14通の手紙の中で少しずつ霧が晴れていく。閉塞的な状態にあることをイメージさせられる二人の近況は小川洋子の小説と重なる。

「小さい頃からなぜか、閉じ込められている人、閉じこもっている人、閉じ込める人に、強いこだわりを感じてきました。アンネ・フランク、ラプンツェル、『人間椅子』の家具職人、オペラ座の怪人、ジョゼフ・コーネル、『床下の小人たち』、ノートルダムの鐘つき男、ロベール・クートラス...」(pp21-22) この女主人公の語りは、小川洋子が描いてきた小説の志向をそのまま語っているようだ。『猫を抱いて象と泳ぐ』とか『人質の朗読会』などをぱっと思い出す。例示された「閉じ込め」の当事者たちの何人かは、その後の書簡の中でも語られている。そして、この語りのきっかけとなった、ドナルド・エヴァンズという芸術家(といっていいのか? 架空の国の切手を作り続けたアメリカ人。最初、架空の存在かと思ったが実在するようだ。現在続けて平出隆『葉書でドナルド・エヴァンズに』(作品社)を読書中)の切手のエピソードが、書簡に付随する切手という小道具を際立たせ、印象的。

カミオカンデの純水の池のボートでの出会い、不忍池のボートを漕いでいるときに、東京文化会館のカルロス・クライバーのコンサートのチケットを1枚だけ手に入れ必ずパーを出す人とグーを出す人のじゃんけんでチケットを手に入れホールに走るエピソード、昔語りの中にはいくつかの抑揚があり、読者も二人と一緒に心を震わせる。宮沢賢治、アルフォンス・ドーデ、まど・みちお、梨木香歩、かねてより親しんできた何人かの作家、他読んだことのない様々な本の読書ガイドとしても秀逸。

そして、この書簡は本当にあったことなのか、手紙を書いている人と受け取っている人は本当にいるのか、ドッペルゲンガーのような分身が思い出を作っていたのか、すべてが曖昧のまま物語は終わる。でも、二人は最後にもう一度すごく近くまでたどり着く。それが幻だったとしても、手紙を書いたとき、読んだとき、それぞれがリアルに相手の息遣いを感じているのだ。

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